6 / 7
6.
「信じては頂けないと思いますが、神に誓って、お2人の仲を荒すつもりはございませんでした。スレド伯爵のご相談はありましたが、問題が見られなければただ粛々と日々を過ごして務めを果たし、折を見てスレド伯爵家を離れるつもりだったのです」
「……なぜ、ナディアがそんな損な役回りを……っ」
うら若き令嬢にとっての結婚と離婚は小さくない問題である。そんなリスクをナディアが取る理由がないと、困惑するアレンの顔を見上げて、ナディアも困ったように笑う。
「……もう、お会いすることもきっとありません。お優しいアレン様の幸せを心からお祈りしております。この度は、誠に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げて身を翻すナディアの腕を、アレンがパシリと掴み取る。
「ナディア……っ! 待ってくれ!!」
「……お叱りでしたらもちろんお受けする覚悟です」
「違う! そうではなくて、僕が以前……メアリーを愛していると伝えたことを、訂正したい。そう伝えた理由を、ナディアに聞いて欲しいんだ……っ!」
「………………」
腕を掴まれたまま顔をあげないナディアに構わずに、アレンは続ける。
「メアリーを愛していると伝えたが、僕は今も昔も妻として、彼女を愛したことはない。ただ、メアリーはあの気性だ。何も知らないナディアに、僕の寵愛と言う名の、夫人の座にしがみつく彼女の相手は荷が重いと思ったんだ」
「………………」
必死なアレンに対して、ナディアは未だ顔を上げない。
「父が何かを画策しているのはわかっていたから、ナディアが何かに巻き込まれて悲しむ姿を見たくなかった。……だって、以前、学生の頃、ナディアはーー……」
唇を噛み締めて、アレンは辛そうに顔を歪めた。
「ひどい扱いを受けて、泣いていただろうーー」
「…………覚えて、おられたのですか……」
ポツリと呟いたナディアに、弾かれるように顔を上げたアレンの瞳と、伺うようなナディアの黒い瞳が交錯した。
「辛い思いをしたことのあるナディアを、再びあの頃のような心境にさせたくなかった。……だから、気づかないふりをして遠ざけようとした」
困ったような顔で笑うアレンに、ナディアは唇を引き結ぶ。
「……おかしいですね、覚えていて頂けたことが嬉しいのと同時に、あんな姿は忘れて頂きたかったみたいです……っ」
中等部の頃、ナディアは今より一層地味で野暮ったく、簡単に結んだ飾り気のない髪に眼鏡と言う出立ちが表すように、性格も内気で話すことも苦手だった。
貴族の学校でも控えめな存在である一方、ある日を境に目をつけられたその行為は次第にエスカレートしていった。
果ては閉じ込められて水をかけられた合間に、学用品に落書きや破損を加えられ、更には学舎の裏にある池に捨てられていた。
何かしらと気に入らない者を順番に標的にしては、一方的に憂さを晴らしているように見えた、当時は幅を効かせていた権力者の娘を筆頭としたその集団。
その行為は見慣れたものであったが、多感な時期での終わりの見えない日々の蓄積は、毒を染み込ませるようにナディアの気力を削り取っていった。
一ミリとて喜ばせてやるものかと唇を噛み締めて堪えていた。そんな様も、余計に気に障ったのかも知れない。
人気のない裏池で、ご丁寧に落書きされた上で引きちぎられた教科書を水に浸かりながら引き上げた所で、ふと惨めな感情に飲み込まれてしまった。
泥水に濡れた足と指先やスカートを見下ろして、ぽろりと溢れた涙を袖口で拭った所で水音が響く。
「これはひどいな」
「……っ!? あっ、こ、転んでばら撒いてしまっただけなので、どうかお気になさらないでくださいっ!! お洋服が汚れてしまいますから……っ! どうぞお気持ちだけーー」
「お気遣いありがとう。でももう水には浸かってしまったから、浸かった分だけ手伝わせてくれないか」
そう言って聞く耳を持たずにざぶざぶと、ズボンの裾を濡らしながら物を拾い上げていく青年に慌てて、ナディアも急ぎ拾い集めた。
「あの、本当に申し訳ありまーー……っ」
「……負けないで」
「…………え……?」
水に濡れたひどい有様の学用品を見れば、ナディアの嘘など見え透いたものだった。
そっと手渡された荷物と共に、ポツリと溢された思いもよらぬ言葉にナディアは顔を上げる。
「張り合う必要はない。勝つ必要もない。今は目の前しか見えないかも知れないけれど、世界はこんなにも広いんだ。例えこの行為に及ぶ何かの理由があったとして、こんな形で人を傷つける者に心を砕く必要なんてないと、僕は思う。だから、負けないために逃げたっていいんだ。最後にキミが、笑えてさえいればいいんだよ」
