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1.
「僕はメアリーを愛している。僕としてはキミを愛する余地はない」
キラキラと光の入る流行りのカフェテリアの一室で、アレン・スレド伯爵令息はいくらか申し訳なさそうに、けれどキッパリとそう言い放った。
5歳ほど年上であるはずのその青年は、柔らかそうで色素の薄いブラウンの髪と瞳が優し気に揺れる。丁寧な物腰と整ったその表情は穏やかで、彼の人となりを物語っていた。
テーブルの上にある手付かずの美味しそうな焼き菓子と紅茶は、本来であれば賞賛を得るはずであったのに、今はひっそりと息を潜めて湯気だけを揺蕩わせる。
「ーー急に呼び出して、こんな話をして申し訳ない。けれど、僕の事情に何も知らないうら若き令嬢を巻き込むのは心苦しくて、一度キース伯爵と相談をしてもらえたらとーー」
「ーーその必要はございません」
目を伏せて申し訳なさそうに紡ぐその言葉を遮られたことで、アレンは驚いた顔を上げた。
「失礼ながら、アレン様のお噂は存じ上げております。アレン様が、メアリー様と仲睦まじくされていることも」
「ーーなら、なぜ婚約の話しを……?」
戸惑いだらけの、その人の良さそうな顔を眺めて、ナディア・キースは薄っすらと微笑んだーー。
「ナディア様、そろそろ休まれてはいかがですか」
「ーーそうですね、キリの良い所で終わりにしようと思います。いつも私に付き合わせてごめんなさい。先に休んでも大丈夫ですよ」
「とんでもございません。奥様であるナディア様が毎日夜遅くまで業務にお勤めであることを存じておりますから。宜しければ温かいお飲み物でもいかがですか?」
「ーーありがとう、それではお願いできますか? 細やかな気遣いにいつもとても助かっています」
そう言ったナディアは、簡素でも上質な夜着に身を包み、花の香りが漂う長いストレートな黒髪を緩くひとまとめに、眼鏡越しにその黒い瞳で侍女へと微笑んだ。
夫となったアレンが寵愛するテッド伯爵令嬢であったメアリーが住まうスレド伯爵家に、ナディアが嫁いでから早くも数ヶ月が経っていた。
一夫多妻制の時代背景において、その取り扱いは当主によって様々と言える。
跡取り問題のリスクを下げるため。女をとにかく囲いたい。政略結婚を最大限に利用する。妻同士を競わせる。愛人を囲うための隠れ蓑。
人と家の数だけあるその事情に、今更何を言ったところで変わりはしない。あるのは目の前の現実だけ。
「あら、ナディア様、本日もご機嫌よう。毎日毎日、私の分までお仕事に明け暮れて頂き大変に助かっておりますわ」
その場がパッと華やぐような金の巻き毛に翠の瞳。整った顔立ちは美しく、豊満な身体付きは派手な赤色のドレス越しでも見て取れる。
「いいえ、私は元来書類仕事が好きなのです。スレド伯爵家の家業のお手伝いができることが嬉しいので、どうぞお気になさらないで下さいませ」
「そう言って頂けますとありがたいですわ。私は人とお話しするのは得意ですけれど、誰でもできるようなちまちました仕事が苦手なんです。だってそんな仕事に私が手を煩わせることこそが損害でしょう? ナディア様が嫁いで来られるまで頭を抱えておりましたので、とても嬉しいですわ。正直に言いますと、最初はどのような変人が来るのかと心配しておりましたの。だってそうでしょう? 夫の愛を得られない妻になることがわかっている結婚なんて、受けたい訳がないですもの」
その愛らしい顔とは裏腹に、赤く肉厚な唇は様々な感情を隠しきれないようだった。
「そうですね、そう言った考えもありますね。私としましては嫁ぎ先で皆様と仲良く暮らすことができればそれだけで良いのです。もちろんメアリー様とも仲良くして貰えたら嬉しいですわ」
華やかなメアリーに比べると地味な装いのナディアは、無害そうににこりと微笑んだ。
「……メアリー様は私のことを警戒されているようですが、私はスレド伯爵家とアレン様に少しばかりのご恩があるのです。ですからスレド伯爵家の繁栄こそが私の望むところで、それ以上でも以下でもありません」
「へぇ? それなら私にとっても好都合よ。アレン様のお隣は私のものなのですから、変な気を起こされたら困ると思っていたんです。何せ私は、この身を呈して消えない傷を負ってまで、アレン様を愛しているのですから。そんな私を愛して下さるアレン様に、変な虫がたからないかと心配になるのは、仕様がないと思いませんこと?」
そう言って勝ち誇ったように真っ昼間の庭先で大きく捲り上げたドレスの右足には、剣による傷跡がうっすらと伺えた。
その傷跡を視線だけで確認すると、ナディアは穏やかに笑む。
「メアリー様のご勇士はお伺いしておりますわ。なんでも暴漢に襲われたアレン様をお守りするために、間に割って入ったことで名誉の負傷をなされたと。そしてその一件がアレン様とのご縁を結び、寵愛を賜るきっかけになったと言うお噂はかねがね。とても勇気ある行動で尊敬いたします」
「あら、わかっているならいいのよ。でしたら、身の程はくれぐれも弁えて下さいね」
ふふんと得意げに鼻を鳴らすと、メアリーはその金の巻き毛と赤いスカートを翻して立ち去る。
