ただ君だけを

伊能こし餡

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一発の銃弾

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「今日、私の両親が駅に来ることを話していたのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

  ・・・・・・。

「グリーヂェ・・・・・・君だけだったんだ・・・・・・」

  そう、彼女だけだった。

  私の両親が亡くなったという知らせは、火傷を負った部下とほぼ同時に私の元へ訪れた。もちろん途轍もないショックを受けた。両親が亡くなったということもそうだが、最近流行っているテロルに巻き込まれたという方が遥かに私の心に重くのしかかった。

  ボリシェヴィキというテロル集団。国を暴力で変えようとする野蛮人共。そしてその爆破テロの標的は私たちのような貴族の者たち・・・・・・。

  奴らがいつ、どこに潜んでいるか分からない。分からないからこそ私は今日のことを同僚にすら話していなかった。両親にも「おおごとになるのは良くないから従者などは付けずにお忍びで」 と釘を刺した。更に用心を重ね、優秀な部下を護衛につけた。

  完璧なまでの情報の守秘。そう、完璧なはずだった。ただの一点を除いて。

  私の両親が来るということは、秘密裏に護衛を頼んだ部下と、グリーヂェにしか言っていなかった。そして盤石だったはずのテロ対策を成したはずの両親の旅行は、流行りの爆破テロによって終わりを告げた。つまり・・・・・・。

  グリーヂェ・・・・・・君だけは信じていた。この難しい時代で、君は綺麗なまま、汚れていないと思っていた。

「グリーヂェ・・・・・・言うことはあるか?」

  頼む。一言でいい、「違う」 と言ってくれ。「私はやっていない」 と言ってくれ。ただ一言、ただ一言言ってくれたなら、例え両親を奪ったのが君で、君が嘘をついていたとしても私は君を許そう。

  フォンブランド伯爵とその妻を含む市民十数人の犠牲への罪は法が裁く。だからせめて、私だけは君を許そう。

「フェリックス、私は」

  パァン!

  グリーヂェが口を開いたのとほぼ同時、ボリシェヴィキの一人が手持ちの銃を発砲した。幸いなんの訓練も受けていないだろうそいつが放った銃弾は私たちの部隊の誰に当たるでもなく、床に着弾した。

「クソッ!」

  パァン! ドォン! 

  その一回の発砲が引き金となり、この狭い酒場の中で銃撃戦が繰り広げられた。訓練された我が部隊と、訓練のほどこされていない農民たち、どちらが有利かは火を見るよりも明らかだ。それでもこちらの人間の何人かは倒れている。倒れている部下たちの傷口が致命傷ではないのを確認すると、私もそれに応戦する。

  パァン! パァン!

  二発で近くに陣取っていた二人の足を撃ち抜く。命まで取る必要はない。そして私の銃口が、グリーヂェの弟の一人に向く。・・・・・・こいつは腕の自由を奪うくらいでいいか。私が引き金に力を込めたその時。

「ムージャ! 危ない!」

  パァン!

  確かに私の銃から放たれた一発の銃弾が、弟をかばったグリーヂェの体へと吸い込まれていった。「うっ!」 っと彼女から聞いたことがない、どこから出ているのか分からない呻き声が聞こえた。

「グ、グリーヂェ・・・・・・?」

  彼女の足から力が抜けて、体が乱暴に床に跳ねる。胴体から血が噴き出て、手や足が痙攣けいれんしている。

「あ、姉貴? 姉貴! おい! あねきいいいいいいい!」
「ムージャ! ここはもうダメだ! 逃げるぞ!」
「姉貴! 姉貴がっ! おい! おい! 目を開けろ! 姉貴!」

  彼女の弟が必死に起こそうと体を揺さぶるが、揺らせば揺らすだけ、出血が増えて辺りが赤く染まっていく。

「ムージャ! 逃げるぞ!」

  パァン! パァン!

「姉貴! 姉貴! あね、うっ!」

  私の後方から発砲音が二つ。そこから放たれた銃弾はたったの二発で、的確に彼女の弟と、その仲間の心臓付近を撃ち抜いた。

「先輩、ダメですよ? ボーッとしちゃ。こいつら全員、殺さないとですよ?」

  血走った目でそう訴える部下を見て私はゾッとした。気がつくと私の前には死体の山が転がっていた。恐らくほとんどを部下がやったのだ。銃一個で、一つの根城を制圧したも同然なのだ。畏怖するのはおかしいことではないはずだ。

  いや! 今はそれより!

「グリーヂェ!」

  彼女の元へ駆け寄り抱きかかえる。鉄くさい血の匂いが鼻をつく。肢体が重力に従い、ダラリと力なく揺れる。

「グリーヂェ・・・・・・ああああああああああああああああああああ!」

  私が・・・・・・私が殺したのだ・・・・・・。気高き彼女を、この手で・・・・・・。

「うわあああああああああああ!」

  もうあの綺麗な歌声も、冗談交じりの笑い声も、苦笑いで酔っ払いに合わせる困ったような声も、店に行くと笑顔で明るくかけてくれた声も、もう聞けない。

「ああああああ! ううっ! グリーヂェ! あああああああああ!」

  私は何のために戦ってきたのだ・・・・・・。愛する人も守れず、何が軍人だ・・・・・・。
  何がロシアの未来だ。何が農民の暮らしだ。

  こんな時に嘆き哀しむことしか出来ないのか、私は。

「うっ・・・・・・フェリ・・・・・・クス・・・・・・?」

  私の腕の中で、か細い彼女の体が少しだけ動いた。
  生きている! まだ! 目の前でグリーヂェは生きている!

「フェリックス・・・・・・なの?」
「そうだ! グリーヂェ! 私だ!」
「そ・・・・・・か・・・・・・良か・・・・・・った」
「私は・・・・・・私はここにいるぞ! グリーヂェ!」
「あ・・・・・・いして・・・・・・る」
「私も! 私もだ! 愛してる! 愛しているんだ!」
「ふふ・・・・・・うれしい・・・・・・」

  グリーヂェは最後の力を振り絞って、自分と私の唇を重ねた。おそらく一秒にも満たない口づけ。しかし永遠か、それ以上に感じる、血と涙の味が混じった口づけ。そしてゆっくりと、私とグリーヂェの唇は離れた。

「グリーヂェ? グリーヂェ! うわああああああああああああ!」

  そうして彼女は動かなくなった。少しずつ少しずつ、体温がなくなっていく体を、私はいつまでも抱きしめていた。涙が渇くまで、ずっと、ずっと。

  しかしその時私は気付かなかった。店の隅でが動くのを。

「ああああああああ!」

  突如轟いた声の方を見ると、彼女のもう一人の弟が、ナイフを持って私の目の前まで迫っていた。憎しみと、悲しみに満ちた顔で。

  あぁ、いっそここで死んでもいいか・・・・・・。

「先輩! 危ない!」

  パァン!

  部下が放った銃弾は無慈悲にも弟の胸を貫通していった。私はその肉体が倒れるのを、ただ呆然と見ているだけしか出来なかった。
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