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ガーデンパーティーにて ③

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「困ったわ……」

アネットはぽつりとつぶやいた。

「……おトイレに行きたくなってしまったわ」

トリスタンがアネットの側を離れて十五分ほどが経っていた。

この場から動くなと言われていたがさすがにトイレにまで行くなという意味ではないだろう。
トリスタンがどのくらいで戻って来るのかわからないのに悠長に待ってはいられない……。

「……すぐに戻ってくればいいわよね」

アネットはそうひとりち、楚々としてレストルームへとなる早で移動した。

そうしてレストルームから戻る最中さなか、仕事で交流のある職員たちと行き交う。
普段から雑用係として仕事を手伝うアネットに好意的に接してくてる職員ばかりだ。

彼ら彼女らは皆一様にドレス姿のアネットを褒めてくれた。

そのうちの一人がアネットに言った。

「シラー嬢はどうして一人で?」

アネットが婚約者の同伴でパーティーに出席しているのは説明せずともわかる事だ。
それなのに一人で居ることを怪訝に思い、そう訊ねたのだろう。

「私はレストルームへ行っておりましたので……」

「ああなるほど。それでか。いやね、キミの婚約者がロビーのカフェに居たから不思議に思っていたんだよ」

「ロビーのカフェ……ですか?」

「宿泊客以外の外部の客も利用できるホテルのカフェだよ。そこでトリスタン・ハイド氏とオスライト伯爵とご令嬢の姿を見て不思議に思っていたんだ」

「そう、ですか……」

“引き止めてすまなかったね、早く婚約者の元に戻りなよ”
と言葉を言い置いて、その職員は去って行った。

アネットの足はその場に縫い止められたように動けない。
このまま戻ってトリスタンの言い付け通りに大人しく休憩スペースで大人しく待っているべきかそれとも……

───ロビーに様子を見に行く……?

さっきの職員が言っていた。トリスタンはオスライト伯爵父娘と一緒に居ると。

アネットは思わず足を踏み出し、ロビーへと向かっていた。

こっそりと人知れずロビーからカフェの様子覗き見る。
カフェはラウンジタイプのオープンスタイルになっていて、コーナー分けは植物や背の低いポールで仕切られているだけであった。
そのため中の様子は窺いやすい。

我ながら密偵みたいだなと思うけど、呼ばれてもいないのに堂々とカフェに入るわけにはいかないから。

でもどうしても、アネットはトリスタンの様子を知りたかった。
先日給湯室で聞いた話が事実なのかどうか、本人に確かめる前に自分の目で確認したかったのだ。

幸い、距離はあるが様子がわかりやすい位置にトリスタンは座っていた。
アネットは大きな観葉植物の影に隠れてその姿を見つめる。

カフェのゆったりとした椅子に座るトリスタン。
彼の向かいにはオスライト卿その人と、とても美しいご令嬢が座っていた。

───あの方が伯爵のご令嬢ね……綺麗な方……。

アネットは心の中でそうつぶやく。
儚げな雰囲気の中にも凛とした魅力を感じる、同性でも見蕩れてしまうほどに可憐で美しい女性であった。

トリスタンを含め、三人は何やら話し込んでいる。
難しい話でもしているのだろうか。
だけどその時、

───え………

アネットはその光景に目を瞠る。

トリスタンが笑ったのだ。

心から嬉しそうな、まるで心の底から喜びが溢れるような、そんな笑顔をオスライト伯爵令嬢に向けたのだ。

───なんて嬉しそうな顔を……

婚約者となり、側で彼の笑顔を幾度となく見てきたアネットでさえ初めて見るような、そんな幸せに満ちた笑顔だった。

───……あんな顔も出来るのね……

トリスタンのあの顔を見れば否が応でもわかってしまう。

アネットとの婚約はきっと解消される。

そしてオスライト伯爵令嬢を新たな婚約者とするのだろう。

より条件のよい伯爵家の令嬢だから婚約を結び直すのではない。
あのご令嬢だからトリスタンは何度も会い、きっとあんなに自然な笑みが零れるほど令嬢と心を通わせたのだろう。

