チェリー叔母さん

壺の蓋政五郎

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チェリー叔母さん 2

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 チェリー叔母さんが僕の首に抱き付いた。
「臭い、幸太郎臭い」
 二日間銭湯に行っていなかった。チェリー叔母さんは部屋中の臭いを嗅ぎ回る。そして二人で銭湯に行くことになった。風呂上がりに定食屋に入る。チェリー叔母さんは生ビールの小と野菜炒め肉抜きを頼んだ。
「お酒は飲まないんですか?」
「明日からショーだから控えてる。本当はこんなんじゃ足りないけどね。意外にすぐ太るんだ、腹出たばばあじゃ客もこないし」
 チェリー叔母さんがストリッパーであることを知ったのは高校生の時で父から聞いていた。ショックで眠れなかった。
「お前は、酒飲めるのか?」
「うん、強くはないけど仲間とたまに飲みに行く」
「幸太郎は大学出たら何するの?」
 まだ何も決めていなかった。やりたいことがなかった。
「田舎に帰ろうかな、田んぼ手伝おうかなと思っています」
 チェリー叔母さんが噴き出した。ビールが飛んで僕の顔に掛かった。風呂上がりのタオルで拭いてくれた。すごくいい匂いがした。
「今から考えることじゃないだろう幸太郎、小作の倅が戻って誰が喜ぶか、兄さんがお帰りって歓迎してくれると思うのか。お前に僅かでも仕送りしてくれるのはそういう事なんだよ」
 定食屋を出てアパートの前の公衆電話に入った。電話をしているチェリー叔母さんは泣いている。誰と話しているのか分からないが相槌を打つ度に涙が床に落ちている。僕は気を使い少し離れた公園のジャングルジムに登った。十分近い電話でその間ずっと頷いていた。
「湿っぽいなこの布団、それにこのタオルケットは臭い、昼間干しときゃよかったな、失敗したな」
「すいません」
「幸太郎が悪いわけじゃないよ」
 そう言えば順次兄貴はきれい好きだ、もしかしたらシーツぐらいあるかもしれない。
「夜分すいません、エアコンは明日来ますので今日一日だけ音は我慢してください」
 順次兄貴は笑って手招きした。
「姉御いるのか?」
「ええいます、それでお願いがあって」
「何だよ、水臭いじゃねえか、言ってみろ」
「あのう、布団のシーツとかタオルケットとかあったらお借りしたいと思いまして、いえ、無ければいいんです、すいません」
 順次兄貴は押し入れを開けてビニールに包まった布団セットを出した。
「客人のために用意してある。姉御に使ってもらえ、シーツもあるからもう一回取りに来い」
 持ち帰り布団を広げるとふわふわだった。「気持ちいい」とチェリー叔母さんは掛布団を丸めて股に挟んだ。
「どうした姉御?」
「ありがとうございます、布団丸めて股に挟んで喜んでいます。明日お礼に伺うと言ってました」
「股に挟まってって、布団になりてえ。それで幸太郎お前は何処に寝るんだ?」
「叔母さんは一緒に寝ようって言ってますけどどうしようかと思って」
 順次兄貴が両手を股間に当ててマサイ族のようにジャンプした。部屋を一周して僕の頭を叩いた。
「ばかやろう、姉御に手を出すんじゃねえぞ。姉御が手を出しても握らせんじゃねえぞ」
 またマサイジャンプが始まった。何かを抑えているようだった。こうしてチェリー叔母さんとの共同生活が始まった。叔母さんは翌日から仕事に出て帰宅するのは明け方で疲れているのかすぐに眠ってしまう。僕も初めは興奮して寝付けなかったが、時間の擦れ違いと叔母甥と言う親族関係を自覚しておかしなことを考えなくなった。たまに酔って帰宅して眠っている僕の股間をひねっては喜んでいた。でもそれだけでチェリー叔母さんはすぐに寝息を立てる。小さな鼾がまた僕を深い眠りに誘った。

