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エリオットのことを

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 一時間後、二人は山を降りた。
 エリオットの肩には狩った獲物が担がれている。
 僅かながら可哀想にという想いが残っているが、撃たれた直後に比べると薄れていた。それはエリオットの獲物に対する懇切丁寧で真摯な姿勢を見てきたためだ。
 エリオットといると不思議な気持ちになる。
 傲慢であるかと思えば、謙虚。逞しいかと思えば、繊細で、そしてどんな小さな生命も大切にできる人だった。
 別荘に戻り、エリオットが拵えてくれた鍋をつつきながら、成彦は胸を押さえる。高揚する心臓の鼓動と相反し、自身の不甲斐なさに心が重たく感じてしまったのだ。

「しかしやっぱり、僕とエリオット様は全くもって違うと思います」

 唐突に、成彦はそう言わずにはいられなくなった。
 エリオットが驚いたように顔を上げる。

「どうしたんだ?」

 飲みかけの葡萄酒のグラスを置くと、立ち上がって成彦の横に来る。

「ん?」

 成彦は頬を撫でられ、その状態から顎を持ち上げられて上を向かされた。
 答えの続きを求めて視線で促され、重たい口をゆっくり開けた。

「今日を過ごしてよく理解したのです。エリオット様は僕と違って、何においても選ぶ権利を持つ側の人間であるということを。これまでもご自身で人生を切り拓いて来られたのでしょう? けれど僕はオメガ、僕の生きる世界は狭い。少しでも良い条件で選ばれる為に、アルファの手の囲いの中で右往左往するしかない」
「成彦よ、本当にそう思っているのか?」

 エリオットが真剣な面持ちで訊ねる。

「エ、エリオット様・・・怒っていらっしゃるんですか」
「ああ、怒っているな」

 成彦が眉を八の字に下げ目を白黒させると、大きな溜息を吐かれる。

「困った子だ」
「申し訳ございません・・・僕が至らないばかりに」
「そうではない!」

 項垂れた成彦にピシャリと厳しい声が飛んだ。

「ひっ」

 成彦は肩をすくませる。エリオットは表情を和らげ、腰を屈めて目線を下げた。

「なぁ、成彦、君もこうやって、自分ひとりの力で生きていけると思わないか?」
「えっ、自分の力で・・・・・・?」
「そうさ」

 優しい口調で問われ、成彦は小首を傾げる。

「成彦は私と同じ人間だろう。お前たち・・はオメガだとかアルファだとかを気にし過ぎなんだ」
「他にも僕のような人間を知っているんですか」
「・・・ああ。私の父も己れのバース性に囚われている」
「父というからにはオメガというわけではないですよね」
「もちろんだ」

 エリオットが被りを振り、目を伏せる。

「父はアルファだよ。だが、アルファなのだからと当たり前のように強いられる期待に潰れてしまった。父が使えなくなったとわかった途端に、一族の目は私に向いた」

 それから急に頼りなさげな顔をしたエリオットに、成彦は胸が締めつけられた。

「本当はね、十松家との交渉を理由に逃げて来たんだ。祖国から遠く離れたニッポンにね」

 そう白状してくれたエリオットはまるで子どものように心許なさそうで、ますます我慢ならなくなる。

「エリオット様・・・・・・」
「おっと、成彦?!」
「ごめんなさい、でも、抱き締めたくなってしまったのです」

 ぎゅううと、成彦はエリオットの頭を胸に抱いていた。明るいプラチナブロンドの頭髪が鼻をくすぐり、胸に湧いたこそばゆさを隠してくれる。
 エリオットがこの話を打ち明けてくれたわけがわかった気がした。
 成彦に弱いところを見せてくれたのだろう。
 アルファもオメガも同じ人間であることを示してくれたのだろう。
 自分自身も弱いと———。しかしそれでも、彼は、この人は、強いアルファだ。強くて、優しい、愛おしいアルファだと思えた。

「だからですね、そのために僕に近づいた。わかりやすい罠に引っかかったふりをした?」

 成彦はエリオットの髪を撫でながら問うた。
 腕の中のエリオットがぎくりと肩を震わせて身じろぎする。

「ふふふ、色々とお詳しいので、もしかしたらと。何事も入念に下調べをされる方が、オメガの子を持つ父の策略を予期できなかったというのは奇妙な話なので」
「ああ、そのとおりだ」

 エリオットは認める。

「策略にのって、僕のことを抱くおつもりだった?」
「最初はそのつもりだったよ。何もかもどうでも良くて。けれど自分の都合のために君を巻き込むのは間違っていると考えを改めた。純粋に君のために何かできればと思った。結果的に家の威光に頼ることになっても」
「それは、僕が運命の番だったからですか?」

 ずっと心に引っかかっていたことを口に出す。
 あの瞬間、エリオットと自分が運命の番だとわからなければ、エリオットは選択を変えなかったのではないのか。
 ただのオメガに、同様の価値を見出してくれただろうか。
 
「そうか。すまない」

 エリオットは成彦の腕を抜け出し、真正面から目を見つめる。

「私の言葉が成彦を傷つけているとは思わなかった。後出しで何を言ったところで信用してもらえないかもしれないが、たとえ運命の匂いを感じなくても私は同じ選択をしただろう。それは私の命に誓っても宣言できる」
「貴方を信じてもいいんですか・・・・・・?」
「どうか信じてほしい。もしも今すぐに信じられなくても、これから先の一生をかけて証明しよう」
「一生・・・・・・」

 それって、つまり。
 成彦はあまりにも大仰なプロポーズを受けて、胸いっぱいになった笑みが溢れ出してしまった。

「ぷっ、ふふふ」
「成彦・・・? 笑わないで、ひどいな」

 出逢って初めて、完璧な男が狼狽える姿を見た。

「ごめんなさい、僕の欲しかった返事をくれてありがとうございます」

 笑った後は目の前が滲んでくる。

「僕は父にとって良い子でいるのを今日でやめます」

 成彦は思い切ってエリオットの手を握り、自らの腰に導いた。

「抱いてください。覚悟ができました」
「成彦、もう少し待とう」
「いいえ。だってどんな手段を使ってでも、僕を連れ出してくださるんでしょ? それにもし良くない結果になったとしても平気ですから、綺麗な身体ではなくなった僕に貰い手がつかなくても、僕はもう知りません。父も兄も、貴方も、御上に罪に問われて一緒に地獄に堕ちてしまえばいい。・・・・・・と、ひどく捻くれたことを今は思ってしまうのです」
「おや、清楚な見た目では想像のつかない言葉を吐くね。成彦はいけない子だ」

 エリオットがくつくつと喉を鳴らした。

「でも悪くないね、おいで。だがひとつ、訂正だ。成彦が綺麗じゃなくなるなんてあり得ない。私は君となら喜んで地獄に堕ちたい」
「僕が運命の番だから?」
「成彦、そのことはもう」

 言いかけたエリオットの唇を成彦の方から塞いだ。

「エリオット様に身を委ねたい」

 ごくりと、エリオットが余裕の笑みを引っ込め、生唾を飲み込んで喉を鳴らす。

「後悔しないかい?」
「・・・・・・うん、させないで」

 成彦は潤んだ瞳で見上げながら、強い意志を込めてそう伝えた。
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