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第2話 私が貴方の血肉となり、貴方が私の希望となる
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「人の血肉を喰らって生きるなんて、本当に悍ましい生きものよ……。同じ空間にいるだけでも吐き気がするわ」
妹に対して暴言を吐くことが、祖母の日課だったかのように頻繁に記憶が刻まれていた。
妹のマーニーは純血で占めた吸血鬼一族の中でも異端な存在だった。
それは母ヨージュの不貞による失態だったのだが、全ての怨みはマーニーへと向けられるように仕組まれていたのは、気のせいではなかっただろう。
マーニーは吸血鬼の劣種である喰鬼として、この世に産み落とされた。
血の濃度を高める為に純血種とばかり性交を重ねていた一族にとって、マーニーは恥じるべき存在として虐げられ、疎外され、外れの塔の地下に幽閉されて生きていた。
だが三男として生まれ、誰からも期待せずに育ってきた僕とって、唯一の妹が可愛くて仕方なかった。
可愛くて、愛しくて、美味しそうで堪らなかったので、マーニーを眷属として契約して互いの血肉を分け与えて生き長らえてきた。
あのカビ臭く薄暗い地下で、美しく艶かしいマーニーの柔肌に牙を立てて生きてきたのだ。
そして今も、僕らは昔から変わらず互いの血肉だけを欲して生きていた。
「もし、私が死んでしまったら——お兄様は他の人間を眷属として迎えるのですか?」
いつものように僕の指を咥えながら語るマーニーに耳を傾けながら、僕は少し考え込んだ。
マーニー以外の人間を?
——愚問である。
そのようなことは天地がひっくり返ろうともあり得ない。
「逆に問おう。マーニーは僕が死んだら、他の人間の肉を喰らうか?」
「い、いえ! 私はお兄様以外の血肉は欲しません!」
一度、次男にマーニー以外に眷属を作れと迫られ人間の血を勧められたことがあったが、咥内に含んだだけで胃液が逆流したものだ。
その時のことを思い出し、僕は少しだけ兄達のことを懐かしんだ。
余程低落で自堕落な生活を送っていない限り血の味に違いなど生まれないのだが、マーニーの血だけが特別で芳醇な葡萄酒のような味が広がった。
「アデル、お前という奴は……っ! お前まで一族の恥知らずとして虐げられるぞ⁉︎」
「——マーニーと引き離されるくらいならそれで結構。マーニーは僕の眷属だ、兄様に邪魔はさせません!」
カッと血が昇った兄は「この……っ!」と手を上げたが、その掌が頬に直撃することはなかった。
「それまでにしておけ。アデルに無理強いしても無意味だぞ」
「カリッシュ兄者!」
次男のメーディラの腕を掴んだのは長男であり次期頭首であるカリッシュだった。
秀麗で冷静な風格が漂う。すぐに感情が表に出るメーディラとは正反対だった。
ただ僕は知っている。彼ほど一族に対して忠誠を立てて愛した人を知らない。それが例え愚行の末にできた子であっても、彼の愛は深く広かった。
「マーニーのことはアデルに任せた。お前なら良くしてあげられるだろう?」
次期党首からの直々の命であれば、迂闊に文句は言えまい。そんな兄の気配りのおかげで、僕らは誰にも邪魔されることなく過ごすことができたのだ。
まぁ、そのカリッシュ兄様ですら爆撃兵器を扱う人間達に敵わず、打首を晒されてしまったのだが。
あの涼しげでありながら優しかった眼差しが懐かしい。もう愛でてもらうことがないかと思うと、名残惜しさが増してくる。
『そういえば、メーディラ兄様はどうしただろう? 上手いこと逃げ切れたのなら良いが』
種族長のキルミュアを始めに、純血家系の首が城の塀に掲げられた光景が目に焼き付いて消えなかった。
マーニーに暴言を吐き散らしていた祖母は忌々しい断裂魔を叫ぶ恨顔を晒していたし、父も無念が滲む苦渋の表情のまま召されていた。
「もっと早くカリッシュ兄様に家督を襲名させておけば、未来は変わっていただろうか?」
——いや、到底無理だっただろう。
過去を尊重して変化を恐れていた魔族と、進化を好んで新しいものを取り入れ続けていた人類では、遅かれ早かれこのような未来が訪れていたに違いない。
それに不老不死に近い僕らにとっては、それが百年早まろうと遅れようと大した違いではなかった。
だが、それは純血吸血鬼である僕に限った話であり、喰鬼であるマーニーの寿命はそう長くはなく、当たり前に生きたところで八十年程。
彼女の命が尽きるまで、二人きりで余生を楽しむのも悪くない。
僕らは見つけた薄くなった毛布を二人で分け合い、互いの体温で温め合った。
「アデルお兄様、大丈夫ですか? その、痛くないですか……?」
「僕は問題ないよ。大抵の痛みは脳に伝わる前に緩和されるし、損失した箇所もすぐに生えてくる。ほら、お前に喰われた指もちゃんと生えているだろう?」
——とはいえ、少しずつ再生が遅れている。
僕らはきっと、ゆっくりと破滅へと進んでいる。当たり前に生きれば八十年だが、きっと残された日々はもっと少ない。
それでも後悔はない。
「僕は最愛の妹を抱き締めながら死ねるなら、本望だよ。マーニー、僕から離れないでくれ」
そんな僕の問いに小さく頷く妹に安んじた。
だが、そんな僕らの儚い願いを壊す存在が、気配を消してゆっくりと忍び寄っていた。
不穏とはそんなものだ。この僅かな幸せすらもあっという間に刈り取り、嘲笑うのだ。
妹に対して暴言を吐くことが、祖母の日課だったかのように頻繁に記憶が刻まれていた。
妹のマーニーは純血で占めた吸血鬼一族の中でも異端な存在だった。
それは母ヨージュの不貞による失態だったのだが、全ての怨みはマーニーへと向けられるように仕組まれていたのは、気のせいではなかっただろう。
マーニーは吸血鬼の劣種である喰鬼として、この世に産み落とされた。
血の濃度を高める為に純血種とばかり性交を重ねていた一族にとって、マーニーは恥じるべき存在として虐げられ、疎外され、外れの塔の地下に幽閉されて生きていた。
だが三男として生まれ、誰からも期待せずに育ってきた僕とって、唯一の妹が可愛くて仕方なかった。
可愛くて、愛しくて、美味しそうで堪らなかったので、マーニーを眷属として契約して互いの血肉を分け与えて生き長らえてきた。
あのカビ臭く薄暗い地下で、美しく艶かしいマーニーの柔肌に牙を立てて生きてきたのだ。
そして今も、僕らは昔から変わらず互いの血肉だけを欲して生きていた。
「もし、私が死んでしまったら——お兄様は他の人間を眷属として迎えるのですか?」
いつものように僕の指を咥えながら語るマーニーに耳を傾けながら、僕は少し考え込んだ。
マーニー以外の人間を?
