黒猫の復讐はチョコレートの味

神夜帳

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第10話 豹変

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大地と同僚の小川が昼休みから会社に帰る途中のこと。

「あっ」

大地の横を歩いていた小川が、道の端に顔を向けたかと思うと小さく残念そうに声をあげた。
小川の顔と視線の動きにつられて、大地もその先に目をやると、雀が一匹横たわっていた。
ピクリとも動かないそれは、眠っているだけのように綺麗であったが、死んでいるのは明らかだった。
小川が近くによってしゃがみこんで、手のひらに拾い上げる。

「まだ、ちょっと暖かいわ」
「どうするんだ?」
「どっかに埋めてやるか。会社の前の花壇にでも埋めるか?」
「根詰まりするって怒られそうだな」
「端っこの方なら大丈夫だろ」

小川は雀をハンカチに包むと両手で大切そうに包んでいき、花壇の端っこに埋めた。
その様子が2カ月前の大地の姿と重なった。

「小川にこんな甲斐甲斐しい感性があるとは思わなかった」
「さぁ、俺にもなんでここまでしたくなるかわからないな。埋葬って人間だけの文化みたいだし、何かがあるのかもしれないな」
「雀が恩返しにきたりしてな」
「はははは。鶴の恩返しみたいなやつか? 雀は何をしてくれるんだろうな。だけど、そんなことはあり得ない」
「あり得ないか? やっぱり動物が人間になるなんてそうだよな」

大地は今自分の身に起きていることは、人が見ればどのように見えるのか、それを知りたくて遠回しに遠回しに小川に言ってみた。小川があり得ないとハッキリと断言した時、やはり、人に話すのはやめようと思ったが、次に小川が言った言葉にハッとさせられた。

「動物が人間うんぬんの前にな。斎藤、死者は絶対に蘇らないんだ。それがこの世の唯一絶対のルールだろ」
「そ、そうか?」
「神や幽霊の存在すらよくわかっていないのだから、人間じゃないものが人間に化けているというのはあってもいいと思うが、現実では死者が蘇ることはあり得ない」
「そう……だよな」
「この世に絶対なんて言葉はないと言いたいけど、生まれたら死ぬ、これは絶対だ」

小川がふっと寂しそうな顔をして、雀を埋めた場所を見つめていた。

(小川、もしかして大事な人を早く亡くしたのか?)

退職率が高めのこの会社としては、珍しく一緒に長く仕事をしてきた大地と小川ではあったが、振り返ってみれば小川のプライベートはよく知らなかった。小川には小川が主人公の物語があったのだろう。
少し、聞いてみたい気はしたが、そのあまりに寂しそうな顔に、声をかけるのは憚られて、やがて、二人で黙って会社に戻った。




「ただいま」

上司がブチギレてから仕事は減ったままとなり、今夜も21時には家に帰ることができた。

(こうやって当たり前にただいまって言うようになったことに違和感がなくなってきたな)

大地が玄関で靴を脱ぎ、家の中に上がろうとすると、奥からゆかりがパタパタと走ってきて、大地の顔を見てにこりと笑う。

「旦那様。おかえりなさい!」
「あぁ、ただいま」

大地はゆかりに笑顔で挨拶すると、そのままリビングへ行き、ソファに鞄を置いた。
後ろからついてきていたゆかりの笑顔が、段々と暗くなっていき、最後は冷たい無表情になっていることに大地は気づかなかった。

「えっ?」

ガン!

ボーリングの玉でも床に叩きつけたような激しい音がすると共に、大地の背中に鈍い痛みと、息が一瞬止まる思い、そして、いつの間にか天井を見つめている状況に、一瞬混乱するが、間もなく自分が凄い力で投げ飛ばされたことがわかった。
頭も打ったのか、後頭部がヒリヒリと痛んだが、なんとか上体を起こすと、そこには、無表情で目には憎悪の炎を浮かべて大地を睨みつけるゆかりが立っていた。

「まったく……人が一生懸命尽くしているというのに、お前と言う男は……」

怒りに震えた圧のある声は、確かにゆかりの声であるがまるで別人のようだった。
呆然として上体を起こすも床に崩れ落ちている大地のもとへ、ゆかりがゆっくりと歩み寄り、やがて目の前でしゃがみこんだ。

吐息が感じられるほど目の前に、ゆかりの顔がある。
まつ毛は長く、いつもなら愛らしい瞳は、憎しみに満ちて、冷たい氷のような表情で左手で大地のネクタイを握りしめギリギリと引っ張る。

「旦那様。何がご不満ですか? こんな可愛い女の子が、甲斐甲斐しく尽くしているというのに」
「なんのことだ?」
「そんな体中に、他の女の匂いをつけて帰ってきて、なんのことかとはどういうことでしょうか?」
「まっ待て! これは、違う。君が考えているようなものじゃない!」
「はて。旦那様のお仕事で、そんなに香りがつくほど身体を密着させるお仕事があるとは思いませんでした」
「違う。これは、男に振られた後輩を慰めていたら、急に抱きつかれただけで! なにもなかった!」
「一体、私に何が足りないのでしょうか?」
「おい。話を聞いてるか!?」

ゆかりは、左手でネクタイを締めあげながら、右手の親指の爪をギリギリと噛みはじめる。

「あぁ……。失敗した。失敗した。浮気なんて涼しい顔で許してやればいいのに。あぁ、いまいましい。こんなにも殺してやりたくなるなんて。あぁ、どうしてくれようか」
「待て、本当に何もなかったってば」
「何もなかった? 香水の奥から薫る女の匂いは、お前のことを愛してやまないって言ってますよ」
「なんの話だ!?」
「感情は匂いでわかるんですよ」
「だったら、俺が嘘を言ってないこともわかるだろう!?」

大地がそう言うと、ゆかりはガリガリと頭を掻きむしった。
頭皮を傷つけたのか、ぽたっと血が一滴垂れて大地の胸に落ちた。

「あぁ。こんな感情に振り回されるなんて!!! あぁ! いまいましい!!! お前を骨抜きにしててから捨ててやろうと思っていたのに!!!!!!」

「やはり、恨んでいるのか」
「あら? 思い当たることがあるんですか?」
「死者は蘇らない」
「え?」
「そうさ。君はあの時の猫と言ったが、俺が埋めてやった猫とは一言も言っていない。目を一回も開かなかった猫が俺の顔をわかるわけもない。ずっと、そうなんじゃないかとは思っていたんだ。でも、君があまりに可愛いかったから、目がくらんでしまった……」

大地は思い出してはいた。
でも、そうだとしたら、ゆかりの普段の愛らしい様子が結びつかなくて、敢えて結びつけなかった。自分のことを好いていて欲しかった。
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