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サンタが街に男と女とB29 6

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おとこ

「父さん、そろそろ下りよう、野毛で軽くやろうよ」
「ああ、もうそんな時間か」
「朝から飲んでいるのに時間もくそもないでしょ」
「まあそうだな」
 私達はランドマークタワーから、今は走っていない東横線のガード脇を歩いて野毛を目指した。ガード下の壁一面に意味のわからない絵が描かれている。見るに耐えられないものから、幾何学的で面白いものもある。高島町駅から終点桜木町まで続くこのガード下の画廊は、私が子供の頃から存在している。ここを通るたびに作品は変わっているが、実際に画家に出会ったことはない。元々美術に興味のない父には、落書きにしか思えないだろうが。

 野毛を仕切っていた後藤一家は、解散しました。それは私の事件とはまったく関係なく、当局の圧力によるものでした。露天はマーケットに、利権はやくざから市民へと変わっていきました。バッカスは耳のことは口にしませんでした。土下座して謝りましたが、彼は笑っていました。殺されてもおかしくない失態を犯したわけですから、どんな制裁でも受ける覚悟はできていました。
「耳のことは気にすんな、ゴッホだって耳がねえ方がいいって言ってる。ただおめえの信用が地に落ちた。もうおめえに仕事を頼むやつはいねえ。食っていけねえってこった。どうする?」
「お願いします、俺に仕事させてください」
「そうか、わかった。じゃあ仕事してもらおう。ドジを踏むのは仕方がねえが、二度と仁義だけは欠くなよ」
 それから私は死に物狂いで働きました。他からの誘いもなく、ただバッカスの仕事をこなしました。しかし以前に比べると、仕事量が確実に減ってきました。
「今日はゆっくり休んで婦長と飯でも食って来い」
 バッカスは千円をカウンターに置きました。
「スミスやポールは」
 常連のアメリカ兵の姿がありませんでした。オンリーだけが、唇にこれでもかというほど真っ赤なルージュを塗りたくって、煙草の煙を天井に向けて吐いていました。
「朝鮮に行った。また戦争だ。ご苦労なこった」
「姉さん達は、どうするの?」
「廃業さ」
 一人の女が私に抱きついてきました。
「ねえサンタ~、あたしと結婚して~」
 そう言うと明太子のような唇で私の頬にキスをしました。バッカスも女達も大笑いしていました。私もつられて笑いました。あんなに笑ったのは生まれて初めてでした。

『三太郎へ、俺は警察予備隊に志願した。二週間後に東京に行くことになった。俺は兄さんのように大戦で国のために働けなかった分、奉公したい。おまえからの送金は母さん共々感謝している。しかし、母さんを一人残して東京へは行けない。そこでおまえにお願いがある。送られる文面から察すると、定職にはついていないようだから、母さんを手伝ってはくれないだろうか。元々の農家ではないから小さな棚田しかない。そこから収穫してもそれだけで生活はできん、今度は兄さんが送金する。おまえ程とはいかないが、できるだけ切り詰めて送金に回す。また、おまえの生涯を無駄にはしない。昇進し、多少融通が利くようになったら新潟方面への移動をお願いする。兄さんの、生涯一度の頼みと思って理解して欲しい。  昭和25年8月15日  二郎』

