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第三章 権能覚醒篇

第八十二層目 犠牲

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 火炎放射を吐き出した竜の鱗は、溢れ出す力によって赤熱化を起こし、まるで燃える様に輝いていた。その姿を見た者は竜をこう呼んだ。

 劫火の赤竜、と。

 赤竜は首をもたげて咆哮を天に向けて放つ。それは挨拶代わりの雄たけび。
 赤竜にとって数千年を超える時間越しの、忌むべき敵との再会。勿論、黒き虎が、かつて竜を打ち滅ぼした男ではない。だが、仕方がないのだ。この日ノ本の国の中に、黒き虎以上に相応しい気配がないのだから。
 その咆哮に黒き虎は応える。何処のどいつかなど知らない。だが、これ以上の狼藉は許さんと。

 虎は東京タワーの先端を蹴り、闇夜を駆ける。そして、まるで足場が存在するかのように空中を幾度も蹴り、不規則な動きで赤竜へと迫る。その速さは戦闘機など相手にもならぬ程に達する。
 面白い。赤竜はニヤリと笑い、幾つもの首を振り上げて迎え撃つ。縦横無尽に振るわれる鎌首。虎はそれを掻い潜って赤竜の胴体へと渾身の跳び蹴りを喰らわせた。
 しかし、二者の間にそびえる圧倒的な体重差が、その蹴りの効果を十全に発揮させない。クリーンヒットしたにも関わらず、弾かれたのは虎の方だった。

 打撃では不利だ。虎はすぐさま切り替えて、赤竜の急所を探し始める。
 生物にとってどうしても防ぎきれない急所はいくつか存在する。
 例えば心臓。これを潰されて生きていられる生物は本当に限られている。というより、そもそもそういった潰されても生きられる生物の心臓は、心臓の役割が他の生物に比べてそこまで重要ではなかったりする。
 例えば脳。これも心臓同様、潰されて生きていられるのは、生命活動の根幹が他の生物とは違う。こういった器官を潰されて生きられるのは、割と構造として複雑ではない生き物がほとんどだ。
 だが、赤竜はどうだ。脳は二十にも迫る数の首が存在するのであまり効果はなさそうだ。だが、その胴は一つしかなく、ならば心臓も同じだろう。
 生物の構造上、心臓が二つ以上あるのはかなり無理がある。考えてもみてほしい。ポンプとポンプを幾つも繋いで、それを絶えず動かすという事の危険性を。そんな構造、何かが起これば直ぐに事故を招き、逆流や停止を誘発する。

 体の構造とは一部を除いて無駄な場所は存在しない。進化の過程で淘汰されてきた名残が無駄と言われる事もあるが、その実は違うという説もある。
 その代表格が虫垂だ。盲腸というものを聞いた事があるだろう。これは、この虫垂が炎症を起こす病気なのだが、対処法が切除をすることだ。人間はこの器官を使っていないから切除をしても問題が無いと言われてきた。事実、切除しても日常生活に支障はないし、虫垂炎は命にも関わる病気なので対処することの方が重要だ。
 しかし、近年では虫垂は完全に無駄な器官ではないという研究報告も存在する。腸内の活動をサポートしていたりするそうだが、ここでは長くなるので割愛する。もし気になるならば調べてみよう。

 閑話休題。そんなわけで、生物の体には基本的に無駄な部位など存在しない。すべての器官が備わっている理由を持ち、そのどれを破壊されても生命活動に支障がでかねないのだ。
 黒き虎が最初に狙ったのは目。網膜が傷つけばたちまち視力が低下し、状況は不利になる。が、首が二十あるという事は四十の瞳があるのだ。それでも、一時的な効果はあるだろう。

 虎は赤竜の首に爪を立て、頭部まで一気に駆け上がる。獲物が眼前に来たことで、赤竜は嬉々として口を開き、その牙を突き立てようと迫る。しかし、口が閉じきる前に虎は空中を跳ねて後ろへと下がり、そのままもう一度跳ねて赤竜の双眼を切り裂いた。
 飛び散る紫の液体。吹きだした血液が虎の体を汚していく。と、同時に異変は起こった。

「ガァアアアァアァァッ!?」

 赤竜の血液が掛かった部分が、まるで焼きごてを突き刺されたように熱く痛む。
 見れば、体表は真っ赤に爛れて腐り落ち、骨がむき出しになっていたのだ。これには虎も驚いて退かざるをえなかった。
 赤竜の体内に流れる血液は、猛毒も猛毒......硫酸、王水などを凌ぐほどに強力な溶解力を持つ未知の毒であり、あらゆる毒に対応する黒き虎の能力すらも軽く凌駕した。
 そして、零れて飛び散った血液は、二者の下にある街を破壊していく。逃げ遅れた人々と共に。

