君がいるから呼吸ができる

尾岡れき

文字の大きさ
13 / 72

12 君は歩みだしたい



「はい上川君、久しぶりね」
「いや、今日、授業で会ってるじゃん。もっと言えば、ホームルームで会ったの5分前」
「そんな過去のことは忘れたわ」
「5分前を憶えてなかったら、短期記憶障害じゃん」
「カミカミ君、もっと大事なことを私たちは話しあうべきだと思うわ」
「人の名前をわざと間違うな、あからさまに間違うな」
「うん、良い感じ。上川君、そんな感じで教室でもボケてくれたら、楽しいのに」
「やだねー」

 こんな軽い口調でやりとりをしているが、本題はもちろん弥生先生が一番心配していた下河のことだ。

「で、どこまで行ったの? A? B? C?」
「俺と下河を恋バナトークに巻き込むのやめてくれません? 俺らそんなのじゃないから。それと、恋愛のABCはもう古いですからね。今はHIJKですよ!」
「さらっと豆知識を披露して、私の年齢を上川君がもてあそぶー」
「誤解を招くような言い方、やめてくださいって!」
「弄んだって、下河さんに言ってやるー」

 脱力である。ちなみに恋のABCもHIJKもここでは解説しないので、各自で検索をお願いしたい。それから、そういう目で俺たちを見るの、本当にやめて欲しい。

 最近、弥生先生は俺をからかうことを楽しんでいないだろうか。なんか、とても疲れる。
 はい、仕切り直し。

「ふふ、でもやっぱりその表情が本来の上川君なんだね」
「え?」

 俺は予想外の言葉に目が点になったんじゃないかと思う。

「勿体ないなぁ。君はこんなに人を明るくしたり、誰かを支える力があるのにね」
「え? え?」

 今の主題は下河であって、俺ではないはずだ。弥生先生の言葉に面食らってしまう。

「あのね、勿論下河さんのことは、全力で何とかしてあげたいって思ってるよ。現状、君に頼りっぱなしで本当に申し訳ないなぁって思うけどね。でも、君も私の生徒だからね。君のことも気になるわけ」

「……」

「でも、海崎君ともお話しできていたみたいだし。下河さんを巡る問題だから、そんなに単純な話しじゃないことは、分かっているけどね。私としては、君の素顔を下河さん以外の人に見てもらえたらなぁって、そう思ちゃうのよ」
「え、えっと……?」

 弥生先生は真正面、見据えて俺にそう言う。そんな風に言われると非常に照れくさい。正直、俺はそんなデキた人間じゃない。下河の力にになりたいと思っているが、結局、俺が下河を支える以上に、俺は下河に支えてもらって。そして俺の方が下河に支えてもらってばかりで。

「それと、ね」
「え?」
「下河さんが元気になったらで良いんだけど、私もシフォンケーキをいと食べたひ」

 弥生先生、最後に本音ダダ漏れ、やめてくれる?




■■■




 まぁ、弥生先生の言うことも分からなくも無い、と思う。

 今日はスコーンを作って、下河は待っていてくれた。ふんわりして、ほどほどの甘さ。学校が終わって、それなりに神経を擦り減らしていたのか、この甘さに体も心も癒されるのを感じる。
 サンドウィッチと野菜ジュースという取り合わせだったので、お腹も満たされて幸せな気持ちでいっぱいになる。

「美味しい」
「嬉しい」

 俺と下河と声が重なって。二人で目をパチクリさせて――何だか可笑して吹き出した。

「上川君って、本当に美味しそうに食べてくれるなって思ったの。ウチって、甘党はお父さんだけで。お母さんも弟も、あまり得意じゃないから。こうやって、美味しいって食べてくれる人が友達になってくれたから、また作りたくなっちゃったの。ごめんね?」