 断るとか延期するとかの問題ではなく、母が一人になってしまう現実が、すぐそこまで来ているわけで、終戦後母を兄一人に押し付けた当然の義務が順番として回って来ただけなのです。手紙を読んだとき、帰ることを即断しました。バッカスも婦長も命の恩人ですが一人で生きていける、だが母はそうはいかない。肺に持病を持ち、既に五十も過ぎている。金だけなら送ればいい、しかし、風邪を引いて寝込んだら雪下ろしはどうするんだ、片道五十分の食料雑貨屋までどうやって行くんだ、そう思うと一刻でも早く母の元へ飛んで行きたかった。しかし、一方で、バッカスを裏切っていいのか、婦長と離れて暮らせるのか、頭が混乱し自分では収拾がつかなくなりました。相談するのはやはりバッカスしかいませんでした。
「俺の知り合いで親がいるのはおめえだけだ。いた方がいいのか、死んでくれてよかったのかはそれぞれだろうが、生きている以上殺すわけにはいかねえだろう。兄貴は責任を果たしておめえにバトン渡すわけだ。それも生涯じゃねえと言う。もしかして俺に気を使っているのか?だったらお門違いじゃねえのか。もっと近くにいるだろう。約束忘れちゃいねえだろうなあ」
 自分の親が焼け死んだというのに、私の負傷を寝ずに看病してくれた婦長に、その恩を仇で返したら承知しないとバッカスに脅かされたことは覚えています。そして私もそれに報いるために、彼女の夢である煙草屋の再開に向けて必死になって働いた。命の代償がこのくらいの労働で償えるとは思えませんでしたが、まずできることからと決めたのでした。私は彼女を愛していました。でも本当に愛していいのだろうかと疑問を持っていたのも事実です。救う者と助けられた者、この関係はいくら愛し合っているからといって消えるものではありません。恩人に生涯を捧げる方が私には向いていると思いました。しかしその想いすらも奪い取られてしまう運命が面倒臭くもありました。
「帰らなければならない」
「帰るって?」
「母親の面倒を看なければならない、兄さんが警察予備隊に志願して東京に出る」
「そう、待つわ。それ以外に選択肢はないでしょ、どれくらい、二年?三年?」
「はっきりとは言えないがそれくらい」
「だいじょぶよ、待ってるわ」
 彼女の声は震えていてほとんど聞き取れませんでした。

「何しに来たんだ、おめえはもう首だ」
 婦長に告白した晩、店に行くといきなりバッカスから解雇を言い渡されました。
「ありがとうございました」
 私はそれだけ言うと表に出ました。もう二度と入ることのないだろうバー『バッカス』の看板を擦りました。私は帰るまで残された十日間を婦長と片時も離れず過ごしました。バッカスが私を追い出したのは、彼なりの計らいだったとわかっています。婦長とは五年間を一つ屋根の下で暮らしましたが、すれ違いの生活で、ろくに将来の話を真剣にしなかったように思います。ですがこの十日間は違いました。愛し合い、見詰め合い、話し合い、五年分を一気に取り戻したようでした。そして、恩人だとか、命の代償だとか、悩んでいたことすべては、愛であったと気が付きました。この女性を、この女を、幸せにすることが宿命であると確信しました。そして別れの日が来ました。電車は動き出しました。
「きっと帰って来るから」
「わかってるわ」
「絶対帰って来るから」
「わかってるわ」
「帰ってくるから」
「うん、わかって・・・」
 あの強い婦長がホームに崩れ、慟哭していました。生涯守らなければならないと誓った女に、生涯の嘘をついたのです。

 私達は野毛の中央通りを歩いていました。
「父さんここ、うちのやつの同級生がアルバイトしていた店で、何度か来たことがあるんだ。野毛では老舗だよ。オーナーは台湾人なんだけどね」
「ああ、酒があればどこでもいいが」
 カクテルマークの看板を確認し、木製の重いドアを開けると、私達が口開けのようでした。
「これは珍しい、奥さん元気?」
 小柄なチーフが蝶ネクタイを調えていた。

おとことおんな

 店の名前は忘れていました。ただカクテルの看板が目印でした。
「あ、ここ」
「古い店だねえ」
「オーナーとおばあちゃんが昔馴染みなの」
「それで君は誰と来たのかな?」
「秘密」
 木製の重いドアを開けると、時間が早いせいか、お客さんはカウンターに二人だけでした。

「あら珍しい、おばあちゃん元気?」
 陽気なチーフがグラスを拭きながら聞きました。
「ええ、ものすごく。看板娘ですから」
「まだ、交代するには十年早いってか。いくつになったっけおばあちゃん?」
「今年七十八」
「ワオーッ、今週七-八で行こう。大穴だ」
「あっ、おばあちゃんに言いつけるから」

「父さんビールもう一本いく?」
「いやウイスキーがいい」
「えっ、お父上ですか、早く言ってよ、同級生かと思っていました。失礼しました」
 陽気なチーフが場を和ませてくれる。やはり親子で飲むというのは友達同士のようにはいかず、お互いが気を遣い合っているような、なんとなくぎくしゃくとした溝が生じる。その溝にチーフのジョークがうまく流れて潤滑油の役割を果たしてくれた。
「失礼ですがお父様はおいくつになられますか?」
「親父は七十六だっけ、十六で終戦迎えたんだから」
「そうですか、それじゃあずっと横浜に?」
「いえ、若いうちに四~五年、故郷が新潟でして」
「うちのマスターがこの店を開いたのが昭和三十年です」

