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英国編

ロンドンにて

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 ロンドン到着後、鉄道から車に乗り換え、バッキンガム宮殿の門扉で車が止まる。
 
「おつかれさまでございます。お降りください」
 
 エリオットのためにドミニクが、成彦のためにセイがドアを開けてくれる。ロンドン訪問にはドミニクとセイが付き人として同行していた。
 
「あ、ありがとう」
 
 外へ出ると、エリオットが成彦をエスコートする。差し伸べられた手を取り、成彦は夢見心地がさめないまま宮殿内に足を踏み入れた。
 造り上げられてから時が止まっているのかと思うほどに美しく磨かれた宮殿の中。直立している衛兵や行き交う使用人は緊張で目に入らない。絨毯の敷き詰められた廊下を歩き、招待客用の部屋に案内されるのかと思っていたが、玉座の間に通された。
 玉座の間で成彦たちを迎えるのは女王陛下、そして隣にいる子はパトリシアだ。後ろに控えるのはジョンだった。

(そういうことか・・・・・・)

 成彦が腑に落ちると、パトリシアが駆け寄ってくる。

「お兄ちゃん!」
「パトリシア・・・王女殿下様」

 彼女を抱き止めたはいいが、護衛のジョンの目つきが厳しくなったので、そろそろと手を浮かせた。
 パトリシアはこっちに来てと成彦の手を引く。成彦が女王陛下の前で足取りをゆるめると、背中を押されてしまう。

「お母様、この男性が成彦よ。私の命の恩人です」

 パトリシアに紹介され、成彦は慌てて膝を折った。

「お初にお目にかかります。十松成彦でございます」
「ええ知っていますよ。そちらにいるエリオット・サテンスキー侯爵の番であるとか」

 女王陛下が玉座に腰掛けたままふわりと微笑む。

「突然お呼びだてして申しわけなかったですね。あら良いお召し物だこと。私の好きな色だわ。侯爵はよく覚えているものね」
「お褒めに預かり光栄ですよ、女王陛下」
 
 エリオットが答えると、女王陛下は「うふふ、あなたのことは褒めてないわ」と上品にあしらう。
 それから女王陛下が口にした話によると、事件の日パトリシアはどうしても汽車に乗りたいと言い張り、ジョンと(パトリシアには内緒で身守り役の使用人で車両を固め)、お忍びであの場にいたところ遭遇したのだという。身なりのいい客が多かったのはそのためだった。

「娘のために身を呈してくれたことを感謝します」
「とんでもございません。当然のことをしたまでです」
「謙遜なさらなくてよろしいですよ。そこで娘と約束しました。成彦にナイトの位を授けましょう。オメガでなければ男爵位をと思いましたが、決まりですのでごめんなさいね」

 驚く間もなく、パトリシアが「成彦は私の騎士になるの!」と嬉しそうに言う。

「え、しかし」

 失神してしまいそうな衝撃を受けるが、それより先ほどからジョンの視線が痛い。

「パトリシア様」

 エリオットがパトリシアの前で跪いた。

「申しわけありません。彼をあなた様の騎士として差し上げることはできません」
「どうして?」

 首を傾げるパトリシアにエリオットは「愛しているからです」と誠実に応じる。

「彼はすでに私の大切な番なのです。ですので彼はあげられません。どうか返していだけますか?」

 パトリシアはわずかに涙ぐんだが、口を結んで頷いた。

「わかったわ。それに成彦はモノではないものね。あげるとか返すとか私たちが決めたらいけないわ」
「ありがとうございます王女殿下。さすが心がお綺麗でいらっしゃる」
「もうっ、そういうの要らない!」
 
 ぴょんとドレスをひるがえさせ、パトリシアがジョンにぎゅっと抱きついた。
 ジョンは主人に頼られまんざらでもなさそうだが、エリオットは残念そうに肩をすくめる。
 誰にでも好かれそうな人なのに、女王と王女には散々な態度を取られているのがおかしい。
 しかし成彦は笑えなかった。
 
