【完結】『ルカ』

瀬川香夜子

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一章

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 カタリとカップを並べると音が鳴った。その微かな音も、静かなキッチンにはよく響いた。
 普段はソニーとクロの二人で向かい合って座っている四人掛けのテーブルには、今は見慣れぬ赤髪の男も座っている。

「ありがとう」

 朗らかな笑みと共に告げられてクロは首をすくめるようにペコリと頭を下げた。
(さっきとは別人みたい……)
 初めの取り乱した姿はすっかり落ち着いて、青年は静かに腰を下ろしている。ピンと伸びた背筋と物腰の柔らかな声と笑み。
(これが品を感じるってやつなのかな……)
 三つのカップを並べ、そそくさとソニーの横に収まる。向かいの青年はずっとクロのことをその瞳で追っていたのか正面を向くと視線が交わった。
 切れ長の瞳が緩み、クロのことを窺うように首が傾く。フワリと癖のある赤髪が白い肌を舞う。
 どうしてだか胸が忙しない。この人を見ているとずっとそうなのだ。
(もしかして、この人との再会を喜んでいるとか……?)
 記憶になくともやはりどこかで覚えているのだろうか。だってこんなに青年の笑みに心がざわつく。

「で?お前はこの子の知り合いなのかい?」

 話を切り出したのはずっと青年をジロジロと眺めていたソニー。

「ハリス・ソルバージュと言います」

 それに赤髪の青年―ハリスが胸に手を当てて僅かに上体を倒す。大げさな程に丁寧な所作なのに、彼にはそれが随分と似合っていた。

「彼、リアとは以前から知った仲ではあります。しかし……どうやら君は覚えていないようだけれど……」

 申し訳なさで身体が小さくなる。どうやら、リアと言うのがクロの本来の名前らしい。
 一度言葉を途切り、赤い視線をこちらに流したハリス。その瞳は残念な思いを宿しつつもリアを気遣うように目尻が垂れている。
(お手本のように綺麗な顔をする人だなあ)
 一つ一つの動きが美しいこの男に、この短い間でどれほど見とれたことだろう。「すみません」と反射的に返しつつも、心はどこか呆けている。

「アンタ、ガロメ教の人間だろう?」

 皺のあるソニーの細い目は鋭くハリスを射抜き、その言葉もまた今までリアが聞いたことのない冷たさを含んでいた。
(ガロメ教って何だろう……?)
 聞いたことのない言葉は今までの生活でも慣れたものだが、ソニーの雰囲気を見るにいい意味ではなさそうだ。
 その短い言葉の中で、正確に意味を読み取ったのかハリスは淀みなく述べる。

「ええ。しかし、私の知っているリアは黒髪ではありませんでしたので」
「なに?」
「え、そうなんですか?」

 初めてもたらされた以前の自身の情報に、つい言葉が漏れた。あっと口に手を当てるよりも早くハリスがそれに頷き返す。

「そうだよ。君は今とは正反対の真っ白な髪をしていたんだ」

 ハリスの目が細くなる。まるで懐かしむように今のリアの黒い髪をゆっくりと視線が撫でる。
 口元の笑みを消し、あまりにも恋しむようにジッと熱い眼差しを向けて来るものだから手持無沙汰に自身の髪を掬ってサラサラと落とす。変わってしまったことへの罪悪感だろうか。段々とハリスの瞳が、今の黒い髪を憎い物のように見ている気配すらしてきた。

「後天的な魔力疾患だっていうのかい?」

 そんなの聞いたことが無い、とソニーの声はいつもの掠れ具合とは別に震えが加わっていた。
(そんなにイレギュラーなものなのかな……)
 顔色を青くするソニーにリアも不安になる。そんな二人を前にしても、ハリスの態度はずっと変わらない。落ち着いた低い音で、リアたちに語りかける。