 私は帰郷してから抜け殻のようになってしまいました。肺に持病のある母の方がはたから見ればむしろ元気に映ったのではないでしょうか。父は元々サラリーマンで、東京の大田区で所帯を持っていましたが、年毎に悪化する母の持病のために、知人の紹介で新潟の松代という町に越したのでした。家を売り、僅かな土地を購入し耕しても生活の糧にはなりませんでしたが、空気の良いこの地に移転したことは、父の思惑通り、母の持病を和らげてくれました。生活費の不足分は長男と次男の仕送りで賄っていたようです。ろくに畑仕事も手伝わない私を母は叱りもせず、一人でこなしていました。私の帰郷が母には嬉しかったのだと思います。母が元気であればあるほど婦長への思いが募るのでした。

 チーフは私達と、二つ置いて座っているカップルとを、絶妙の間を取って、リップサービスをしている。

「あれ、紹介していただけないの?」
「失礼しました。彼女は僕の、世界で一番大事な人です」
「うわーっ、それはそれは」
 チーフは手団扇で首の辺りを扇いで、大袈裟に嫉妬する表現をしました。交際して二年になりますが、彼からはっきりとプロポーズされたのは初めてでした。

 体調の変化に気付いたのは、サンタが帰国して、一月程経ってからでした。サンタの子を身ごもりました。はっきり言って迷いました。産むべきかどうか、彼に伝えるべきかどうか、迷っているうちに時は流れ、お腹の子と私はひとつになっていました。日に日に喜びが増し、迷った浅はかさが恥ずかしくなりました。サンタとは手紙でやりとりしていましたが、妊娠のことは伝えませんでした。それは、彼を苦しめたくなかったのと、彼の答えを聞くのが恐かったからです。実の母親を置き去りにして、生涯悔いを残させてしまうのは、両親を失った私にとっても不本意でした。そして何よりも恐かったのは、私の判断を否定されることでした。
「がき?オーミステイク」
 バッカスに相談するとアメリカ人のまねをして首を振りました。
「一人で育てる自信あるかい?それともサンタ忘れて他の男と所帯持てるかい?その気がなきゃ悪いことは言わねえ、流して忘れるこった」
 バッカスは私の決断には悲観的でした。サンタを忘れることはできませんが一人で育てる自信はありました。

「父さん、カクテルどう?」
「いや、私はこれがいい」
 父はウイスキーグラスを振り、飲み干した。チーフが別のグラスにオンザロックを作り、父の前に静かに置いた。
「ありがとう」
「さすが、いけるのは遺伝だね」
 父は氷が融け出す前に飲み切ってしまう。氷の役目は飲み口のいい温度に保つだけでいい。溶け出す瞬間が一番うまいと父の持論でした。
「この歳になって格好つけるわけではありませんが、貧しい時代から上等なものを飲む機会に恵まれまして、いいものをいい状態で味わうのが身に付きました。量はそれほどではありませんが、一気に空ける飲み方はその当時から癖になってしまいました」
「嬉しいですねえ、私等そういう頑固なウヰスキーのみが大好きです」
 チーフは懐かしい友に会ったように父の飲みっぷりに感激していた。
「なんか僕みたいな水割り派は形見が狭いじゃない」
「お客様は神様ですから」
 チーフは笑って僕のグラスをすすぎ、水割りを作った。

 冬になると母はやはり床に着く日が多くなりました。新潟の冬は雪の中です。雪の白は見慣れると黒に思えてくるのです。黒以外は存在しない。毎日黒い塊を屋根から降ろし、家の前に壁のように立ちはだかる黒い塊をさらに撒き散らす。この繰り返しです。新潟に来て母の病気が良くなってきたのは、空気のせいもあるでしょうが、父が母に付き添っていたことが大きいのではないでしょうか。母は少し具合がよくなると起き上がり、表に出て来て、下から屋根の上の私を見つめるのでした。
「母さん、寝ていなきゃだめじゃないか、それにそんな格好で」
「あなたこそ汗をかいたら着替えなさい。すぐにお風呂の支度をしますから」
 そして横浜から新潟に来て三回目の冬に、母は持病が悪化して亡くなりました。