 そんな生活が一か月続いた。新しいエアコンは快適で僕とチェリー叔母さんは満足していた。チェリー叔母さんがうちに来てから不思議と順次兄貴の部屋から麻雀の音が聞こえない。夕方順次兄貴が出掛けて行く。何となく元気が無い。エアコンの経緯を話したらチェリー叔母さんが十万を出してくれた。
「何で、早く言わなかったんだ幸太郎。いいかやくざにいいも悪いもない、やくざはやくざなんだ、やくざと言う生き方なんだ、もし厚意で金を貸してくれたやくざが、隣で誰かに刺されて、お前を頼って来たら、お前はその十万のせいで知らんぷり出来なくなるんだよ。これで茶菓子を添えて、ありがとうと返してこい」
 僕はチェリー叔母さんが仕事に行っている深夜、隣のドアの音がしたので茶菓子を抱えてノックした。鍵穴から覗いてるのが分かった。
「どうした、こんな夜中に?」
 順次兄貴は疲れているようだった。
「はい、すいませんこんな夜中に、ドアの音がしたので。これどうもありがとうございました」
「なんだこれ?」
 茶封筒を見て順次兄貴が言った。
「エアコンのお金です、もう一月以上経ってしまいましたが、ありがとうございました」
「姉御にそそのかされたな。お前よう、やくざになれねえぞそれじゃ、そんなことチェリーの姉御に言うか、まっいいや、これは預かっておく、ただしやくざが一旦出したものだ、これは生涯お前の金でいつでも引き出せる。やくざは何時まとまった金が必要となる時があるかもしれん、まっ、十万なんてはした金だが役に立つこともあるだろう。まあ幸太郎は残り一年半、しっかりと勉学に励んで卒業したらいいやくざを目指せばいいさ」
 何か勘違いしている。勉学に励むのは僕で、将来を決めるのも自分自身で順次兄貴にやくざに誘われる覚えはまるでない。しかしここでそれを否定しても兄貴の価値観を目覚めさせることは出来ない。世間から外れているけど、外れている所で筋が通っていて、聞いていると勘違いしてしまいそうな順次兄貴の価値観とその悟り方、注意しないとその道に迷い込んでしまう。しかしそれはそれとして顔色が悪いし元気が無い。
「余計な心配かもしれませんが顔色が良くないし、少し痩せたようですけど」
 思い切って心配してみた。順次兄貴は部屋へ上がるよう手招きした。相変わらず部屋は掃除が行き届いていた。ただ炬燵の麻雀牌が散らばっていた。
「姉御は井土ヶ谷の春風座か?」
「はい、空中ゴンドラで目が回るとぼやいてました」
「そうか姉御も若いったって三十だ、無理させんなよ。早く幸太郎が一人前になってお前のシノギで楽させてやれや」
 危ない危ない、思わず「はい」と返事をしそうになった。
「兄貴の体調が悪くてな、俺が代打ちに行ってる。それがさ、素人とは言えみんな上手くてさ、思うように上がらないのよ。兄貴に見舞いしようにも財布の銭は出たり入ったりで一向に増えない。何か俺自信無くしちゃってさ、お前にまで心配されるようじゃやくざ失格だな。それに来月大きな代打ちがあって、それまでに兄貴が治りゃいいが治らなきゃ俺が行かなきゃならない。素人相手じゃねえからさ、負けたら小指の一本じゃ済まねえ。それに兄貴の相棒は俺とじゃ組まないって、そりゃそうだろうよ、負けるの分かっていて組むわけないよな」
 よく分からないけど大変そうだ。
「それじゃ失礼します」
 それからも順次兄貴は夕方に出掛けて帰宅は明け方だった。依然麻雀の音は聞こえない。僕は大学が休みに入りずっとバイトばかりしていた。バイト代が多い七月八月は生活が楽になる。このまま学校に行かずにバイトだけしていればこの程度の生活水準が保てると可笑しな自信が備わった。大学を中退しても食って行ける、大学に行くと苦しくなると言うあべこべが悩ませた。
「学歴なんか役に立たないよ。そりゃ一流大学出て国家公務員とかになるなら別だけどさ、幸太郎君の通う大学程度じゃいいとこないんじゃないの、今は景気がいいからここで稼がなきゃ」
 酒屋の社長は人手が足りないものだから調子のいい事言ってこのまま僕を酒屋の配達員にするつもりだ。社長も奥さんもいい人だし他二人の配達員もみんな感じのいい人だった。卒業して上下関係に悩むよりここの方が気が楽である。それでもいいと思い始めていた。しかし僅かだが仕送りしてくれる両親に大学出て酒屋の配達に決めたと言ったらなんて言うだろう。酒屋の配達も立派だがわざわざ大学に行かずとも良かっただろうと嘆きそうだ。
「幸太郎、いつまで休みだ?」
 チェリー叔母さんが銭湯の帰りに訊いてきた。
「うん、九月いっぱいは休める」
「酒屋はいつまでやるんだ」
「まだ決めてないけどあてにされてる」
 あと三日で八月も終わりである。チェリー叔母さんとの同居生活も二か月が過ぎた。
「黄金劇場からまた井土ヶ谷の春風座に戻る、ウインチの運転手がいないらしい、お前やらないか、酒屋の倍は貰えるし姉さん達から小遣いが入る。昼夜やれば一万五千円ぐらいになる。九月いっぱいやってみるか」
 僕は二つ返事で引き受けた。とらぬ狸の皮算用、まともに働けば四十万以上になる。酒屋の社長は名残惜しい表情をしていた。
「教師になるために勉強するなら引き留めるわけにはいかないな、頑張れ、苦しくて食えない時があればいつでも来いよ、それぐらいの協力はする」
 肩を叩かれた。夫人は今時偉い学生だと涙ぐんでいた。まさかストリップ小屋でゴンドラのウインチ巻きをするとは言い出せなかった。