「ぎゃあぁああああぁぁ!!」
「痛いっ、いだ、い......」
「おかあぁぁ! おかあぁぁぁッ!!」

 悲痛な叫び。それを聞いた途端、黒き虎に激しい頭痛が走る。
 しかし、いまはそんなモノに囚われている場合ではない。目の前の敵を倒さねば。
 虎は再び走り始める。いくら体を溶かされようと、こちらも再生能力では劣らない。ならば、溶かされるよりも早く打ち滅ぼしてしまえばいいのだ。

 赤竜は向かってくる虎を見てほくそ笑む。結局、それかと。
 昔もそうだった。妙な剣を持ったあの男は、真正面から向かってきて己の首を次々と落としていった。あまりにも大胆で、あまりも男らしいその姿に、為す術もなくやられてしまったが、今は違う。
 あの時の失敗をもとに、成長しているのだ。
 赤竜は鎌首をもたげ、虎へと向けて突進を仕掛ける。
 虎はそれらを紙一重で避けつつ、自身の肉体を犠牲にしながらも爪や牙で切り裂いていく。そして、ひとつの首にとりついたその時であった。

「シャアァアアアアァァッ!!」
「ッ!?」

 赤竜は自らの首ごと、虎を焼き尽くさんと炎を吐き出したのだ。
 劫火に包まれる虎の体。摂氏数千度の炎は、虎の体をあっという間に炭化させていく。再生のおかげで何とか命だけは保ってはいるが、それも徐々に押し切られ始めていた。

「ガアアァアッ!!」

 なんとか死力を尽くして首から脱出し、虎は後方へと落ちていく。
 ボロボロになった虎の体。炎を防ぐために体を守っていた手足は、消し炭となって崩れた。

「ガ、あが......」

 それでも敵は待ってくれない。
 虎は何とか体を起こそうとする。が、遂に限界を迎えてしまった。
 『自己再生』は体力を対価として、体のあらゆる部分を再生する能力だ。その力は凄まじいもので、心臓や脳などの重要器官すらも、即死でなければ回復することが出来る。その反面、体力の消費も激しい。
 ここまでの赤竜との闘いで失った腕や足の数はもはや十や二十では済まされない。それに加え、他にも打撲や骨折なども幾度も治した。
 体力も限界点に到達してしまったのだ。

 体を起こそうとしてもいう事を聞いてくれない。虎は歯がゆさを感じながら、何とか立ち上がろうとする。
 その時。虎の背中に、温かいものを感じた。

「だ、大丈夫ですか......?」

 それは一人の少女であった。
 セミロングの黒髪の少女。少しタレ気味だが、芯の強さを感じる瞳。

「えッ......その姿......!」

 追い付くように駆けつけてきたもう一人の少女。
 背は先ほどの少女より低く、少しウェーブがかった長いツインテールが特徴的である。

「でも、まさか......いえ、今はそんな場合じゃないわ。早織、早くそれを連れて逃げるわよッ!」
「わ、わかりましたッ! さぁ、手を貸しますから、掴まってください」
「私が担ぐわ。早織じゃいくら時間があっても足りないもの」
「すみません、恵ちゃん......ご迷惑かけます」
「いいから、走るッ! 避難所までもうすぐなんだからッ!!」

 黒き虎が吹き飛ばされた場所。
 そこは偶然にも、一輝の実家の近く。新東京市、三鷹区であった。
 避難命令が発令され、早織と恵は直ぐに避難を開始していた。しかし、近隣住民の中には老人も多く、逃げ遅れる可能性の高い状況であった。
 恵は一輝に任されていることもあって、一度早織を避難所に連れて行ってから救助活動に参加しようと考えていた。しかし、早織はそれならば一緒に連れて行く方が効率的だと、共に救助の手伝いを申し出たのだ。
 恵としてもそれは承諾し難かった。しかし、言い合いになればそれだけ時間は無くなる。致し方なしと、共に避難誘導などを請け負ったのだ。
 そして、民家などに逃げ遅れた人が居なくなったのを確認し、避難所へ行こうとした時、空から虎が降ってきたのだ。

(この虎って......まさか)

 恵は直ぐに判った。姿も変わり、ヒトとしての知性を失ってもなお、その中にある確かな存在に。
 そして、それは妹である早織も同様だった。

「待っててください、兄さん......直ぐに、直ぐにお医者さんに診せますから」

 昼間に弾虎と出会った時に感じたモノ。それが確信へと変わった瞬間だった。

 走り出す二人。
 しかし、『蛇』は獲物を逃さない。

「フシュルルルルル......」

 山の様な体を揺すり、嗤うように息を吐き出す赤竜。
 その四十の瞳は、二人の少女と黒き虎を捉えていた。
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