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第二章 貴族は皆、息吐くように嘘をつく

第42話 苛立ち

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 実際に自分の目の前にリヴィアを見て、じわじわと喜びが身体に広がるのが感じられた。

 慌てて口元を隠し目を逸らす。駄目だ。嬉しすぎる。これは……これは……?

 はっと思考の中の何かが脳裏を掠めるのと同時に、急に目の前の二人に思い至る。

 婚約────するのだろうか。

 ウォレット・ウィリスは平民だが勝手に平民落ちした元貴族だし、その血統は紛れもない。しかも魔術院の権威だ。あるいは平民初めての次期魔術師長ではと噂も出る程、優秀な人材でもある。
 
 婚約破棄されたリヴィアの婚約者としては、相応しいと判断されるのではなかろうか。

 途端にエルトナ伯爵の顔が思い浮かぶ。貴族の本分を違えない公正な男だ。

 アーサーは慌てて謁見の間に飛び込んだ。

 ◇ ◇ ◇

 辺境の地へ向かう馬車の中は居心地がすごぶる悪い。

 自分の機嫌も相当良くない。
 リヴィアと自分は対面だ。
 広い皇族用の馬車では大して近くも感じない。何故かリヴィアの隣にはフェリクスが座り、自分の横にはライラがいる。

 ……こちらなど見る気も無いのか、リヴィアは窓の外を眺めて気配を消してしまっている。丁度こちら側から見える方だ。アーサーはイライラと奥歯を噛み締めた。本当は舌打ちしたい気分だが。

 そうして長く閉じていた瞳をゆっくりと開いた。

 見送りと称してエリックが現れた時は、嫌な予感しかしなかった。
 エリックはすっかりリヴィアに懐いていた。元々女性嫌いだったエリックは、心を許した途端、誰よりもリヴィアを慕うようになった。

 エリックは兄である皇太子の第一子で、母親は正当な公爵家の姫君。まごう事なき皇族だ。
 それ故に大事に厳格に育てられ、すっかり凝り固まった思考を持つようになってしまった。

 根が真面目すぎたのだろう。産まれた時から真っ直ぐに伸びた道を直向ひたむきに歩いてきた皇子。努力もしてきた。だからこそ少しでも正当性から逸れていると嫌悪してしまう。

 エリックにとって努力すれば越えられないものは無く、出来ない事はやっていないのと同等なのだ。だから兄はウィリスに教師を依頼した。あの男の破天荒さはエリックの視野を広げてくれるに違いない。

 エリックはウィリスの研究が大好きだった。こういうところはまだ子どもだ。魔術要素が楽しいらしい。エリックに柔軟な発想を。兄がそう判断したのはアーサーにも良くわかった。

 だが当のウィリスはあろうことか面倒臭がった……。皇族からの依頼だぞ。普通は……そうか、あれに常識は通じなかった。
 断る事は不敬にあたるが正当な理由をあげつらって代わりにリヴィアを差し出した。リヴィアは優秀だ。彼女の功績は財務局からの数字で顕著に顕れていた。

 本人は知らないだろうが、女性ならではの視点が貴重な資源になると、リヴィアはその筆頭だと実の父親が皇城で誇っている。あの厳格公正なエルトナ伯爵が実の娘を惜しみなく称賛しているのだ。数字の効果も相まって、彼女は一部の労働容認主義の貴族から高く評価されていた。

 エルトナ伯爵は優秀だが、前皇帝時代に何か皇族と事を構えたらしく、現在城内で自ら閑職を希望しそこに居座っている。本当は城勤めも辞して領地に引き籠ろうとしていたようだが、父や側近に引き留められて登城している。由緒正しい伯爵家と皇族との確執に父も心を砕いていると知ったのは、リヴィアの事を調べていた時だ。緩衝材はフォロール子爵と聞いている。
 だが何があったのかは知らされていない。自分で調べろという事だろう。
 ……しかし二十年以上前の話を調べるのは時間が掛かる。調査は現在進行中だ。

