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二章
胡桃と初恋
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私はね、と胡桃はゆっくり語りだした。
私がまだ赤ちゃんの時、私のお父さんが死んじゃったの。交通事故だったらしいよ。
だから私、お父さんの顔、全然覚えてないの。
私、再婚して「雨水」になったけど、お母さんはまだお父さんが好きみたい。あ、再婚したのは、私が中学生になってから。お姉さんができたの。
「雨水、望江先輩」
ぽつりと広翔が呟く。
なんだ、もう知ってたんだ。
と、胡桃は笑った。
ああ、姉さんの話はおいておいて。
私、小学生低学年の時は今より荒んでて、お父さん居ないこと言われるのすごく嫌で、周りの子みんな嫌いだった。背も低かったから、それも含めてからかわれた。一番嫌だったのは、お母さんのことを言われた時。お母さんが可哀想だって言われた時。
──お母さんは、可哀想だったの?
──お母さんは、私が居るから可哀想なの?
すごく、辛かった。
まだみんな幼いだけに、言葉もストレートで辛辣だった。その子達の親も、同情と哀れみの目を向けてきた。
私は、お母さんさえいてくれたら良かったのに。それなのに「お父さん」がいることが皆にとっての「当たり前」で、私は異端者だった。
そんな時、初めてクラスが同じになって、隣になった男の子がいた。
その子は私を明るく迎え入れてくれた。
仲良くしてくれた。
でも、その子は他の子にいじめられた。
私、それが怖くて、その子と距離をおこうとした。いじめっ子がね、言ったの。
「お前、とーちゃん居ねぇやつなんかと居るなよ!コイツおかしいじゃん。お前もおかしいんじゃねぇの」
そしたらね、言われた子はこう言ったの。
「何がおかしいの」
皆、びっくりしてた。
でも一番驚いたのは、その子が怒りながら言ったんじゃなくて、不思議そうに言ったこと。
「お父さんが居ないと、おかしいの?でも、その分お母さんが居るじゃない。胡桃ちゃんのお母さんが悲しいって言ったの?それとも胡桃ちゃんがお母さんだけじゃ嫌って言ったの?可哀想って言うのも、おかしいことって言うのも、なんで胡桃ちゃんじゃない他の誰かが決めるの?」
きょとん、て顔して言ったのよ。
私、思わず泣いちゃった。
今までの悔しさとか、言ってくれた嬉しさとか、そういうの含めて、感情が爆発しちゃった。
私はそれから、引っ越した。
引っ越した先で、お母さんにはまた大切にしたいって思える人ができた。私は姉さんができた。姉さんもお父さんも、本当の家族みたいに接してくれた。それで、初めてわかったの。
皆がお父さん居なくて可哀想って言ってたこと。
でも、今でも私はあの時の私を可哀想なんて思ってないし、お母さんが可哀想とも思わない。
だって、言ってくれたもの。
「あなたは、私の一番大事な宝物」
その言葉を、私は信じる。
あの時のお母さんの笑顔を、私は信じるの。
でね、話が戻るんだけど、その男の子、今思えば私の初恋だったの。
話し終わってスッキリしたのか、胡桃は手を挙げ、ぐーっと伸びをした。
「あー、話した」
「望江先輩と、姉妹だったんだね」
「そこなのね」
がっくし、と胡桃は脱力した。
