チェリー叔母さん

壺の蓋政五郎

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チェリー叔母さん 4

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「何がおめでとうだよ、お前あれだけいい女がいるんだよ、どうしてさざえなんだよ俺が、おい何とか言えよ」
 関さんは本当に悩んでいた。そして一月後に春風座から消えた。さざえ姉さんは落ち込んで毎晩泣いていたと若い踊り子さんが言っていた。僕はさざえ姉さんが実家の山梨に帰るから引っ越しの手伝いを頼まれた。
「悪いな幸太郎、男なんてみんなあんなもんさ、意気地なし野郎が、お前はあんなになるんじゃないよ」
 さざえ姉さんの腹は目立ち、恰幅のいいやくざの親分のように見える。軽トラいっぱいに荷物を積んだ。若い踊り子からするとさざえ姉さんは師匠的な存在だし、春風座の御意見番だった。何度もさざえ姉さんのステージを観たが、ダンスと言うより色物になって常連が爆笑していた。エロチックと言うよりエキゾチックだった。
「幸太郎は彼女いるのか?」
 軽トラの助手席で腹を摩りながら訊いた。
「いません」
「お前チェリーと間違い起こしてないだろうな」
「絶対にありません」
 そう答えたが一度危ない日があった。お互いが寝返りで向かい合ってしまった。チェリー叔母さんの寝息が僕の鼻に掛かる。吸い込むだけで熱くなった。寝ぼけていたのかチェリー叔母さんは僕に抱き付いた。股間同士が触れた。僕が突き出すとチェリー叔母さんが寝返りを打った。その一度がニアミスだった。
「そこの農道を右に曲がれ」
 さざえ姉さんが指差した。そして農家としては大きくない家の前に停めた。
「いいか、幸太郎、母親しかいねえ、それにもういい歳だ。あたしが言う通りにしてくれりゃいい。親孝行させろ」
 さざえ姉さんが土間で「母ちゃん」と呼んだ。土間に出てきた年寄りはさざえ姉さんが我が子と思えなかったに違いない。
「姫子、姫子か?」
 さざえ姉さんの本名はどんでん返しの姫子だった。クマとかトラ子とかそんなイメージを見事に覆してくれた。母親は目を細めて娘を見つめた。
「そうだよ母ちゃん姫子だよ、ただいま」
 親子が抱き合った。やくざに首を絞められているように見えた。
「これがあたしの旦那、弁護士」
 いくらなんでも弁護士はまずいと思った。二人は中に入った。縁側に荷物を下ろすように言われた。下ろし終えてクラクションを鳴らした。二人は土間から手を振っていたので軽く会釈して帰路に就いた。呆気ない幕切れだが面倒な嘘を並べずに済んだ。

 チェリー叔母さんは大晦日も元日なく営業していた。
「ふるさとに帰れないどん百姓のチョンガーから愉しみ取ったら可哀そうだろ」
 最近では白黒ショーがメインになり客が舞台に上がって踊り子とエッチする。チェリー叔母さんは頑なにダンサー一筋で頑張っていた。
「幸太郎、勉強に精を出すのもいいけど無理するな、顔が幽霊みたいになってる。あたしが帰宅した時『お帰りなさい』って振り返るときぞっとするよ」
 銭湯の帰りにいつもの定食屋で一杯やっていた。
「弁護士目指してます。なんか吹っ切れて目標が出来ました」
「すげえなあ幸太郎は、弁護士か。両親喜ぶな」
「まだ目標で試験に受かるかどうか」
「受かるさ、幸太郎は受かるさ、ゴンドラの運転だってあんなに上手に出来たし、絶対に受かる。叔母さんが太鼓判押す」
 チェリー叔母さんが日本酒を追加した。
「これはあたしからのお祝いだよ。凄いね、うちの定食で弁護士だって、あんた、幸太郎ちゃんが弁護士だって」
 女将さんが大はしゃぎで厨房のご主人を連れて来た。
「こりゃたまげた、何かやる男だとは思っていたけど弁護士かよ。うちの定食食って勢い付けたな。こりゃお祝いだ、日を決めよう。昭和天皇が元気になってからにしよう」
 店は大騒ぎになりその晩はお店のおごりで飲み食いした。帰りはいつものようにチェリー叔母さんが電話ボックスに入った。僕のアパートに来て半年、銭湯から定食屋は定番コースで、その帰りに必ず電話ボックスに立ち寄る。チェリー叔母さんは何時も泣いていた。十分から長い時で二十分、ずっと泣き続けている。僕はそんなチェリー叔母さんを見ているのが辛くて公園で座って待っている。今夜も泣き続けるだろうとジャングルジムに登っていた。それでも気になりチラと目をやるとチェリー叔母さんが笑っていた。瞳が零れ落ちそうなぐらい見開いて右手の拳を肩まで付き上げた。足踏みしながら笑って喋っている。僕はジャングルジムから降りて電話ボックスに顔を近付けた。チェリー叔母さんは掌をガラスに当てた。僕もその掌に重ねた。何が何だか分からないけど嬉しくなった。