「それじゃ、アルコールの少ない、甘いのを」
 チーフがオリジナルと言って、ブルーのカクテルを作ってくれました。
「おいしい」
「ありがとう」
「少し飲んでみる?」
 彼は私の飲み口を外し、カクテルグラスに口をつけました。
「すいません、味覚繊細じゃなくて、うちじゃあ発泡酒か焼酎しか飲んでいないので」
「いえいえ、あっそうだ、いい芋焼酎いただいたから、それ出してみましょう、私も楽しみなんです」

 私はお腹が目立つ前に闇の診療所を畳もうと思いました。元々無資格ですから、誰かに断らなければならないわけではありませんが、バッカスだけにははっきりと礼を言いたかった。好きで始めた診療所ではありませんでしたが、五年で煙草屋を再開できるだけの充分な資金を蓄えることができました。
「そうかい、畳むか。いい潮時かもしれねえ。よし、送別会開いてやろう」
 翌日の夕方、バー『バッカス』の前で私の送別会を開いてくれました。顔見知りがたくさん集まってくれました。
「なんだい、寂しくなるようあんたがいなくなると。それに夫婦喧嘩できなくなるよ、亭主死んじゃうよ」
 いつもご主人に鍋をぶつけて怪我をさせる蕎麦屋の女将さんが、私の手を握って別れを惜しんでくれました。掠り傷を手当てした子供達もいました。以前デンスケ賭博の一斉手入れのさい、うちに立ち寄った刑事さんもこの会を聞きつけて、若い制服警官二人を伴い駆けつけてくれました。
「そうですか、いよいよ廃業ですか。この地域の安全をよく守ってくれました。ありがとう。あなたには資格がなかったがそんなものはどうでもいい、戦争孤児や浮浪者まで分け隔てなく診療してくれた。そんなあなたのやさしさと責任感に陰ながら私も応援していました。第二の人生を頑張ってください。それでは」
 三人は敬礼し会場をあとにしました。
「闇市でポリ公に敬礼させんのは婦長、おめえぐれいだ」
 バッカスが笑って言いました。バッカスの横には髪の長いきれいな女性がいました。
「ああ、婦長は初めてだよなあ、『かみそりおらん』ってザキじゃあ泣く子も黙るこわ~いお姐さんだ」
いい関係であることはすぐにわかりました。

「煙草はあるかね?」
 父がチーフに訊ねた。
「銘柄によりますが」
「父さんのはないよ、吸ってる人いないよ『ひかり』なんて」
「申し訳ありません、その角に販売機がありますがたぶん入っていないでしょうねえ」
「父さん煙草変えたら、それか止めるとか」
「そうはいかん、煙草を止めると謝るチャンスが絶たれる」
「止められませんよねえ煙草、私もお客様の前ではやりませんが、我慢できなくなると裏でちょこちょこっと吸ってくるんですよ。吸い過ぎなければいいじゃないですか」
 チーフは「これでよかったら」と自分のショートホープを父の前にそっと置いた。

 母の葬儀には間に合いませんでしたが、兄が東京から一時帰宅しました。
「どうする?」
 兄はただ漠然と私に問いかけました。何をどうするのかさっぱりわかりませんでしたので黙っていました。
「この家どうする?」
「兄さんは?」
「俺は東京で暮らす。交際している人もいる。落ち着いたら母さんも引き取ろうと考えていた。だがもうその必要はなくなってしまった」
「結婚するの?」
「もう既に一緒に暮らしている。彼女のご両親も了承してくれた」
「僕も要らない」
「しかし誰かがいなければ家は朽ち、田は荒れてしまう。それに墓はどうする」
「仕方ないさ、兄さんも僕も要らないんだから」
「おまえ見合いしないか?隣村の大きな地主さんが婿にどうかと話が合った。会うだけでも会ってみないか」
「僕にこの家を守れっていうの?悪いけど出て行く。お盆と正月には掃除を兼ねて墓参りするから心配しなくていいよ。兄さんは東京で暮らせばいい、この家の処分も任せるから」
 私は翌日着替えだけをバッグに詰め込み家を出ました。その足で横浜に行けば嘘をつかずに済んだのですが、私が行くことによって、婦長の負担になりはしないかと思うと足は遠のくのでした。各地をアルバイトしながら転々としました。建築関係、酒屋、料理屋、漁師、工員と、長くは留まらず、三ヵ月ぐらいで一箇所を退きました。婦長とやりとりしていた手紙も実家を出てから書いていませんでした。私など忘れて、いい人と一緒になることが彼女のためになると真剣に思いました。私は恩知らずの恥知らずの嘘つきで、生涯消えることのないケロイドを見るたびに、悔いて生きる人生を選択しました。