「いや、本当に美味しい。毎日、食べたいくらい、本当に美味しかったから、つい本音がね」
「毎日……」

 下河の呟きで、俺もはっとする。毎日食べたいって、まるでそれこそ求愛プロポーズじゃないか。思わず、俺は頬が熱くなったのを自覚した。

「みんなも食べたいって思うんじゃないかな? 弥生先生も下河さんのことを気にしていたこともあったけど、お菓子に興味津々だったぞ?」
「そっか……」

 ちょっと考えるこみながら。下河にとっては、色々なことが葛藤するんだろうな、と思う。

「上川君、あのね」
「ん?」

「実はスコーン、ちょっと作りすぎちゃって。明日、お昼のデザートを持っていきます? 夏目先生にもお裾分けできるぐらいの量はあるから」
「え? 俺にまで良いの?」

「うん、一番は上川君に食べて欲しいかな。美味しそうに食べてくれる、そんな顔を見ちゃったらね」
「俺、メチャクチャ食い意地はってるみたいじゃん」

 苦笑する。下河もつられて笑った。

 弥生先生にも、海崎にも食べてもらおうか。下河のスゴイ所、ステキな所を見てもらえたら。心の底から、そう思ってしまう。
 ずっとこうして、下河の笑顔を見ていたいと思ったが、今日の本題はそこじゃない。一緒に食器を片付け、次のステップへ望まないといけない。

 下河が大きく深呼吸をした。緊張するのが見てとれた。
 大丈夫。俺は彼女に囁いた。一緒にやろう。

 下河は俺の顔をぼーっと見て――少ししてから、俺の言葉を理解してくれたのか、小さく頷いた。
 一人でやるんじゃない。無理なら今日はそれでも良い。でも、一人じゃない。頼りないかもしれないけれど、俺と一緒にやろう。

 俺は下河の耳元で、言葉を重ねた。下河は、コクリと頷き、笑顔を咲かせる。その笑顔をもっと見たい。そんな風に思う俺は、本当にワガママだ。




■■■




 一歩、踏み出す。少しだけ息が浅い。でも、下河に苦痛そうな表情は見られなかった。緊張で、表情が強張っているけれど。玄関を出て。よく手入れされた庭を出て、公道へ。

 それだけ。

 ただ、それだけの距離。
 でも、下河には本当に大きな距離で。
 俺は焦らせないように、でも孤独を感じさせないように、彼女のペースに合わせて、歩みを進める。

「……上川君、あの願いがあります」
「ん?」
「この近くに公園があるんだけど、そこまで行ってみても良いですか?」

 下河の言葉に俺は驚く。呼吸の浅さから考えても。肩で息をするその様子を見ても。体も心も葛藤しているのが、鈍感な俺でも分かる。
 でも、彼女は彼女なりに自分自身の殻を突き破ろうと必死で。だったら、俺は応援することしかできない。

「無理だけはするなよ?」
 どうしても心配してしまう俺に、彼女は小さく頷いて微笑んだ。




■■■




 公園までだいたい、800mほど。小さな公園で、滑り台とブランコ、砂場がある程度の可愛らしいミニサイズのスペック。下河の家に行く途中、毎回通るので、土地勘がない俺でも場所は知っている。

 ゆっくり下河は歩みを進める。
 俺は急ぎすぎないように、遅れすぎないように歩みを合わせていく。

 あと少しで公園――そう思った瞬間、誰かが通り過ぎた。60代ぐらいの主婦だ。買い物の帰りなのか、食材が入ったエコバック片手にペコリとお辞儀をしてくれた。――俺たちもお辞儀をして過ぎ去る。

 それだけ。
 ただ、それだけのことだった。

 刹那――下河が口をパクパクさせた。まるで水中のなか溺れ、必死にもがくように。その手を、喉や胸元に手を置いては、離して、必死に酸素を求めるかのように手をのばした。

 俺は、何がなんだか分からず、立ち尽くしてしまった。
 今さらだが、弥生先生の言葉が、脳内で再生される。

 ――下河さん、人と関わる時ストレスで過呼吸になったことあったの。そこだけ気をつけてあげてね。

 妙にスロー再生で。いつも呑気な弥生先生の声が、より間延びして聞こえて。
 愚かなことに、ここにきて俺はようやく気付いたのだ。

 下河が発作を起こしたことに――。
感想 24

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

白い結婚は無理でした(涙)

