平行した感情

伊能こし餡

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第一章 春は出逢いの季節

楽しい?

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田中>今日不思議に思ったんだけど浅尾くんって美麗ちゃんのことは名前呼びだよね? 笑
  寝る前、明日の準備をしていると田中からLINEが入った。もうそろそろ日付けが変わるっていうのに元気だな。大方、さっきまでLINEしてた船井が寝て、その代わりに僕で時間を潰そうってところだろう。
  確かに僕は他人のことを基本的に苗字みょうじでしか呼ばない。下の名前で呼んで変に相手と距離が近いと思われたくないからそうしている。唯一ゆいいつの例外が星川美麗だ。今は特段とくだん仲が良いわけでもなく、中学の時からそう呼んでいたからその癖がずっと続いてしまっているというだけで、そこに大して深い意味はないと信じたい。
自分>別に深い意味合いはないよ、向こうも僕のことは名前で呼んでるし、合わせてるだけ
田中>へえー、じゃあ私が浅尾くんのこと蓮って呼んだら私のこと咲って呼んでくれる? 笑
自分>それは構わないけどさ、今更呼び名変えるのも面倒じゃない?
田中>うーん、確かに笑 なんか違和感ありそうだし、船井に怒られちゃう笑笑
自分>だろ?
自分>そろそろ僕寝るよ
田中>あー私も寝る
自分>おやすみ
田中>おやすみ
  星川美麗を下の名前で呼ぶなんてことは今に始まったことじゃない。なんなら中学の時にも僕があいつを下の名前で呼ぶのを、田中は何百回と見ているはずだ。だとしたら今日が特別気になったわけでなく、本当に暇つぶしのためにLINEをしてきたんだろうな。
『じゃあ美麗って呼んでよ、私も蓮って呼ぶから』
  ふと、過去の記憶がフラッシュバックした。少し忘れかけていた中一の冬が目の前に一瞬広がってはすぐに消えていく。
  私も蓮って呼ぶから、この後にあいつはなんて言ったっけ? 大事なことだったような気もするけど、丸三年の歳月さいげつが僕の記憶の引き出しを固めてしまった。
  星川美麗とは友達だと思う。仲が良いとか、男女の枠を超えたとか、そういう誇張こちょうする言葉が一切つかない、ただの友達だと自負している。
  そこまで頭で考えて何気なくスマホの画面に目を向けた。時刻は零時三〇分。そろそろ寝ないと朝が辛い。考えることをやめ、毛布とベッドの隙間に入って力を抜いた。
  明日もまた、変わらぬ日常がくることを疑わずに目を閉じた。


◇◇


  朝と夕方は冬服じゃないと寒い。昼間は冬服だと暑い。
  そんなゴールデンウィークも近づいた四月の終わり、よく晴れた日に帰りを待つバス停で、
「ねえねえ蓮、聞いてよー井沢いざわがね」
  なぜか星川美麗と二人。井沢というのはこいつの担任の先生のことだ。いや今そんなことはどうでもいい。
  田中と船井が制服デートするからとか言って僕が一人で帰ろうとした途端これだ。あの二人がどこかお洒落しゃれな店で仲良くティーカップを前にしている時に、なぜ僕はこいつと二人でバスを待ってなきゃならないんだ。
「それでね、私に当てられてね、もうビックリしちゃった。だって全然話聞いてなくてさ」
「今日彼氏は?」
  星川美麗の話を半ば強引ごういんさえぎるようにいるかも分からない彼氏のことを聞いた。どうせこいつのことだ、既に新しい彼氏を作ってるかもしれない。ちょっとした自戒じかいの念を込めて、星川美麗の現在の恋愛事情を予想した。
「あははー、まだ彼氏いないよ?」
  話を遮ったせいなのか、はたまた尻軽しりがる扱いされたのが気に食わなかったのか顔をしかめて遠くをにらみつけている。薄ら笑いを浮かべているが、内心おだやかじゃないだろうことは容易に想像がついた。
「蓮と二人で話すの、久しぶりじゃない? 中学校の時以来かも」
「そうかもね」
「いつも咲ちゃんと船井といるもんね」
「別にいつもじゃないさ、美麗が見る時に、たまたまあの二人と一緒なだけだろ」
「蓮も早く彼女作ればいいのに」
「そんな簡単に言うなよ、レンジでチンするだけの冷凍食品じゃあるまいし」
「えー、蓮はモテるからすぐ作れるよ」
  蓮はモテるから、本来プラスな意味を持つはずのその言葉が魚の小骨のように喉に引っかかる。
「僕は好きじゃないのに付き合えって? そんなの相手をバカにしてるよ」
  小骨が刺さったまま喉を動かしたせいで、それが喉元から落ちてきて体の中で暴れ回る。全身を、痛みにも似たなにかが駆け抜けた。
「あっはは、確かに、そうなるかもね」
  そんな無邪気むじゃきに笑うなよ、お前のことも言ってるんだぞ。誰とでも付き合うなんて、裏で何て言われてるか知ってるんだろう。
「美麗、そんなことしてて楽しいの?」
  長年疑問に思っていたことを自然な会話の流れで口に出した。
「そんなことって?」
「美麗は誰とでも付き合うでしょ」
「・・・・・・あー、それね、うん、楽しいんじゃないかな」
「じゃないかなって、他人事ひとごとだな」
「だってそんなのいちいち考えないし」
「そんなもんかねえ」
  口では疑問をていしながらも、まあそりゃそうかと心の中では納得した。楽しんでるんなら、僕からは何も言うまい。
  話しながらいじっていた携帯をバッグにしまい、バスが停まりドアが開く。
「あ、蓮」
「なに?」
「あ、ううん、やっぱりなんでもない」
  ? なんなんだ、まったく。同じバスに乗るのに呼び止めようとした意味が分からない。
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