「……ぁ……っ……ありがとう……ございます……っ」
恥ずかしさから顔が上げられないナディアは、俯いてお礼を述べるだけで精一杯だった。
「……何も知らないのに、勝手を言ってすまなかった。ただ、こんな所で手折られるには、キミがあまりにも勿体無いと思ったんだーー」
そう言って気恥ずかしそうに笑った青年が、必死な形相でいる目前のアレンと重なった。
「……なぜ、ナディアがそんな損な役回りを……っ」
うら若き令嬢にとっての結婚と離婚は小さくない問題である。そんなリスクをナディアが取る理由がないと、困惑するアレンの顔を見上げて、ナディアも困ったように笑う。
「……もう、お会いすることもきっとありません。お優しいアレン様の幸せを心からお祈りしております。この度は、誠に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げて身を翻すナディアの腕を、アレンがパシリと掴み取る。
「ナディア……っ! 待ってくれ!!」
「……お叱りでしたらもちろんお受けする覚悟です」
「違う! そうではなくて、僕が以前……メアリーを愛していると伝えたことを、訂正したい。そう伝えた理由を、ナディアに聞いて欲しいんだ……っ!」
「………………」
腕を掴まれたまま顔をあげないナディアに構わずに、アレンは続ける。
「メアリーを愛していると伝えたが、僕は今も昔も妻として、彼女を愛したことはない。ただ、メアリーはあの気性だ。何も知らないナディアに、僕の寵愛と言う名の、夫人の座にしがみつく彼女の相手は荷が重いと思ったんだ」
「………………」
必死なアレンに対して、ナディアは未だ顔を上げない。
「父が何かを画策しているのはわかっていたから、ナディアが何かに巻き込まれて悲しむ姿を見たくなかった。……だって、以前、学生の頃、ナディアはーー……」
唇を噛み締めて、アレンは辛そうに顔を歪めた。
「ひどい扱いを受けて、泣いていただろうーー」
「…………覚えて、おられたのですか……」
ポツリと呟いたナディアに、弾かれるように顔を上げたアレンの瞳と、伺うようなナディアの黒い瞳が交錯した。
「辛い思いをしたことのあるナディアを、再びあの頃のような心境にさせたくなかった。……だから、気づかないふりをして遠ざけようとした」
困ったような顔で笑うアレンに、ナディアは唇を引き結ぶ。
「……おかしいですね、覚えていて頂けたことが嬉しいのと同時に、あんな姿は忘れて頂きたかったみたいです……っ」
中等部の頃、ナディアは今より一層地味で野暮ったく、簡単に結んだ飾り気のない髪に眼鏡と言う出立ちが表すように、性格も内気で話すことも苦手だった。
貴族の学校でも控えめな存在である一方、ある日を境に目をつけられたその行為は次第にエスカレートしていった。
果ては閉じ込められて水をかけられた合間に、学用品に落書きや破損を加えられ、更には学舎の裏にある池に捨てられていた。
何かしらと気に入らない者を順番に標的にしては、一方的に憂さを晴らしているように見えた、当時は幅を効かせていた権力者の娘を筆頭としたその集団。
その行為は見慣れたものであったが、多感な時期での終わりの見えない日々の蓄積は、毒を染み込ませるようにナディアの気力を削り取っていった。
一ミリとて喜ばせてやるものかと唇を噛み締めて堪えていた。そんな様も、余計に気に障ったのかも知れない。
人気のない裏池で、ご丁寧に落書きされた上で引きちぎられた教科書を水に浸かりながら引き上げた所で、ふと惨めな感情に飲み込まれてしまった。
泥水に濡れた足と指先やスカートを見下ろして、ぽろりと溢れた涙を袖口で拭った所で水音が響く。
「これはひどいな」
「……っ!? あっ、こ、転んでばら撒いてしまっただけなので、どうかお気になさらないでくださいっ!! お洋服が汚れてしまいますから……っ! どうぞお気持ちだけーー」
「お気遣いありがとう。でももう水には浸かってしまったから、浸かった分だけ手伝わせてくれないか」
そう言って聞く耳を持たずにざぶざぶと、ズボンの裾を濡らしながら物を拾い上げていく青年に慌てて、ナディアも急ぎ拾い集めた。
「あの、本当に申し訳ありまーー……っ」
「……負けないで」
「…………え……?」
水に濡れたひどい有様の学用品を見れば、ナディアの嘘など見え透いたものだった。
そっと手渡された荷物と共に、ポツリと溢された思いもよらぬ言葉にナディアは顔を上げる。
「張り合う必要はない。勝つ必要もない。今は目の前しか見えないかも知れないけれど、世界はこんなにも広いんだ。例えこの行為に及ぶ何かの理由があったとして、こんな形で人を傷つける者に心を砕く必要なんてないと、僕は思う。だから、負けないために逃げたっていいんだ。最後にキミが、笑えてさえいればいいんだよ」