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
わたくし、フィリシアは没落しかけの伯爵家の娘でございます。 明らかに邪な結婚話しかない中で、公爵令息の愛人から契約結婚の話を持ち掛けられました。 白い結婚が認められるまでの3年間、お世話になるのでよい妻であろうと頑張ります。 小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しております。 現在、筆者は時間的かつ体力的にコメントなどの返信ができないため受け付けない設定にしています。 どうぞよろしくお願いいたします。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

溺婚

明日葉
恋愛
 香月絢佳、37歳、独身。晩婚化が進んでいるとはいえ、さすがにもう、無理かなぁ、と残念には思うが焦る気にもならず。まあ、恋愛体質じゃないし、と。  以前階段落ちから助けてくれたイケメンに、馴染みの店で再会するものの、この状況では向こうの印象がよろしいはずもないしと期待もしなかったのだが。  イケメン、天羽疾矢はどうやら絢佳に惹かれてしまったようで。 「歳も歳だし、とりあえず試してみたら?こわいの?」と、挑発されればつい、売り言葉に買い言葉。  何がどうしてこうなった?  平凡に生きたい、でもま、老後に1人は嫌だなぁ、くらいに構えた恋愛偏差値最底辺の絢佳と、こう見えて仕事人間のイケメン疾矢。振り回しているのは果たしてどっちで、振り回されてるのは、果たしてどっち?

絶交した幼馴染と大学の合コンで再会した。

孤独な蛇
恋愛
中学生の浅野春樹は上級生と喧嘩騒動を起こしたことがあった。 その上、目つきが悪く地毛は茶髪のため不良少年のような扱いを受けて学校では孤立していた。 そんな中、幼馴染の深瀬志穂だけは春樹のことをいつも気遣ってくれていた。 同じ高校に行こうと声を掛けてくれる志穂の言葉に応えたい一心で受験勉強にも力を入れていた。 春樹にとって、学校で孤立していることは問題ではなかった。 昔から志穂が近くにいてくれるから……。 しかし、3年生なってから志穂の態度がよそよそしくなってきた。 登下校も別々になり、学校で話しかけてくることも無くなった。 志穂の心が自分から離れていってしまっている気がした春樹は焦っていた。 彼女と話がしたい。笑った顔が見たい。 志穂と一緒に帰ろうと、彼女が部活動を行っている体育館へ向かったのだが……。 そこで春樹が耳にしたのは、自分の悪口を言って部活の友達と楽しそうにしている志穂の声だった。 その瞬間、春樹の中で志穂に対する想いや信頼は……消滅した。

手を伸ばした先にいるのは誰ですか~愛しくて切なくて…憎らしいほど愛してる~【完結】

まぁ
恋愛
ワイン、ホテルの企画業務など大人の仕事、そして大人に切り離せない恋愛と… 「Ninagawa Queen's Hotel」 若きホテル王 蜷川朱鷺  妹     蜷川美鳥 人気美容家 佐井友理奈 「オークワイナリー」 国内ワイナリー最大手創業者一族 柏木龍之介 血縁関係のない兄妹と、その周辺の何角関係…? 華やかな人々が繰り広げる、フィクションです。

女子小学五年生に告白された高校一年生の俺

think
恋愛
主人公とヒロイン、二人の視点から書いています。 幼稚園から大学まである私立一貫校に通う高校一年の犬飼優人。 司優里という小学五年生の女の子に出会う。 彼女は体調不良だった。 同じ学園の学生と分かったので背負い学園の保健室まで連れていく。 そうしたことで彼女に好かれてしまい 告白をうけてしまう。 友達からということで二人の両親にも認めてもらう。 最初は妹の様に想っていた。 しかし彼女のまっすぐな好意をうけ段々と気持ちが変わっていく自分に気づいていく。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。