——愚問である。
そのようなことは天地がひっくり返ろうともあり得ない。
「逆に問おう。マーニーは僕が死んだら、他の人間の肉を喰らうか?」
「い、いえ! 私はお兄様以外の血肉は欲しません!」
一度、次男にマーニー以外に眷属を作れと迫られ人間の血を勧められたことがあったが、咥内に含んだだけで胃液が逆流したものだ。
その時のことを思い出し、僕は少しだけ兄達のことを懐かしんだ。
余程低落で自堕落な生活を送っていない限り血の味に違いなど生まれないのだが、マーニーの血だけが特別で芳醇な葡萄酒のような味が広がった。
「アデル、お前という奴は……っ! お前まで一族の恥知らずとして虐げられるぞ⁉︎」
「——マーニーと引き離されるくらいならそれで結構。マーニーは僕の眷属だ、兄様に邪魔はさせません!」
カッと血が昇った兄は「この……っ!」と手を上げたが、その掌が頬に直撃することはなかった。
「それまでにしておけ。アデルに無理強いしても無意味だぞ」
「カリッシュ兄者!」
次男のメーディラの腕を掴んだのは長男であり次期頭首であるカリッシュだった。
秀麗で冷静な風格が漂う。すぐに感情が表に出るメーディラとは正反対だった。
ただ僕は知っている。彼ほど一族に対して忠誠を立てて愛した人を知らない。それが例え愚行の末にできた子であっても、彼の愛は深く広かった。
「マーニーのことはアデルに任せた。お前なら良くしてあげられるだろう?」
次期党首からの直々の命であれば、迂闊に文句は言えまい。そんな兄の気配りのおかげで、僕らは誰にも邪魔されることなく過ごすことができたのだ。
まぁ、そのカリッシュ兄様ですら爆撃兵器を扱う人間達に敵わず、打首を晒されてしまったのだが。
あの涼しげでありながら優しかった眼差しが懐かしい。もう愛でてもらうことがないかと思うと、名残惜しさが増してくる。
『そういえば、メーディラ兄様はどうしただろう? 上手いこと逃げ切れたのなら良いが』
種族長のキルミュアを始めに、純血家系の首が城の塀に掲げられた光景が目に焼き付いて消えなかった。
マーニーに暴言を吐き散らしていた祖母は忌々しい断裂魔を叫ぶ恨顔を晒していたし、父も無念が滲む苦渋の表情のまま召されていた。
「もっと早くカリッシュ兄様に家督を襲名させておけば、未来は変わっていただろうか?」
——いや、到底無理だっただろう。
過去を尊重して変化を恐れていた魔族と、進化を好んで新しいものを取り入れ続けていた人類では、遅かれ早かれこのような未来が訪れていたに違いない。
それに不老不死に近い僕らにとっては、それが百年早まろうと遅れようと大した違いではなかった。
だが、それは純血吸血鬼である僕に限った話であり、喰鬼であるマーニーの寿命はそう長くはなく、当たり前に生きたところで八十年程。
彼女の命が尽きるまで、二人きりで余生を楽しむのも悪くない。
僕らは見つけた薄くなった毛布を二人で分け合い、互いの体温で温め合った。
「アデルお兄様、大丈夫ですか? その、痛くないですか……?」
「僕は問題ないよ。大抵の痛みは脳に伝わる前に緩和されるし、損失した箇所もすぐに生えてくる。ほら、お前に喰われた指もちゃんと生えているだろう?」
——とはいえ、少しずつ再生が遅れている。
僕らはきっと、ゆっくりと破滅へと進んでいる。当たり前に生きれば八十年だが、きっと残された日々はもっと少ない。
それでも後悔はない。
「僕は最愛の妹を抱き締めながら死ねるなら、本望だよ。マーニー、僕から離れないでくれ」
そんな僕の問いに小さく頷く妹に安んじた。
だが、そんな僕らの儚い願いを壊す存在が、気配を消してゆっくりと忍び寄っていた。
不穏とはそんなものだ。この僅かな幸せすらもあっという間に刈り取り、嘲笑うのだ。
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