セルリアン

宵森 雫

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4話

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「行ってきます」

朝の光が、玄関のガラスを眩しく照らしていた。
制服の襟元に汗がじんわり滲んでくる。
母はキッチンのほうから「いってらっしゃい」と返してくれたけど、
顔は見えなかった。

学校へ行くふりをして、私は家を出た。

蝉が、鳴きはじめていた。
耳をふさぎたくなるほど、けたたましい夏の音。
歩くたびに肌にまとわりつく空気が重たくて、
心までどろりと溶けていきそうだった。

駅までの道を曲がり、住宅街を抜けて、いつもと違うバス停へ向かった。
音楽は流さなかった。
今日は何も足さずに、ただ世界と並んでいたかった。

バスに乗って、降りたのは見知らぬ町。
日差しはさらに強くなり、アスファルトから照り返す熱で目の奥がじんとした。
ふらりと入ったのは、小さな坂を登った先にある公園。
古びた滑り台と、軋むブランコ。
誰もいない静かな場所だった。

ベンチに座って、水を飲む。
カバンから文庫本を取り出して膝に乗せるけど、開く気にはなれなかった。
湿気で髪がふくらんで、朝あれこれした意味がなかったなって思った。
ただ、ぼうっと空を見上げていた。

日差しが少し和らいだ午後。
スマホがポケットの中で震えた。

「今日は来ない?」

親友からのLINE。
何度か画面を見て、ようやく指が動いた。

「今日は息抜きすることにした」

数秒後、にこにこ顔のスタンプが返ってきて、
そのゆるさに、思わず笑みがこぼれた。

しばらくして、歩き疲れた足が訴えるように重くなって、
近くのカフェに入ることにした。
冷房の効いた店内は、ほっとするような空気で満ちていた。

注文を終えて席に座ると、店員さんが水と一緒におしぼりを置いていった。
その包みに、小さく丸い字で、手書きのメッセージがあった。

“Slow down, refresh, and smile a little.”

読んだ瞬間、心のどこかがふっとほどけた気がした。
たぶん、私、よっぽど疲れた顔をしてたんだろうな。
「ばれてた」ことが少し恥ずかしくて、
でも同時に、ちょっと救われたような気もした。

サンドイッチを口に運び、噛む。
周りのざわめきも遠くなって、自分だけの時間がゆっくりと流れ始める。

そしてクリームソーダをストローから吸い込むと、冷たい泡がぷつぷつと弾けて、気づけば自然と小さな笑みがこぼれていた。

気づけば窓の外が、夕方の色に染まりはじめていた。
西の空は少し赤くて、電線に鳥の影がぽつぽつと並んでいる。
「帰らなきゃ」
ようやくそう思ったのは、空が紺色に変わりはじめたころだった。

家に着いたのは、夜の9時すぎ。
玄関のドアをそっと開けると、リビングの明かりがまだついていた。

「おかえり」

母はソファでテレビを見ていたけど、私の顔をまっすぐには見なかった。
今日、学校に行ってないってこと、多分気づいてるんだろうな。
でも、何も聞かれなかった。

それが逆に、優しさみたいに感じた。

自分の部屋に戻って、制服のままベッドに倒れ込む。
カーテン越しに聞こえるのは、まだ続く蝉の声と、遠くで鳴る車の音。
今日という日は、誰にも見せない場所で、
そっと息を抜いた一日だった。

明日はまた、ちゃんと行けるかもしれない。
いや、行けないかもしれないけど。
でも、今日みたいな日があっても、
きっと、それでよかったんだと思う。
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感想 1

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みんなの感想(1件)

四季
2025.07.18 四季

BLUE 拝読しました。

描写による空気づくりがハイレベルで良かったです。
とても味わい深い魅力的な作品でした。

素敵な作品をありがとうございます。m(_ _)m

解除

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