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第三章 溢れる想い、深まる苦悩

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***

「お姉様、御気分はいかがですか」
「来てくれたのね、桜子」

 寝台の背にもたれて座る姉の顔色は青く、辛そうな様子だ。


 銀座で秘密の逢引をしたその週の日曜日。

 家で読書をしている最中に、姉が緊急入院したと中島家からの使いがあった。

 その知らせに背筋が冷えた。
 もしや赤ちゃんに何かあったのだろうか。
 
 取るもとりあえず、今、母と病院を訪れたところだった。


 幸い、姉も胎児も無事だった。

 姉は今朝、腹痛を覚え、出血もあったので病院に駆け込んだそうだ。

 医者の診断はしばらく安静にしていれば大事には至らないとのことだった。

 その話を聞き、ようやく、ほっと息をつくことができた。

「忠明もすぐに来ますからね。先程電話で知らせておいたから」
 中島侯爵夫人が姉の手を握ってそう言った。

「ありがとうございます。お義母さま」
 姉の顔がほころんだ。

 こんなとき、そばにいてほしいのは、愛する人なのだろう。

 でも、わたくしが病気になっても、天音についていてもらうことはできないのだ。

 考えてはいけないと思いつつも、桜子はつい、自分と姉の立場を比べてしまう。



「奥様、桜子さん。ほっとしたら喉が渇いてしまいましたわ。ご一緒に階下の喫茶室に参りませんこと?」

 侯爵夫人が母と桜子を誘った。

 けれど桜子は「もう少し姉のそばにいたいので」と、丁重に断った。

 二人が出て行ったあと、桜子は腰かけを寝台のすぐ横に近づけた。

 病室の窓から晴れた空が見える。
 透き通るほど青い空を、鳥がくうを切って飛んでいく。

 鳥のように自由に、自分の行きたいところに行ければ、どんなに良いか。

 桜子はしばらく目が離せず、じっと鳥の行方を追っていた。
 
「桜子」
 名を呼ばれ、桜子はゆっくりと姉に視線を向けた。

「ねえ、桜子。貴女、何か悩みがあるのではない?」

「どうして、そんなことをおっしゃるの」

「先日の舞踏会のときも浮かない顔をしていたから気になっていたのよ。今日も表情が暗いわ。わたくしより貴女のほうが病気なのではないかと心配になるぐらい」
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