上 下
87 / 91
第10章〈最終レッスン〉一周年記念パーティーにて

しおりを挟む
 話し終えた彼はわたしの背に手をあて、自分の席の隣に座るようにエスコートした。
 椅子を引いてくれる彼に微笑みかけ、わたしはゆっくり席についた。

 その席は、彼らの隣だった。
 
 会場は、とても和やかな空気に包まれていたけれど、隣の席だけは、とても気まずい空気が流れていた。

 桜庭乃愛は、わなわなと唇をかんでいる。
 まだ、わたしに鋭い視線を送ってくるけれど、こちらも強い視線で見返した。
 
 そのうち、取り巻きの一人がぼそりと呟いた。

「ふーん。散々、香坂さんが好意を持っているようなこと言ってたけど、完全な勘違いだったわけか、乃愛の」


 その言葉を耳にした彼女は、顔を真っ赤にして、もう一度立ち上がり、そのまま、会場を後にした。
 

***

 パーティーはそれから小一時間ほどで終了となった。
 ドアの前で見送りに並ぶわたしたちに、皆がお祝いを述べてくれた。

「おめでとう。本当に素敵なカップルですこと」

 光島さんがわたしの手を握って、祝意を示してくれた。
 とても温かな手だった。

「ありがとうございます」

 多くの方たちにこれほど祝福されるなんて、思ってもみなかった。
 本当に律さんの言ったとおりになったな、と思っていたとき……

「加藤さ、あ、香坂さんよね。今は」
 と声をかけられ、わたしは表情を引き締め、顔から笑みを消した。
 
 桜庭乃愛の取り巻きのうちのふたりだ。
 
「加藤でかまいませんよ」

 声をかけてきたのは、たしか、わたしより1年先輩の山守さんという人。

「ご結婚、本当におめでとう」
「ありがとうございます」
 堅い表情のまま、わたしは礼を口にした。

「実はね、わたしたち……」
 少し言いにくそうに、彼女は口ごもった。

 すると、もうひとり、同期だった井口さんが続けた。

「ずっと、加藤さんに申し訳ないと思っていて。会社を辞めるなんて考えもしなかったから」

 それには答えず、わたしは彼女たちを見つめていた。

「うちの父の上司が桜庭さんのお父上ってこともあって、彼女に頭が上がらなくて……いえ、彼女のせいにしてはいけないわね」と、山守さんが続けた。

「本当にとても心配だった。あなたを不幸にしてしまったんじゃないかと。だからあなたの幸せな姿が見られてとても嬉しかった。それだけ、どうしてもお伝えしたくて」

 どう答えようか、わたしは少しの間、思案した。
 それから、あらためて彼女たちに視線を向けた。

「……『もう、そんなこと、気にしないでください』とは、とても言えないです。それぐらい傷ついたことは確かなので。言いたいことはいろいろあるけれど、もう済んだこと。言わずにこの胸にとどめておきます。ただ、ひとつだけ……」

 その言葉に、彼女たちは表情を引き締めてわたしを見た。

「もう桜庭さんの言いなりにならないでください。どうか、もう第二のわたしを生み出さないでほしいです」

 ふたりは、もう何も言わずに深く頭を下げると、その場を後にした。

 わたしはしばらく、彼女たちの背中を目で追っていた。
 
 隣にいた玲伊さんが、無言でわたしの頭に軽く触れた。

 そのあたたかな感触が、「今ので良かったんだよ」と伝えてくれているように、わたしには思えた。
 
 
 
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

転生したら捨てられたが、拾われて楽しく生きています。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:11,858pt お気に入り:24,902

【完結】 嘘と後悔、そして愛

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14,846pt お気に入り:317

嫁いだら旦那に「お前とは白い結婚だ」と言われました

恋愛 / 完結 24h.ポイント:255pt お気に入り:1,707

転生テイマー、異世界生活を楽しむ

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:4,403pt お気に入り:2,201

つきせぬ想い~たとえこの恋が報われなくても~

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:56

【完結】愛とは呼ばせない

恋愛 / 完結 24h.ポイント:4,636pt お気に入り:6,671

処理中です...