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第1章 最悪の第一印象

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 人々の視線が一斉にその音のほうに向かう。


 そこにいたのは黒のタイトワンピースにトレンチコートを羽おった長髪のモデル級美女。

 ありったけの力を込めて男の頬を打つと、かつかつというヒールの音とともに去っていった。


 残された男はまったくうろたえる様子もなく、自嘲気味に口元を歪め、頬を軽く一撫ですると、改札口に向かうために踵を返した。

 えっ? 何、今の?

「映画の撮影かなんかでしょうか」


 先輩は大きくため息をつくと、言った。
「違う。木沢だ、あれ」

 えっ、本当だ。よく見たら鬼沢じゃん。
「また、なんかしでかしたのかな、あいつ」
 そういえば、沙織先輩、同期だったっけ。

 木沢彰吾。
 泣く子も黙るわが社の名物部長。34歳。独身。
 

 できる男、と社内にその名を轟かせている反面、冷酷で情け容赦ないという噂も。

 一度でもミスを犯した彼の部下は、地方に飛ばされるのか、いつの間にか姿を消すと、まことしやかにささやかれている。

 
 だから苗字をもじって、あだ名は〝鬼沢〟。
 ただし、超がつくほどの〝男前〟でもある。


 生来の精悍な顔立ちに加えて、大人の男の渋みも加わって「あの目でにらみ殺されたら本望」という女子社員が多数いるのも事実。


 わたしは微塵も興味ないけど。女をもてあそぶような男はごめんだ。

 今だって、絶対、鬼沢に非があるに決まってる。


 って、こっち来る。

 わー!
 わたしは思わず沙織先輩の陰に隠れた。
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