 いずれにしても彼女は注目されていたのだ。その反動で婚約破棄という醜聞もあっという間に広がってしまったのだから……

 優秀さについては、母親の血もそれを物語っていた。それでウィリスが兄と父を説得するにも十分だったと言えるだろう。それでもエリックは嫌がった。兄も頭を抱えているが、最近は女性嫌いも始まってしまっていたのだ。

 12歳という年頃にもなり、周りから婚約を勧められるようになっていた。だがエリックは自分と同じ年頃の少女がギラギラと群がる様に辟易していた。彼は美しい顔立ちをしている。それが彼女たちを駆り立てているのだろうが、皇城にいるエリックには少女たちが皇子妃を目論む野心家に見えたのだろう。まあ、色恋で近づいてくるのも嫌みたいだが……あれは初恋がライラだったから────

 自分の伯母になると思っていたライラが、臣下であるデヴィッドと結婚してしまった。それがエリックの潔癖症を更に助長してしまったらしい。
 こんな事なら幼い頃に婚約させておけば良かったとぼやく兄は自分への当て擦りでもあったのだろうが……

 そもそもエリックの即位については何の問題もない。それならば結婚は好きな相手とさせたいと考えていたのは、兄のささやかな願いだった筈だ。
 妻に不満を持ってはいないようだが、実はあの兄は恋愛小説が大好きなのである。

 息子が世紀の大恋愛で結婚し、それを舞台にして残したいとか何とか。その脚本を書きたいだのと、酔った時にのたまったのをしっかり聞いている。

 我が兄はアホかとは言うまい。なので人のせいにしないで欲しい。

 そんなエリックがリヴィアを気に入ってしまった。

 今まで信を置いてなかった女性教師や女官にも敬意を払う様になり、出来ない。という言い分も素直に聞くようになった。更には人を片面だけで判断しないよう努力するようにもなったのだ。兄もその妻も諸手を上げて大喜びしていた。

 あの孤児院を訪れ、リヴィアと彼らの話しを聞くようになってから、エリックは少しずつ他者の気持ちに寄り添うようになっていた。リヴィアは既にただの家庭教師ではなく、すっかり女官のようなものもやらされている。

 実はエリックはリヴィアを正式に自分の女官に欲しがったのだが、エルトナ伯爵が断っていた。娘を皇城にあげる気は無いらしい。兄も惜しんだが伯爵は頑として聞かない。

 公私混同と噂になりかねないとの事だったが。流石にそれを聞いてヒヤリとした。エリックは12歳になったばかりだが、リヴィアは直18歳になる。女性が年上の6歳の差は大きいだろう。しかも彼女は婚約破棄という疵(きず》もあるし、流石に次期皇太子とは釣り合いが取れないと思われる。いくら兄が恋愛小説が大好きとは言っても、現実を疎おろそかにはしない筈だ。

 それに今は自分の婚約者だ。

 そう思い顔にじわじわと熱が上がるのが分かる。(仮)がつく事は頭から抜け落ちている。

 ────が。

 思わず頬に手を触れ眉を寄せる。出かけにエリックがリヴィアの頬に口付けていたのが思い出されたからだ。
 あの甥は本当に油断も隙もない。リヴィアがエリックの家庭教師として皇城に上がる際、何度か会いに行った。

 元々エリックとは良好な関係だ。だが何が気に入らないのか、その内時間を変え場所を変え、あらかじめ聞いていた授業の時間と違うようになって、最近では殆どリヴィアに会えていなかった。

 その為、最近になってライラがアーサーの執務室に入り込んむようになった件について説明が出来なかった。正直大した会話はしていない。
 けれど些細な事かもしれないが、万が一にも誤解されたくなかったのだ。

 頬を押さえ真っ赤になったリヴィアを思い出す。

 彼女も彼女だと怒りを覚えても仕方ない。アーサーはイライラと腕を組んで目を瞑った。
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