「……ぁ……っ……ありがとう……ございます……っ」
恥ずかしさから顔が上げられないナディアは、俯いてお礼を述べるだけで精一杯だった。
「……何も知らないのに、勝手を言ってすまなかった。ただ、こんな所で手折られるには、キミがあまりにも勿体無いと思ったんだーー」
そう言って気恥ずかしそうに笑った青年が、必死な形相でいる目前のアレンと重なった。
あなたにおすすめの小説
とある伯爵の憂鬱
如月圭
恋愛
マリアはスチュワート伯爵家の一人娘で、今年、十八才の王立高等学校三年生である。マリアの婚約者は、近衛騎士団の副団長のジル=コーナー伯爵で金髪碧眼の美丈夫で二十五才の大人だった。そんなジルは、国王の第二王女のアイリーン王女殿下に気に入られて、王女の護衛騎士の任務をしてた。そのせいで、婚約者のマリアにそのしわ寄せが来て……。
【本編完結】笑顔で離縁してください 〜貴方に恋をしてました〜
桜夜
恋愛
「旦那様、私と離縁してください!」
私は今までに見せたことがないような笑顔で旦那様に離縁を申し出た……。
私はアルメニア王国の第三王女でした。私には二人のお姉様がいます。一番目のエリーお姉様は頭脳明晰でお優しく、何をするにも完璧なお姉様でした。二番目のウルルお姉様はとても美しく皆の憧れの的で、ご結婚をされた今では社交界の女性達をまとめております。では三番目の私は……。
王族では国が豊かになると噂される瞳の色を持った平凡な女でした…
そんな私の旦那様は騎士団長をしており女性からも人気のある公爵家の三男の方でした……。
平凡な私が彼の方の隣にいてもいいのでしょうか?
なので離縁させていただけませんか?
旦那様も離縁した方が嬉しいですよね?だって……。
*小説家になろう、カクヨムにも投稿しています
女性として見れない私は、もう不要な様です〜俺の事は忘れて幸せになって欲しい。と言われたのでそうする事にした結果〜
流雲青人
恋愛
子爵令嬢のプレセアは目の前に広がる光景に静かに涙を零した。
偶然にも居合わせてしまったのだ。
学園の裏庭で、婚約者がプレセアの友人へと告白している場面に。
そして後日、婚約者に呼び出され告げられた。
「君を女性として見ることが出来ない」
幼馴染であり、共に過ごして来た時間はとても長い。
その中でどうやら彼はプレセアを友人以上として見れなくなってしまったらしい。
「俺の事は忘れて幸せになって欲しい。君は幸せになるべき人だから」
大切な二人だからこそ、清く身を引いて、大好きな人と友人の恋を応援したい。
そう思っている筈なのに、恋心がその気持ちを邪魔してきて...。
※
ゆるふわ設定です。
完結しました。
その結婚は、白紙にしましょう
香月まと
恋愛
リュミエール王国が姫、ミレナシア。
彼女はずっとずっと、王国騎士団の若き団長、カインのことを想っていた。
念願叶って結婚の話が決定した、その夕方のこと。
浮かれる姫を前にして、カインの口から出た言葉は「白い結婚にとさせて頂きたい」
身分とか立場とか何とか話しているが、姫は急速にその声が遠くなっていくのを感じる。
けれど、他でもない憧れの人からの嘆願だ。姫はにっこりと笑った。
「分かりました。その提案を、受け入れ──」
全然受け入れられませんけど!?
形だけの結婚を了承しつつも、心で号泣してる姫。
武骨で不器用な王国騎士団長。
二人を中心に巻き起こった、割と短い期間のお話。
報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を
さくたろう
恋愛
その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。
少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。
20話です。小説家になろう様でも公開中です。
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
王子様への置き手紙
あおき華
恋愛
フィオナは王太子ジェラルドの婚約者。王宮で暮らしながら王太子妃教育を受けていた。そんなある日、ジェラルドと侯爵家令嬢のマデリーンがキスをする所を目撃してしまう。ショックを受けたフィオナは自ら修道院に行くことを決意し、護衛騎士のエルマーとともに王宮を逃げ出した。置き手紙を読んだ皇太子が追いかけてくるとは思いもせずに⋯⋯
小説家になろうにも掲載しています。