「幸太郎、あたし会津に戻る」
 チェリー叔母さんは布団の中で言った。僕は驚いた。気まずい時もあるけれどそれでも居て欲しかった。
「どうしたの急に?いいこと?」
「ああ、あたしの旦那が戻って来たんだ」
「さっきの電話は旦那さんですか?」
「そうさ、いつも急にいなくなってしまうんだ。今回も半年音信不通、借金してさ、あたしが全部返してさ。それでも離れられないんだ。今度はずっと離さないってそう言ってくれた」
 僕が思うにチェリー叔母さんは騙されいると思う。さざえ姉さんもそうだった。踊り子さん達は華やかに見えて、みんな気が強くて自立した人生を送っているように見えるが実際は弱くて、すごく弱くて、男を信じて騙されて、それでも信じて、最後まで騙され続ける、そんな気がした。
「叔母さん、ずっと泣いていたのは何故?」
 僕は思い切って聞いてみた。
「泣くところがないからさ。旦那のアパートに電話して呼び鈴聞いて泣いていた。幸太郎は心配してくれたのか」
「それで何時に帰るの会津に?」
「明日」
「僕が送るよ、朝一レンタカー借りるから」
 チェリー叔母さんはかなり稼いでいたと思う。無駄遣いはしていなかった。ずっと働き詰めで休みは月曜の夜の部だけ。一緒に行く銭湯代と定食屋の飲み食いだけしか使わない。ほとんどを貯金していた。もしかしてその旦那さんのために節約しているのだとしたら心配になった。
 翌日スーツケースをトランクに入れて出発した。
「シュウマイ、土産に買っていく」
 関内駅でシュウマイを購入、チェリー叔母さんはそわそわしていた。昨夜の大喜び一転不安そうな感じがした。
「叔母さん、大丈夫?」
「何でもない、少し緊張してる」
 高速を下りてかなり走った。きれいな川が見え隠れする。温泉街に入った。芦ノ牧温泉、初めて聞く地名だ。
「そこ左に入って」
 小さな家屋が並び居酒屋がある。
「ちょっとここで待ってて」
 チェリー叔母さんはシュウマイの箱を五つ数えて居酒屋の裏に入った。僕は車から降りて鳥居脇の足湯に浸かった。もう薄暗く、帰りは夜中だと諦めていた。
「幸太郎」
 チェリー叔母さんが呼んだ。靴下を履かずに靴を履いた。
「これが弁護士の甥っ子、いい男だろ、童貞だ」
 おばさん達が笑った。そんなこと言わなくてもいいのに。
「へえー弁護士。チェリーの甥っ子が弁護士だって」
 太ったおばさんが大騒ぎした。チェリー叔母さんは得意気に喜んでいる。
「童貞ってか、わたすが筆おろすすっか」
 背の高いめちゃくちゃ訛った魔女顔のおばさんが笑った。
「そんじゃまた、明日から踊るから宜しく」
 車に戻った。
「みんないい姉さんばかりだよ。あたいには東北の水が合う」
 チェリー叔母さんは「右」と言って深呼吸した。何度も深く息を吸い込んだ。吐くときに息に乱れがある。興奮しているか緊張しているか、その両方かもしれない。
「そこで停まって」
 川が見える二階建てのアパート、外見は僕のアパートとそれほど変わらない。
「ちょっと待ってて」
 チェリー叔母さんは階段を駆け上がる。故意に足音を出しているようだ。真ん中のドアが開いて叔母さんは入った。僕は何故か緊張した。やさしく迎えて上げて欲しい。
「幸太郎」
 チェリー叔母さんが大きな声で呼んだ。手摺に凭れて手招きしている。僕は大きなキャリーバッグを担いで階段を上がった。
「紹介するね、どっちから、ねえどっちから」
 チェリー叔母さんは緊張していた。
「初めまして、僕は池田幸太郎と申します。甥っ子です」
 僕が自己紹介した。すると奥から色黒で痩せた男が出てきた。歯がとても白く見えたが顔の黒さで浮きだっていたのかもしれない。
「よく来たねえ、幸太郎君だっけ、妻が世話になっていたそうだねありがとう。いや実はね大阪で大きな取引があってさ、ずっとその手配に追われてさ、妻には迷惑掛けたけど、男はやっぱり仕事だからね、何とかまとめて帰って来た。そしたらいないじゃない妻が。心配で眠れなくて、ミュージック劇場の姉さん方に聞いて回ってさ、君のとこに行ってるって聞いて安心したとこだった」
