ラブドール

倉藤

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ロイシア国の公爵《プリンス》のこと

49 執事のふり

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「しかしその痕を見られたら、いくらヴィクトル様でもお気づきになるかと。どう誤魔化すおつもりでしょうか」
「これから考えるんだよ」
「それは殊勝なことですね」

 ロマンの皮肉を譲は鼻で嗤った。

「ああ、だから窓の外を眺めてる。ぼけっとしてるんじゃないからな」
「一応信用しておきます。かしこまりました」

 憎まれ口で終わったが、二人はお喋りをやめる。
 譲は静けさと雨音に包まれて眠りこけてしまう前に、何とか解決策を捻り出した。
 その夜、ヴィクトルの帰宅を待っていた譲の部屋をロマンが訪れる。

「公爵が帰ってこられなくなったのか?」
「いえ、間もなく帰宅されます。ただ、人を連れてこなければならなくなったと」
「ひと・・・じゃあ、俺は地下牢に移動する?」

 そう訊き返した譲に対し、ロマンは手で否を示した。

「譲様にも同席して欲しいとの通達がございました」

 譲は目を見開く。聞き間違いでないかと思った。

「寝巻きに着替えさせてしまった後で申し訳ありませんが、客人を迎えるためにお支度を整えましょう」
「う、うん・・・頼んだ」

 ロマンが着替えを取りに一旦部屋を出て行く。
 どういった風の吹き回しなのか。戸惑う譲のもとにロマンが戻ってくる。その手に抱えられていたのは、見たところ執事服だ。シルクの蝶ネクタイが腕にかけられている。それらに手早く着替えさせられると、太腿のベルトを残して枷を全て外された。

「いいですか。譲様は私の下で働いている使用人です」
「へぇ、そういう設定でいくわけか」
「はい。どうやら絵画クラブの一連の出来事をご存知の方のようです。譲様のその後をどうしても知りたいと、ヴィクトル様に執拗にまとわりついておられるのです。譲様は余計なことを仰らずに僕の指示に従って下さい」

 簡単な仕事の説明をされながら、譲の髪に櫛が入れられ、手際良く後ろに一本で括られた。譲は渡された手鏡越しにロマンを見やる。

「了解。けど断れば良かったのに。ヴィクトル=アゴールは最高位の公爵様なんだろ?」

 ロマンがふっと溜息を吐き、厳しい眼差しで譲の目を見つめ返した。

「できなかったということですよ」
「貴族社会は複雑なんだな」
「その通りでございます。さあ、完成です」

 ぽんと譲の両肩に手が乗る。

「それと、ご安心下さい。貴族の方と聞いておりますので猪羽教授ではございません。単なる興味本位でしょうから、今夜限りの辛抱です。宜しくお願いしますね」
「わかった」

 譲は今夜だけ松葉杖の使用を許され、久しぶりに自分の力で立ち上がり、屋敷内を歩いた。筋肉が衰えてしまっているため、上手く足腰が立たず腕も震えてしまうが、自分一人で移動ができるのは嬉しいことだ。譲は懸命に自身の身体を支え、ロマンのあとについて歩く。
 ロマンが客間の前で立ち止まった。

「この部屋でお客様をお迎えしましょう」
「うん」
「人前では返事の仕方に気をつけて下さい。いいですね」
「・・・ごめん。かしこまりました」

 客間ではすでに客を迎える準備ができあがっており、円卓の上に料理とワイン瓶が並べられている。
 譲は「ここに」と指示された出入りドア付近で待機する。

「もうすぐです」

 ロマンが腕時計をチラッと見ると、まさにジャストなタイミングでヴィクトルが帰宅し、玄関ドアのベルが鳴った。

「できる限りで構いませんから背筋を伸ばして、お客様とは目を合わせないように。返事は我々・・・ヴィクトル様と僕に頷くだけでお願いしますね」
「はい」

 役に立ちそうもない使用人のふりに意味があるとは思えないが、深く考えている間もなくヴィクトルが引き連れてきた客人の影が廊下に現れる。前回は大勢が押し寄せてきていたが、意外にも客人は一人だった。

(こんな男あの場にいたっけな・・・・・・)

 第一印象の感想はそんなふうだ。
 若い痩身の男は灰色のスタンドカラージャケットに身を包み、片眼鏡をかけていた。胸元を飾るループタイに使われているのは鰐の目のような怪しい黄色の宝石。
 髪は涅色だった。暗い髪色なので、印象に残っていそうなものだがと譲は首を捻る。
 男は譲に目を向けると、薄い唇を吊り上げて微笑した。
 前髪が長くて、胡散臭い笑顔に拍車がかかっている。

「譲は私の横に座りなさい。いいね?」

 ヴィクトルの声には牽制する響きがあった。

「ロマン、エルマー卿をご案内しなさい」
「承知致しました。エルマー様こちらへ」

 ロマンが壁際から進み出ると、男は低姿勢で応じる。

「どうもありがとう。いやさすがアゴール公爵家。調度品から執事に至るまで何もかも素晴らしいですねぇ」

 陰湿な外見のわりに、滑らかによく喋る男だ。
 ロマンに案内されて男が席に着くと、譲の腰にヴィクトルの手が回った。

「おいで、今日は急にすまなかった。その服装もとても似合っている」

 譲はこっそりと囁かれて耳を赤くした。

「い・・・いえ」
「可愛い譲、あの男を帰したら今夜はこのまま抱く。覚悟しておいてくれ」

 おどけた声で言われる。ヴィクトルはスッと譲の髪にキスすると、自らも譲を連れて席に着いた。
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