そんな後ろ姿を笑顔で見送った後に、ナディアはスッとその表情を消して身を翻した。
キラキラと光の入る流行りのカフェテリアの一室で、アレン・スレド伯爵令息はいくらか申し訳なさそうに、けれどキッパリとそう言い放った。
5歳ほど年上であるはずのその青年は、柔らかそうで色素の薄いブラウンの髪と瞳が優し気に揺れる。丁寧な物腰と整ったその表情は穏やかで、彼の人となりを物語っていた。
テーブルの上にある手付かずの美味しそうな焼き菓子と紅茶は、本来であれば賞賛を得るはずであったのに、今はひっそりと息を潜めて湯気だけを揺蕩わせる。
「ーー急に呼び出して、こんな話をして申し訳ない。けれど、僕の事情に何も知らないうら若き令嬢を巻き込むのは心苦しくて、一度キース伯爵と相談をしてもらえたらとーー」
「ーーその必要はございません」
目を伏せて申し訳なさそうに紡ぐその言葉を遮られたことで、アレンは驚いた顔を上げた。
「失礼ながら、アレン様のお噂は存じ上げております。アレン様が、メアリー様と仲睦まじくされていることも」
「ーーなら、なぜ婚約の話しを……?」
戸惑いだらけの、その人の良さそうな顔を眺めて、ナディア・キースは薄っすらと微笑んだーー。
「ナディア様、そろそろ休まれてはいかがですか」
「ーーそうですね、キリの良い所で終わりにしようと思います。いつも私に付き合わせてごめんなさい。先に休んでも大丈夫ですよ」
「とんでもございません。奥様であるナディア様が毎日夜遅くまで業務にお勤めであることを存じておりますから。宜しければ温かいお飲み物でもいかがですか?」
「ーーありがとう、それではお願いできますか? 細やかな気遣いにいつもとても助かっています」
そう言ったナディアは、簡素でも上質な夜着に身を包み、花の香りが漂う長いストレートな黒髪を緩くひとまとめに、眼鏡越しにその黒い瞳で侍女へと微笑んだ。
夫となったアレンが寵愛するテッド伯爵令嬢であったメアリーが住まうスレド伯爵家に、ナディアが嫁いでから早くも数ヶ月が経っていた。
一夫多妻制の時代背景において、その取り扱いは当主によって様々と言える。
跡取り問題のリスクを下げるため。女をとにかく囲いたい。政略結婚を最大限に利用する。妻同士を競わせる。愛人を囲うための隠れ蓑。
人と家の数だけあるその事情に、今更何を言ったところで変わりはしない。あるのは目の前の現実だけ。
「あら、ナディア様、本日もご機嫌よう。毎日毎日、私の分までお仕事に明け暮れて頂き大変に助かっておりますわ」
その場がパッと華やぐような金の巻き毛に翠の瞳。整った顔立ちは美しく、豊満な身体付きは派手な赤色のドレス越しでも見て取れる。
「いいえ、私は元来書類仕事が好きなのです。スレド伯爵家の家業のお手伝いができることが嬉しいので、どうぞお気になさらないで下さいませ」
「そう言って頂けますとありがたいですわ。私は人とお話しするのは得意ですけれど、誰でもできるようなちまちました仕事が苦手なんです。だってそんな仕事に私が手を煩わせることこそが損害でしょう? ナディア様が嫁いで来られるまで頭を抱えておりましたので、とても嬉しいですわ。正直に言いますと、最初はどのような変人が来るのかと心配しておりましたの。だってそうでしょう? 夫の愛を得られない妻になることがわかっている結婚なんて、受けたい訳がないですもの」
その愛らしい顔とは裏腹に、赤く肉厚な唇は様々な感情を隠しきれないようだった。
「そうですね、そう言った考えもありますね。私としましては嫁ぎ先で皆様と仲良く暮らすことができればそれだけで良いのです。もちろんメアリー様とも仲良くして貰えたら嬉しいですわ」
華やかなメアリーに比べると地味な装いのナディアは、無害そうににこりと微笑んだ。
「……メアリー様は私のことを警戒されているようですが、私はスレド伯爵家とアレン様に少しばかりのご恩があるのです。ですからスレド伯爵家の繁栄こそが私の望むところで、それ以上でも以下でもありません」
「へぇ? それなら私にとっても好都合よ。アレン様のお隣は私のものなのですから、変な気を起こされたら困ると思っていたんです。何せ私は、この身を呈して消えない傷を負ってまで、アレン様を愛しているのですから。そんな私を愛して下さるアレン様に、変な虫がたからないかと心配になるのは、仕様がないと思いませんこと?」
そう言って勝ち誇ったように真っ昼間の庭先で大きく捲り上げたドレスの右足には、剣による傷跡がうっすらと伺えた。
その傷跡を視線だけで確認すると、ナディアは穏やかに笑む。
「メアリー様のご勇士はお伺いしておりますわ。なんでも暴漢に襲われたアレン様をお守りするために、間に割って入ったことで名誉の負傷をなされたと。そしてその一件がアレン様とのご縁を結び、寵愛を賜るきっかけになったと言うお噂はかねがね。とても勇気ある行動で尊敬いたします」
「あら、わかっているならいいのよ。でしたら、身の程はくれぐれも弁えて下さいね」
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