銀色九尾な孤の彼と

山法師

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始まりの日

30 風呂から上がって気がついた

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「久方ぶりの風呂だった。感謝する、凪咲」

 ソファでスマホを操作していたらリビングのドアが開いてユキの真面目な声が聞こえたので、返事をしようと顔を上げた凪咲は、

「世話になる身で不躾だが、いくつか気になることがある。答えたいものにだけ答えてくれ」

 真剣で心配そうに自分を見ているユキと目が合い、返事や質問の意味を尋ねる前に、

(え?)

 目で追えない速さで目の前に来たユキに、目で追えない速さであぐらになった足の間へ右を向くように座らされ、

(え? え??)

 優しく抱きしめられ、九本ある尻尾全部で包みこまれ、体も心も温まる回復までされ、また混乱する羽目になった。

 スマホも落としてしまったが、膝の上に落ちたので無事だろう。

(それはそれとして、何?)

 混乱している凪咲の頭まで撫でてきたユキは、怯えさせないようにと気をつけている雰囲気の声で、

「この建物、凪咲がひとりで暮らすはずだったこの場所は」

 三階建てに見えていたが、地下にも空間があるのか。

 聞かれた内容に、凪咲の体が反射的に強張った。

 凪咲の頭を労るように撫で続けるユキが、

「答えなくていい。そのまま聞いていてくれ」

 労りと優しさと思いやりを込めた声で、静かに話していく。

「凪咲が支度をしてくれた風呂のおかげでだろう、幾分か余裕を取り戻せた」

 余裕を取り戻せたから、気づけた。

「それ以前に気づくべきだったが」

 三階も、地下の空間からは、より強く。

「不穏に思える気配が感じられる。──俺が借りている」

 洋装、洋服からも、とても弱いが似たような気配を感じる。

「建物全体も、恐らく屋外も」

 かなり弱々しいが、不穏な気配が──まるで、染みついているように感じられる。

「読心に近い力を持っているらしい凪咲が、気づいていないとは思えなくてな」

 お前がひとりで暮らすはずだった、そして今は。

「お人好しの凪咲が、俺に『好きなだけ居ていい』と言ってくれた、共に暮らすこの場所の」

 不穏な気配を祓うことは、凪咲のためになるか?

(はらう)

 幸せすぎて死にそうなユキの腕の中に居る凪咲は、混乱と動揺と恐怖を覚えて止まっていた思考を──壊れかけた古い機械を壊してでも動かすように──無理やり働かせる。

 はらう、払う、……祓う?

「……祓う、の……無理に、消すって……意味なら……ダメだよ……」

 死にそうなほどの幸せを感じる腕の中、申し訳なさで震える凪咲は、視線を落として消え入りそうな声で訴えた。

「わかった。気配を祓うのはやめる。今は気配の話もしないほうが、凪咲のためにもなるように思える。すまない、気分を悪くさせた」
「ユキが……謝ること……ないから……俺より……ユキのが……」

 気分を、悪く。

「服……着物に、着直したほうが、いい……? ここじゃない、違う場所で、暮らしたいなら」

 少し、時間はかかるだろうけど。

「たぶん、できるよ。そこで、好きなだけ暮らして。俺、ちゃんと毎日、ユキのトコに通う──」
「どちらも受け入れてやらん」

 心配している強い口調で断られ、優しく力を込めて抱きしめ直され、長い銀色の尻尾を九本全部動かして優しく包み直される。

「凪咲がここで暮らし続けるのなら、俺も共に暮らし続ける。洋装、服も着替えてやらん。この服は、お人好しで阿呆の凪咲が」

 不穏な気配を癒やして、ここまで浄化させてくれた服なのだろう?

 優しく慈しむような低い声で聞かれた内容に、凪咲は驚いて目を見開いた。

 凪咲の驚きを感じ取ったらしいユキが、どこか得意そうに喉の奥で笑った音を聞く。

「自分で言うのもなんだが、以前は『天狐』の階位、修行を積む狐の中で最高位を得ていた俺だ。見くびってくれるな」

 頭を撫でていた右手が離れたかと思うと、凪咲の顎にかかり、

(──え?)

 優しく丁寧に、自然すぎる動きで上向かされ──得意そうに微笑むユキから、額へ優しいキスをされた。

 呆気に取られた凪咲に、額から唇を離したユキは得意げに微笑む。

「阿呆なほどお人好しな凪咲が世話を焼いてくれたからこそ、気配をある程度読み取れるほどに力を取り戻せた」

 不穏な気配が癒やされて浄化された名残を読み取り、名残から誰が癒やして浄化したかを読み取ることまで。

「造作もなくできてしまえる。お前のおかげだ、お人好しで阿呆の凪咲が。不穏な気配を祓うのでなく、癒やして浄化してやろうとするとは」

 お前は、本当に。

「阿呆なほどお人好しだ、凪咲という阿呆は」

 得意そうに微笑むユキの、銀の瞳に慈しむ色がはっきりと映り、

(え、あ、)

 声も出せずに狼狽えかける凪咲の額に、ユキが優しいキスをする。
 狼狽える凪咲の額から唇を僅かに離しただけの距離で、ユキの遣る瀬無い声が、低く。

「俺を助けてくれるのだろう、ひとりで全てを背負う真似などやめろ。凪咲の阿呆が」

 そしてまた、優しく慈しむようなキスを、凪咲の額へ落とす。

 尻尾全部で包み込んで、回復までしてくれる、幸せすぎて死ぬ状態で。

 二度、三度、何度も、優しく慈しむようなキスをしてくる。

「あの、えと」

 狼狽える凪咲に構わず──むしろ、狼狽えているからこそ、キスをしているような。

 狼狽えさせて、面白がるのではなく。

(俺を)

 キスであやして、狼狽えるのを宥めているような。

 狼狽えて上手く回らない頭を働かせ、やっと理由が読み取れた凪咲は、

「もう大丈夫です! ちょっともうキスやめてくれるかな?!」

 右手で額を覆い、左手でユキの口を塞いだ。

 驚いたように目を瞬かせたユキが、訝るように銀色の瞳を眇め、心配そうに銀色の耳を揺らし、

「あっちょっ?!」

 顎にかかっていた右手で凪咲の左手を素早く丁寧に掴んで口から外し、

「大丈夫ではないだろう。訳の分からない虚勢を張るな、凪咲の阿呆が」

 呆れた声で心配そうに言いながら、左手を掴んでいる右手で凪咲が額をガードしている右手まで素早く丁寧に外し、優しく慈しむようにキスをしてくる。

 狼狽えるを通り越して、また混乱してきた凪咲は、

(背が高いから手もデカくて、片手で両手を束ねるなんて簡単ですってか?!)

 混乱する中、舌に乗りかけた皮肉をどうにか飲み込み、叫ぶように伝える。

「いやっ、ちょっ、だから! 訳分かんないのそっち! ユキだからね?! キスで宥めたりしないからね?! 昔は知らないけど! 現代じゃキスで宥めないから!」

 額へキスをした姿勢でユキが動きを止め、

「…………そうなのか?」

 唇を離し、不安そうな表情を凪咲に向け、どこか寂しそうに聞いてきた。

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