 私の家の一角が接収解除になると知らせが入りました。行ってみると雑貨屋のおばさんは大工さんと打ち合わせをしていました。
「お金がないから店と寝るとこだけにして、少しずつ増築するの。あんたも早く戻っといで、空き地にしておくとバラック建てられたりして面倒になるよ」
 私はその大工さんの紹介ですぐに家を建てることにしました。敷地一杯に大きな家を建てるだけの蓄えがありました。区画された土地は以前より、間口も奥行きも小さくなっていましたがそれは諦めました。雑貨屋さんも明らかにうちの敷地に食い込んでいましたが、戦中戦後色々と世話になったのでそれも諦めました。
「ご主人は?」
「ええ、海外に出張で」
 雑貨屋のおばさんは私のお腹を見て聞いたので適当にごまかしました。瓦斯橋のアパートを引き上げる日にバッカスに挨拶に行きました。
「おうおう、幸せ一杯の腹しやがって、強い子になるぞう」
「煙草屋、再開します。色々とお世話になりました。家の辺りが接収解除になったので、新築の打ち合わせをして来ました。家が建つまでの間、近くのアパートを借りました」
「そうかい、金は足りたか?そりゃあよかった。実はな、俺もアメリカに行こうと思っている、いやもう行くと決めた。立ち退きが迫ってる。裁判に掛けるらしいが勝ち目はねえ。代替地も売っ払って向こうで日本料理屋でもやってのんびりとしてえ。少し疲れた」
 バッカスは駆け足で過ごした六年間を振り返っているようでした。
「そうだ婦長、急がねえだろう。おらんが浅草に買い物に行ってもう帰ってくる。羊羹買ってくるから持って帰りな」
私達は桜木町の駅まで歩きました。以前のバッカスが発していたナイフのように鋭利な視線は感じられませんでした。もう彼には危ない仕事は無理だと、このとき感じました。
 午後二時少し前だと思います。私達は改札の前で待っていました。他にも多くの客がいました。電車が滑り込むように入って来ました。送別会の晩にバッカスに寄り添うようにいた、おらんという女性が腰の辺りでちっちゃく手を振っていました。そのときです、何がどうなったのか、いきなり電車が燃え始めました。車内は満員でした。ドアは開きませんでした。悲鳴が聞こえました。おらんさんは火の中で笑っているように見えました。バッカスは駆け寄りましたが炎に煽られ近寄れませんでした。一両目に乗車していた客のほとんどが犠牲になりました。合同葬儀を終えたあとバッカスは『こんなもんだ』と笑って言いました。遺骨はアメリカに持って行くと言っていました。

 旅の途中、新聞で桜木町の電車事故を知りました。記事には百六人の犠牲者と多くの怪我人が出たとありました。もしやと胸は高まりましたが、今の私にはどうすることもできず、心から婦長やバッカスの無事を祈るのみでした。婦長を裏切ってから五年が経ちました。忘れることは生涯ないでしょうが、時と共に霞んでいくだろうと甘く考えていた彼女の面影は、一向に薄らぐことはなく、更に増していくのでした。壕の片隅で、後ろ向きで火傷の看病してもらったあの日が夢に出てきます。新潟の実家は兄が処分しました。もう私に帰るところはありませんでした。住民票を移動しながらのフーテン生活でした。ある日栃木の土建屋の社長から「上野に支店を出すからおまえやれ」となかば強制的に押し付けられました。飽きたら逃げればいいだけだと気楽に受けましたが、社長の次女とセットでした。日本経済は目覚しい発展を続けていきました。ビルの建設ラッシュ、道路他のインフラ整備事業が我が社を躍進させました。上野支店は本店となり更に業務拡張されていきました。昭和三十一年に男の子が生まれました。名前は、昭和二十年五月二十九日に生き別れとなってしまった同郷の友人の名前を付けました。浩を呼ぶ度に、当時のことが手に取るように想い出されます。 
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