「この後はぜひ晩餐会にいらして。あら? 気分が優れないかしら?」

 女王陛下が成彦の曇った顔を見やった。

「ナイトの称号をいただいていいのでしょうか。僕はただ、なんというか、偶然が重なった場に居合わせただけなのに」
「そうね。けれど偶然のあの場に居合わせた人間は他にもたくさんいたわよね。でも娘を守って宮殿に呼ばれたのは成彦だけだわ。意味がわかるかしら」
「どうでしょうか」

 わかるような。わかってはいけないような。成彦は自身の自信のなさにため息がつきたくなる。

「私は偶然や奇跡という言葉が好きではないの。生まれの違いはあるかもしれないけれど、幸せになっていく道すじが必ずあるはずなのよ。大事なのは幸せに導いてくれる人がどれだけ自分の周りにいてくれるかなの」

 女王陛下の話に、娘のパトリシアがぴょこんと顔を上げた。

「周りの人を大切にしなさい、よね。お母様?」
「ええ。ひとりの幸せが次の幸せを紡いでいくのよ」

 成彦が目を瞬かせると、パトリシアが「あのね!」と教えてくれる。

「お婆ちゃまから教えてもらった古い童話の話よ。人の親切にはありがとうを言って、その倍の倍のお返しをしなきゃいけないの。そうしなきゃ自分の半分がお空の雲になって消えちゃう」
「えっと」

 成彦はふんわりした大雑把な説明に余計に瞬きの回数が増えた。

「それじゃわからないわパトリシア」

 女王陛下が苦笑し、娘の話を主人公のお姫様が周りの人間を信じられなかったせいで身を滅ぼしてしまう童話なのだと言い直す。成彦はこの童話が母の昔話とドミニクの言い伝えに通じているように感じた。

「話がそれてしまったわね。童話の話はまた晩餐会の際にしてちょうだい。私が成彦に伝えたいのは、本当に奇跡と偶然があったとしても幸せを掴めるかどうかはその人の生き方しだいだってことなのよ。成彦が今回偶然に出くわしたのもナイトの称号を得る結果になったのも成彦自身で掴んだことよ」
 
 成彦はまだ受け止めきれないでいたものの、パトリシアがそばに来ると袖を引く。

「私からのありがとうは嬉しくない?」

 泣きそうになりながらそう言われては、大慌てで首を横に振る。

「とんでもございません。嬉しいです。ありがたいお話なので僕の心の準備が整っていないのです」
「嬉しいだけじゃ称号を受け取れないの?」
「だって、僕がナイトに見えますか?」

 エリオットが見ている手前、オメガの僕がと口にするのは避けたが、パトリシアの思っているほどシンプルじゃない。ややこしくしているのは成彦自身。でも実感のないものを受け入れるのは難しかった。

「これからナイトになればいいじゃない!」

 パトリシアの返答は単純明快だ。

「オメガの騎士、素敵だわ!」

 そして惜しげもなく成彦が避けた言葉を口にする。

「パトリシア様のおっしゃるとおりだ」

 肩にエリオットの手がのる。
 そうなのかもしれない。
 その程度・・・・であることに、成彦は救われた思いがした。パトリシアの口から溌剌と述べられた「オメガ」そして「騎士」は同じ軽さであり重さだった。
 成彦は誰よりも自分を偏見に満ちて見ていたことに気づかされ、自分がどれほど傲慢だったのだろうとも思った。
 毎日の生活に精一杯の子どもたちは生き方を考える余裕すらない。自分の境遇にうじうじしている暇があるのなら、他に考えることがあったじゃないか。

(僕にしかできないこと見つけた)

 積み重ねてきた人生は成彦のものであり、現在地点から見える景色は自分の目に映ったこと。自分だからこそ見つけられたと信じたい。

「ありがとうございますエリオット様。パトリシア王女殿下様。女王陛下様」

 肩に置かれたエリオットの手のひらが、そう思う成彦を強くしてくれた。
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