苦笑しながら「感想がそれって、やっぱ、葛西君はちょっとズレてる」と言う。
「ズレてる、かなぁ」
と広翔は首を傾げる。
クスッと横で胡桃は笑う。
私は、そんな葛西君が好きだったんだよ。
今となってはもう言えない言葉を、胡桃は胸の内にぐっと収める。
「私が言いたかったのは、私みたいに、後悔しないでほしいってこと」
スっと立ち上がり、指を突き出した。
「言いたいことは言える時に言っておかないと。いつ会えなくなるかわからないんだから」
満面の笑みを浮かべ、ゆっくりと広翔から遠のく。
「じゃ、また明日」
そう言った彼女は、儚く美しい桜のようだった。
***
中庭から離れ、教室に戻ろうとすると、璃久がどこからともなく現れた。
「うひゃあ」
驚いて変な声を出す。
「変な反応。ほら、カバン」
と言って、璃久は胡桃の鞄を投げた。
「あっ、えっ、なんで」
「愚痴なら聞くぞー。取り敢えず、カフェ行こーぜ」
「はっ?カフェ?」
嫌よ行かない、と反駁する胡桃を、璃久がはいはいと誘導する。
「で、告白できた?」
キャラメルマキアートを口に詰まらせ、ゴホッと思い切り噎せた。
「できなかったのかぁ」
と璃久が残念そうに言う。
「いいのよ、記憶が無くて、むしろ良かったかも」
もう、言いたいことは言った。
あとは時間だけ。
胡桃はそう言おうとした。
「ふーん」
璃久は、それだけ言った。
たったそれだけ。
深い意味なんて何も無いのかもしれない。
だけど、胡桃を見つめるその目は、胡桃の答えを促している。その様はまるで、彼女の心を見透かしているかのようだった。
「…………いいわけ、ない」
気づけば、言葉が零れていた。
「良いわけないじゃん。小学生の頃から好きだったのに、高校で会えて運命かも、なんて浮かれて、記憶が無いって言われた時だって恋愛小説思い浮かべて……なのに、一目惚れって、何?想いなら、私の方がずっとずっと大きいもの」
うっ、と嗚咽が漏れる。
「……嘘だよ。嘘だよ。記憶無くて良かったなんて、嘘……っ!ホントは、記憶あって欲しいに決まってるじゃん。振り向いて欲しいに決まってるじゃん。記憶があったらもしかしたらって思うじゃん。運命感じてくれるかもじゃん……でも、そんなこと言ったら困らせるのわかってるから、だからっ」
ボロボロと両目から涙が果てしなく溢れ出る。
璃久はハンカチとティッシュを取り出し、スイっと胡桃にテーブルを滑らせて渡す。
「いいよ」
穏やかな口調で璃久は言った。
「気が済むまで、泣いていい」
昨日の雨が残した水たまりが、一筋の太陽によって照らされていた。
私がまだ赤ちゃんの時、私のお父さんが死んじゃったの。交通事故だったらしいよ。
だから私、お父さんの顔、全然覚えてないの。
私、再婚して「雨水」になったけど、お母さんはまだお父さんが好きみたい。あ、再婚したのは、私が中学生になってから。お姉さんができたの。
「雨水、望江先輩」
ぽつりと広翔が呟く。
なんだ、もう知ってたんだ。
と、胡桃は笑った。
ああ、姉さんの話はおいておいて。
私、小学生低学年の時は今より荒んでて、お父さん居ないこと言われるのすごく嫌で、周りの子みんな嫌いだった。背も低かったから、それも含めてからかわれた。一番嫌だったのは、お母さんのことを言われた時。お母さんが可哀想だって言われた時。
──お母さんは、可哀想だったの?
──お母さんは、私が居るから可哀想なの?