アネットは呆然としてその場に立ち尽くし、トリスタンを見つめ続けた。

その後、無意識にでも休憩スペースに戻った自分を褒めてあげたい。
力なく椅子に座り、千々に乱れる感情を静めるために深呼吸をして池の水面みなもを眺める。

するとほどなくしてトリスタンが戻って来た。

先程の笑顔とは打って変わって、申し訳なさそうな表情をアネットに向ける。

「すまない、思ったより話が長引いた。随分と待っただろう……」

アネットは静かに首を振る。

「……いいえ、時間にすれば一時間も経ってはおりませんわ。……それより、お話はもう済んだのですか?こちらに戻って大丈夫なのですか……?」

本当はまだ、オスライト伯爵令嬢と一緒に居たかったのではないだろうか。
そう思うとアネットの胸がつきん、と痛んだ。

「問題ない。とりあえず話は終わった。続きは後日だ」

「……大切なお話なのですね……内容を、お聞きしてはいけないのでしょうか……?」

珍しくアネットがより踏み込んだ言葉掛けをした事にトリスタンは驚いた。

「っ……?……すまんが先方の事情もある事なのでまだ話せる段階ではないのだ。キミに関わりのある事だから話すべき時期がきたら必ずこちらから話す。だからそれまで待っててくれ」

「そうですか……立ち入った事をお訊きしてしまいました。申し訳ありません……」

「い、いや、いいんだ……こちらこそ、すまない」

先方の事情。
まだ話せる段階ではない。
アネットに関わりのある事。
時期が来たらこちらから話す。

それらのワードが全てを裏付けていると思う。
これはもう、縁談の話で間違いないのだろう。

トリスタンのさっきの笑顔は、オスライト伯爵令嬢との縁談が決まったからだったのかもしれない。

だって、あんなにも嬉しそうにしていたのだから。

しっかりせねばと。現実をしっかりと受け止めねばと自分に言い聞かせるも、その後もどこか上の空になってしまうアネット。
その様子を慣れないパーティーのせいで疲れたのだと勘違いしたトリスタンは、パーティーを早々に切り上げてアパートまで送ってくれた。

ゆっくり休むようにと言い置いてトリスタンが帰った後、一人になったアネットはずっと彼との婚約のことを考え続けた。

見合いで知り合い、婚約者となったトリスタンにいつの間にか恋をしていた。

言葉は辛辣だし態度は尊大だけど心根の優しいトリスタンを好きにならずにはいられなかった。

そんな彼の婚約者でいられて本当に嬉しかったのだ。
やがて結婚して、トリスタンと共に生きてゆける人生に心から感謝した。
失った家族の形を取り戻せると、彼とならそれが出来るとそう思ったのだ。
本当に幸せだった。

だけど、トリスタンにとってはそうではない。
彼は他に見つけてしまった。

人生を共に歩んでゆきたい人を。

心からの笑顔を向けられる、真に愛する人を。

ならば、

アネットに出来ることはただ一つ。

トリスタンとの婚約を穏便に解消し、彼を自由にしてあげる事だ。

今まで沢山良くして貰った。
婚約者として大切にしてくれた。
アネットの小さな生活の中に温かい光を灯してくれた。
もうそれで充分じゃないか。

このままではトリスタンは婚約者を乗り換えた形となり、
どうしても彼の瑕疵となる。

アネットはそれは望まない。
トリスタンの輝かしい人生に影を落としたくはないのだ。

「皮肉なものね……ここへきて最高の贈り物を見つけるなんて」

ずっと彼に感謝の気持ちを込めた贈り物をしたいと思っていた。
アネットにも贈れる、トリスタンが心から喜んでくれるようなそんな贈り物を。

それがアネットの方から婚約解消の申し出をする……というトリスタンにとって最高の贈り物を思いついてしまった。

でもこれはある意味アネットにしか贈れないプレゼントだ。

これによりアネットの今後の縁談は難しくなるかもしれない。
一度婚約解消となった記録と記憶は消えない。

だけどアネットはそれでも構わないと思った。

トリスタンが、彼が幸せになれるなら。


「決めたわ……」


アネットは来週に迫ったトリスタンへの最初で最後の誕生日の贈り物を、婚約解消に決めたのであった。

















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