「いいか、簡単だ、このスイッチを見ろ、上と下しかない。上を押せばこっちに来る、下を押せば離れて行く。ただここが肝心だ、行き過ぎてもリミットが効いてゴンドラは停まる。だけどドンと停まるから乗ってる姉さんちは中で身体が滑る、それで酔う。だからリミットまで当たらないようにスイッチをちょんちょんと押して停めるようにする。俺が乗って見るから運転しろ」
 僕は春風座小道具担当の関さんから教わった。言われたように下を押すとゴンドラは離れて行った。押し続けていたらコンと音がしてゴンドラが揺れた。関さんがゴンドラの中で怒鳴っている。上を押した。会場の真ん中あたりで停めた。また下を押した。コンと音がして揺れた。関さんが指を回している。何の合図か聞いていなかった。クルクルパー?僕は自分の頭を差してクルクルパーをした。今度は指を僕の方に差した。後ろの壁を見ろと言っていると思った。立ち上がりコンクリートの壁を見つめて撫ぜた。関さんが呆れ顔している。
「ああ酔っちゃった、あのよ、大体の勘で分かるだろ、スイッチを押し続けたらリミットに当たりゴンドラが揺れるんだ。それで姉さんちは酔ってしまう。俺が酔うんだから女はもっと酔う。だから向こうに行きつく前に勘で停めるんだ。それと指を巻いたら上を押すんだ、掌を下げたら下を押すんだ。姉さんちも客のアングル考えて合図するから覚えておけ。間違えて上、すぐ下押すとゴンドラが揺れる、もっと酔う。そうだお前一回乗って見ろ、どんな感じか分かるから、百聞は一回乗るべし」
 関さんのギャグはくだらな過ぎて可笑しかった。関さんは僕をゴンドラに押し込んだ。ガラスのゴンドラ、初めて乗った。そうそう乗る奴はいない。関さんは仕返しじゃないだろうけどかなり乱暴に運転した。これに乗ったお姉さん達の気持ちになるよう僕を乗せたのは分かるが、二回目のコンで完全に酔ってしまった。吐き気をもよおす、僕は乗り合いバスでも酔う体質である。ゴンドラから降りてふらふらと立ち上がる。関さんが分かっただろうと笑った瞬間おもいきり吐いた。口の中で溜めることが出来なかった。ものすごい勢いで逆流してきた。何とか口の中に溜めてトイレに行こうと考えたのが甘かった。口は絞ったホースの役割をして関さんの胸に飛んだ。
「なっ、なんだこれは」
 関さんは唖然とした。
「昼中華で、タンメンです、タンメンと半チャーハン」
「ばかやろう、お前の昼の献立聞いてどうすんだ」
 関さんは一階のトイレに走った。

 空中ゴンドラの運転も馴れるとそれなりに面白い。チェリー叔母さんがゴンドラに乗る。
「幸太郎が見てるとなんか恥ずかしいな」
「見ないようにします」
「駄目だ、しっかり見てないと運転間違うから」
 チェリー叔母さんはもうこれ以上省けないと言うシャツと、尻に喰い込んで穿いているのかどうか見極められない下着を付けている。アパートで同じ布団で寝ている時の心の落ち着きが失われていた。
「お前の目は男になってるな」
 チェリー叔母さんが笑った。
「立ってみろ幸太郎」
 笑ってごまかしたが立ち上がれば股間の膨らみは隠せない。しかし睨まれて立ち上がった。
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