すごく、辛かった。
まだみんな幼いだけに、言葉もストレートで辛辣だった。その子達の親も、同情と哀れみの目を向けてきた。
私は、お母さんさえいてくれたら良かったのに。それなのに「お父さん」がいることが皆にとっての「当たり前」で、私は異端者だった。
そんな時、初めてクラスが同じになって、隣になった男の子がいた。
その子は私を明るく迎え入れてくれた。
仲良くしてくれた。
でも、その子は他の子にいじめられた。
私、それが怖くて、その子と距離をおこうとした。いじめっ子がね、言ったの。
「お前、とーちゃん居ねぇやつなんかと居るなよ!コイツおかしいじゃん。お前もおかしいんじゃねぇの」
そしたらね、言われた子はこう言ったの。
「何がおかしいの」
皆、びっくりしてた。
でも一番驚いたのは、その子が怒りながら言ったんじゃなくて、不思議そうに言ったこと。
「お父さんが居ないと、おかしいの?でも、その分お母さんが居るじゃない。胡桃ちゃんのお母さんが悲しいって言ったの?それとも胡桃ちゃんがお母さんだけじゃ嫌って言ったの?可哀想って言うのも、おかしいことって言うのも、なんで胡桃ちゃんじゃない他の誰かが決めるの?」
きょとん、て顔して言ったのよ。
私、思わず泣いちゃった。
今までの悔しさとか、言ってくれた嬉しさとか、そういうの含めて、感情が爆発しちゃった。
私はそれから、引っ越した。
引っ越した先で、お母さんにはまた大切にしたいって思える人ができた。私は姉さんができた。姉さんもお父さんも、本当の家族みたいに接してくれた。それで、初めてわかったの。
皆がお父さん居なくて可哀想って言ってたこと。
でも、今でも私はあの時の私を可哀想なんて思ってないし、お母さんが可哀想とも思わない。
だって、言ってくれたもの。
「あなたは、私の一番大事な宝物」
その言葉を、私は信じる。
あの時のお母さんの笑顔を、私は信じるの。
でね、話が戻るんだけど、その男の子、今思えば私の初恋だったの。
話し終わってスッキリしたのか、胡桃は手を挙げ、ぐーっと伸びをした。
「あー、話した」
「望江先輩と、姉妹だったんだね」
「そこなのね」
がっくし、と胡桃は脱力した。
苦笑しながら「感想がそれって、やっぱ、葛西君はちょっとズレてる」と言う。
「ズレてる、かなぁ」
と広翔は首を傾げる。
クスッと横で胡桃は笑う。
私は、そんな葛西君が好きだったんだよ。
今となってはもう言えない言葉を、胡桃は胸の内にぐっと収める。
「私が言いたかったのは、私みたいに、後悔しないでほしいってこと」
スっと立ち上がり、指を突き出した。
「言いたいことは言える時に言っておかないと。いつ会えなくなるかわからないんだから」
満面の笑みを浮かべ、ゆっくりと広翔から遠のく。
「じゃ、また明日」
そう言った彼女は、儚く美しい桜のようだった。
***
中庭から離れ、教室に戻ろうとすると、璃久がどこからともなく現れた。
「うひゃあ」
驚いて変な声を出す。
「変な反応。ほら、カバン」
と言って、璃久は胡桃の鞄を投げた。
「あっ、えっ、なんで」
「愚痴なら聞くぞー。取り敢えず、カフェ行こーぜ」
「はっ?カフェ?」
嫌よ行かない、と反駁する胡桃を、璃久がはいはいと誘導する。
「で、告白できた?」
キャラメルマキアートを口に詰まらせ、ゴホッと思い切り噎せた。
「できなかったのかぁ」
と璃久が残念そうに言う。
「いいのよ、記憶が無くて、むしろ良かったかも」
もう、言いたいことは言った。
あとは時間だけ。
胡桃はそう言おうとした。
「ふーん」
璃久は、それだけ言った。
たったそれだけ。
深い意味なんて何も無いのかもしれない。
だけど、胡桃を見つめるその目は、胡桃の答えを促している。その様はまるで、彼女の心を見透かしているかのようだった。
「…………いいわけ、ない」
気づけば、言葉が零れていた。
「良いわけないじゃん。小学生の頃から好きだったのに、高校で会えて運命かも、なんて浮かれて、記憶が無いって言われた時だって恋愛小説思い浮かべて……なのに、一目惚れって、何?想いなら、私の方がずっとずっと大きいもの」
うっ、と嗚咽が漏れる。
「……嘘だよ。嘘だよ。記憶無くて良かったなんて、嘘……っ!ホントは、記憶あって欲しいに決まってるじゃん。振り向いて欲しいに決まってるじゃん。記憶があったらもしかしたらって思うじゃん。運命感じてくれるかもじゃん……でも、そんなこと言ったら困らせるのわかってるから、だからっ」
ボロボロと両目から涙が果てしなく溢れ出る。
璃久はハンカチとティッシュを取り出し、スイっと胡桃にテーブルを滑らせて渡す。
「いいよ」
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