「魔力疾患は先天的なものがほとんど。あなたのいう通り後天的な患者など聞いたこともありません」
「だから」と前置きをしてハリスがリアを映す。穏やかな声に芯が入り、真剣さを増した声が向く。
「一度専門の病院で診て貰った方がいい。君の体に何が起きているのか調べて貰おう」

 ソッと手を差し伸べるような声なのに、有無を言わさない強さがあった。少しビクつきながら素直に頷く。
 それは正しい返しだったようで、ハリスは満足気に笑って同じように様に頷いた。きゅうと縮こまっていた心臓が息を吹き返す。
(……本当に不思議な人だな)
 穏やかで優しい雰囲気を持っているかと思えば、有無を言わさぬ圧力を感じさせる恐ろしさもある。最初に見た取り乱した姿も加わって更にこのハリスと言う人物が分からない。
(この人と以前の俺はどうやって関わっていたんだろ)
 想像したところで全く何も描けない。だって想像が出来ないのだ。何もかもが違うリアとこの男が仲良く言葉を交わしているところなど。
(思い出せば何か変わるのかな……)
 しかし、今のところ全くと言っていいほど記憶は戻らない。知り合いにあっても駄目だと言うのだからいよいよ望みが薄くなってきた。
 胸中で独り落ち込むリアを置いて、二人の間では話が進んで行く。
 生まれつきだと思っていたリアの魔力疾患が後天的なものだと知ったからかソニーは険しい顔でテーブルの木目に視線を落としている。そして、それとは反対に朗らかな笑みを浮かべたままのハリス。傍から見ていてチグハグな光景だ。

「確かに……病院で確認を取った方がいいだろうね……すでにアタシがクロを、いやリアを見つけてから二週間経ってる……なるべく早い方がいい」
「では、明日私と一緒にネバスの病院に向かいましょう。午前中に出れば次の日の昼過ぎには着くでしょう」

 ソニーは睨むようにハリスを見上げ、渋々だという体を隠しもせずに顎を引いた。

「リア、聞いてた通りだ。明日この男と一緒にネバスの病院に行ってきな。アタシじゃあの街まで行くのは骨が折れちまうからね」
「はい」

 急すぎるのではと聞くのは野暮なのだろう。

「そうなると明日は早くに起きることになる。今日は早めに寝た方がいいだろうね」

 ハリスがまたにこやかに言葉を挟んだ。
 確かに寝坊でもしたら大変だ。結構距離を歩くようだし睡眠はしっかり取っておいた方がいいだろう。
 急に色々と起こったせいか、空腹は感じずご飯を食べる気にもなれない。頭もお腹もいっぱいだ。
 いきなり以前の知り合いに会って次の日には街に向かう。なんとか理解はしているけれど、感情が追い付かない。
 夕飯はいらない旨を伝えれば、「じゃあ風呂に入って寝ちまいな」と顎で廊下の奥を指す。いつもならご飯は必ず三食べな!と言ってくるぐらいなのに。と思ったがきっとリアの混乱を見抜いているのだろう。
 チラリとソニーを覗いたが結局言葉は出さなかった。余計なことを言って怒られても嫌なので素直に「じゃあ」と席を立つ。
(さっきからずっと怖い顔してるんだもんなぁ)
 いつも和やかなわけではない。どちらかというといつも仏頂面なソニーだが、ハリスが来てからは類を見ないほどに恐ろしい。
(怒ってるわけではないと思うけど……なんだろう……ハリスさんのことが嫌いとか?初対面なのに?)
 内心で首を捻りながら頭を下げる。知らない間に陽は落ちて外はすでには薄暗い。
 「お先に」と後ろ髪引かれながらも退室する。二人だけを残して置いて行くのも、と戸惑ったが目が合ったハリスが「おやすみ」と笑うものだからそのままの流れで部屋を出てしまった。
(まあ、大丈夫かな……)
 どこか楽観的に考えながらリアは一度自室に寄って着替えを調達する。本当はもう少しハリスと話をしたかったが、明日からの道中で時間はたくさんあるだろうと呑気に浴室に向かった。



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