 この人は嘘吐きだと感じた。嘘吐きに違いないと思った。初対面で、結論付けるのはよくないけど、どうしてもこの人は信用出来る人じゃない。しかしチェリー叔母さんにとってはかけがえのない人である。
「幸太郎、ありがとう。元気でね。頑張ってね」
 チェリー叔母さんの大きな目からポロンと大粒の涙が落ちた。
「叔母さんこそ幸せになってください」
 僕が帰ろうとすると旦那さんが止めた。
「ねえチェリー、泊めて上げればいいじゃん。折角来たのに追い返すようで可哀そうだよ。美味いもん食ってさ、そう言ってもここにはろくなもんないけど。そうだ寿司屋行こうよ。飲めるんだろう、チェリーの甥っ子じゃ底なしかな、僕もいけるよ、飲み比べしようか」
「でも飲んだら幸太郎が帰れなくなるし」
 チェリー叔母さんは何となく僕を帰したいようだった。でも旦那さんに押し切られ寿司屋に行った。旦那さんに遠慮するなと言われた。本人は高級ネタばかり食べている。酒が入るとより饒舌になった。
「大阪で認められてね、今度は九州は福岡博多から声が掛かってさ、是非僕にお願いしたいとしつこくて困ってる。こんな素敵な妻を残して行けないしね、因果なもんだよ世の中は」
「お仕事は何ですか?」
 旦那さんは笑って中トロを注文した。
「チェリー、お前も食べなさい、体力勝負の仕事なんだから食べなきゃ駄目。大将、ねえ大将、僕のワイフはね、ストリッパー、明日からミュージック劇場で踊るから遊びに行ってやって。ほらお前からも宜しく言いなさい、営業、営業」
 チェリー叔母さんはやり場のない顔をして大将にぺこんと頭を下げた。大将は難しい顔を少し緩めた。チェリー叔母さんはストリッパーに誇りを持っていた。ただ、旦那さんと一緒にいて、その旦那さんからこんな風に紹介されては恥ずかしかったに違いない。酔ってこんな言い方をするのか、それともいつもこうなのか、こんな男に振り回されるチェリー叔母さんが可哀そうだった。
「吉岡さん、さっきの続きですけどお仕事は何をされているんですか?」
 はぐらかした旦那さんに聞き直した。旦那さんは一瞬きつい目を向けた。チェリー叔母さんが僕の膝を叩いた。訊くのを止めろという合図かもしれない。
「そんなに僕の仕事が知りたいの。いいよ、教えてあげるよ。経営コンサルタントと言ってね、まあ普通の人達にはあまり馴染みが無いと言うかずっと上の方の仕事かな。詳しく説明しても分からないと思うけど要するに会社を建て直す仕事だね。大阪では大手のデパートの立て直しに成功した。自分でも褒めてやりたいぐらい頑張った。それもこれも家を守ってくれる妻がいてからこそさ、なあチェリー」
 旦那さんがチェリー叔母さんのほっぺにチューをした。チェリー叔母さんは作り笑顔を見せた。
「僕は法律家を目指していますが経営コンサルタントも将来考えています。吉岡さんはどちらの事務所にお勤めですか、それとも個人で」
 チェリー叔母さんがまた僕の膝を叩いた、さっきより強かった。もういい加減にしろとの合図だろうが僕はこの男の正体を叔母さんの目の前で暴いてやりたかった。酒の勢いもあるがチェリー叔母さんを喰い物にされてたまるかという気持ちが言葉になってしまった。
「僕はずっと一匹狼さ、どこの事務所にも属さない。僕は個人プレーが得意だから嫌われるんだな。それに自分で言うのもなんだけど僕のように立ちまわれないよみんな、実に邪魔くさいんだ、仲間は要らない。大阪の大手デパートも直接経理部長から直々の要請だからさ、ま大学の同期と言うこともあるけどね。断るわけにもいかず半年もホテル住まいで休みなしだよ、妻には心配かけたけどここで投げたら男が廃る。見事に立ち直ったよデパート。僕が大阪を去る日に経営陣が総出で空港まで見送りに来てくれた。男冥利に尽きるね」
「どこのデパートですか?」
 この質問をしたとき、チェリー叔母さんが僕を睨み付けた。こんな恐いチェリー叔母さんを初めて見ました。

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