君がいるから呼吸ができる

尾岡れき

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1 君は腹ペコ

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 なんでこうなったかなぁ、と俺はため息をつくが、これも乗りかかった船なので仕方がない。そう思いながら、再度ため息をつく。
 なんで、俺はここでオムライスを作っているんだろうか? 自分もプチパニックになっているので、深呼吸をする。
 自分のために料理はしないのに、人のためなら意欲って湧くんだなぁと、半ば感心しながら。
 時間はほんの少しだけ遡る。


■■■


「へ?」

 開口一番、出た言葉は何て間抜けなんだろうって自分でも思う。
 まったく心あたりがないままに、生徒指導室に呼ばれたのも。今回、振られた難問も。正直、ゲンナリしてしまう。

「それって、むしろ先生の仕事ですよね?」
「上川冬希君、君が言うことも至極もっともよ。勿論先生だって、それなりにアクションはしたのよ?」

 と我が担任、夏目弥生先生は悩ましそうにため息をついた。多分、そうなんだろうなぁと思う。この先生、根が真面目。真面目すぎるのがたまに傷で。色々なことを抱え込んでいるのが、見るからに分かる。だからつい、お手伝いしたくなっちゃうのだが。

 ――今回は、それが裏目に出た気がする。

「旦那さんとも相談をしたんだけれど、協力を仰いだ方が良いよって。大君が言うのももっともだと思って。それも教師じゃ多分、ダメだよって言われてね。大君って、本当にこういう的確にアドバイスをしてくれるから本当にそういうとこ好き――」
「先生、ちょっと待って」

 弥生先生は真面目なんだが、旦那さんの惚気になると止まらなくなる。これで授業がまるまる潰れたことが1回や2回じゃないので、思わずストップをかけた。貴重な放課後の時間を、先生の惚気でまるっと奪われてたまるか。

「先生の旦那さんも気になるけど、とりあえず、下河の話を聞かせてもらって良いですか?」
「あ、そうだった。ごめん、ごめん。下河さんのことなんだよね」
「あぁ」

 と俺は小さく頷く。
 2年に進級してから、一度も会ってない子だ。もともと交友関係そのものをもたない俺には関心が低かった。1年の後半から、休みだしたと聞いている。

「原因はイジメみたいでね」
「は?」

 穏やかならぬ一言に俺は目を点にした。先生の声も心なしか厳しい。
 この学校の特徴は、小学校・中学校からそのまま進学してきた連中が多い。俺のように県外から進学を決めたヤツは稀なのだ。言うなれば、もうすでにコミュニティーができあがっているので、余所者の俺が入る隙間なんて、あるわけもなく。
 むしろ人と関わるのは面倒なので、それはそれで良いんだけれど。

「先生もそこの理由はよくわからないの。知っている先生は濁すのよね。『そこは重要じゃないので』って。そこが一番重要だと思うんだけれど、ね」

 と弥生先生はため息をつく。

「先生も何回か家庭訪問したんだけれど、会ってもらえなくてね」
「それ、俺が行ってもダメなんじゃないですか?」
「どうも根が深いみたいなのよね。みんな濁すんだけれど、どうも聞いていると高校入学前に事が起きたみたいで」
「へ?」
「――小学校時代まで遡るみたい。だから下河さんは、解決できない教師にも、かつてのクラスメートにも不信感なのかな? って思うのよ」
「……」
「そう考えたらね、むしろ下河さんを知らない上川君って、かなり良い人選かなぁって」
「はぁ」
「君はよく私達の手伝いもしてくれるしね」
「まぁ帰宅部なので、バイトが無い日は時間がありますから」
「だから、ちょっと頼まれてくれないかなぁって」
「そこまで聞いて、むしろ断れなくなってるんですけど」

 と俺はさらに恨み節をこめるつもりだったのだが、弥生先生のひたむきな姿にほだされてしまった。

「俺じゃ無理かもしれませんから、あまり期待しないでくださいね」
「もちろん。先生もバックアップしっかりするから、安心して!」

 うまく乗せられたとも言えるのかも知れない。



■■■



 俺の家から近いのに驚いた。
 ドアチャイムを鳴らすが反応がない。

 住所、ここで合っているはずなんだけど?
 とプリントを見やると、インターフォンからか細い女の子の声が返ってきた。

「……はい?」
「あ、えっと、下河さん? あ、あの、はじめまして?」

 なんで疑問形やねん。後で思い返すと、どうしてココで緊張するかな、俺。とツッコミをいれたくなる。

「同じクラスの上川で、す。えっと……弥生先生からプリントを預かってきて。あと、体調どうかなって? ごめん、俺よく下河さんのこと分かっていないんだけれど――」

 ドアがゆっくり開く。
 ピンクのパジャマ姿の女の子がフラフラしながら手をのばして。
 顔が妙に青白い。

「下河さん?」
「だ、大丈夫。ごめんなさい、私なんかのために、本当にごめんなさ――」

 下河雪姫の膝がカクンと折れて、前に倒れる。無意識に、荷物を放り出して俺は下河を受け止めた。

「え?」
「大丈夫?」

 と言ってから彼女との距離が近いことに気づき、頬が紅潮する。セクハラにならないか、コレ?

「ごめんなさい、ごめんなさい、大丈夫です、ごめん、ごめん、ごめんなさ――」

 壊れたようにごめんなさいを連呼しようとするので、つい子どもにするように抱きしめていた。甥っ子はこれで結構泣き止んだよな、と思いながら。女子高生にする対応じゃないという指摘は、後で甘んじて受け入れるけど。
「ごめんなさ――」
「ごめんはもういいよ。体調悪いようだから、とりあえず家の中に入って休んで。このプリント、玄関に置いておくから」

 とまで言って、自分じゃないお腹が可愛らしく『ぐーっ』っと鳴った。

「へ?」

 下河は玄関にペタンと座り込みながら、お腹を抑える。その顔は真っ赤で。
「しょ、食欲がなくて最近、食べてなかったから。で、でも大丈夫です。何か食べます。それぐらいの気力ありますから!」

 とふらふらしながら、ドアを閉めようとする。

「あのさ」

 と俺は声をかけていた。

「イヤじゃなければ、だけれど。何か料理しようか?」
 
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