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57 それぞれの朝④
しおりを挟む腹直筋……外腹斜筋……内腹斜筋……
アーヴィングは邪な意識を逸らすために、脳内で筋肉の部位の復唱を始めた。
しかし一向に収まらぬ胸の高鳴りと若さの象徴。まさかこんなことになるとは。一緒の夜を過ごせるようになるのだということが嬉しくて、下半身事情を考慮するのをすっかり忘れていた。
「んん……」
(シア、起きた?)
アナスタシアが声を漏らす度に目を開けて確認するのだが、その度に元気を取り戻す分身が恨めしいことこの上ない。
なんて可愛らしいのだろう。その姿を目に映すだけで胸の中で大きく膨らんだ烈情が破裂しそうになる。
(シア、シア、シア)
力の限り抱き締めて、めちゃくちゃにしてしまいたい。そんな衝動がもう何度身体を駆け巡ったか。
アナスタシアの瞳はやっぱり閉じられたまま。部屋の外からは少しずつ日常の音が聞こえ出していた。おそらく時刻は朝と昼の間くらいだろう。
(どうしよう……先に起きて待っていようか……)
このままアナスタシアと触れ合ったままだと彼女が目を覚ました時に色々気づかれてしまう。アーヴィングは名残惜しい気持ちでアナスタシアの頭が乗る腕を外そうとした。
「……アーヴィング……どこに行くの……?」
不安げな声。
離れようとしたアーヴィングの胸にアナスタシアは縋り付くように顔を寄せた。
「シア、起きたの?」
平静を装うも、心臓はバクバクだ。
「……うん……でももう少しだけこうしていたい……」
まるで重たい目蓋と格闘しているよう。
自分だけに見せてくれる無防備さが愛おしい。本当に可愛い人。
(よし、とにかく落ちつけ。深呼吸だ)
しかし深呼吸すると更に深く肺を満たす彼女の香り。おまけにアナスタシアはアーヴィングが一番気がついてほしくないところに気がついてしまう。
「アーヴィング……足がないわ……おばけになっちゃったの……?」
寝起きなのにそんなことにいち早く気づくとは恐るべしアナスタシア。
でも“おばけ”なんて、しっかり者のアナスタシアらしくなくて可愛い……って違う、そうじゃない。
「少し前に目が覚めて……だからシアが目覚めるまでストレッチしてたんです」
かなり苦しい言いわけだがなんとかこれで押し切るしかない。
「……離れているの、淋しいわ。もっとこっちにきて……?」
アナスタシアはか細い腕をアーヴィングの脇から背に回し、ぎゅうっと胸板に抱きつくようにして身体を寄せてきた。
(ま、まずいっ!!)
アーヴィングは急いでアナスタシアを仰向けにし、下半身をずらし、上半身を重ねるようにして抱き締めた。
「……アーヴィング……?」
「シア、愛しています……愛してる……」
首筋に顔を埋めて囁くと、背中に腕が回った。
お願いだからもう少しだけこのままでいて。
きっともうすぐ収まるはずだから。
けれどアナスタシアは、窮地を脱しようとしているアーヴィングのこの行為を少し……いや、かなり勘違いしてしまったようだ。
「私もよ……アーヴィング、愛してるわ」
アナスタシアは横を向き、鼻先でアーヴィングの頬に触れ、自分の方を向くように促した。
そして目が合うよりも先に、アーヴィングの下唇を食んだ。次に上唇も。
アーヴィングの苦悩は、まだまだまだまだ続く。
*
アーヴィングが煩悩との大戦に突入した頃。
王城の正門前は物々しい雰囲気に包まれていた。
停められた二台の黒塗りの馬車の側には、緊急招集された近衛騎士団が緊張の面持ちで整列していた。
「急な呼び出しですまないな」
姿を表したのは王太子ローレンスと第二王子ルシアン。そして二人のすぐ後ろには、イヴとハリーを抱いたイアンが控えていた。
騎士たちは主の出で立ちに息を呑む。
ローレンスもルシアンも正装だったからだ。
王族としての権威を示すその姿で出るということは、着いた先でその力を行使する可能性があるということ。
自分たちはただの護衛として駆り出されたわけではないのかもしれないという事実に、騎士たちの顔つきが変わった。
「これより王太子ローレンスは王都のラザフォード侯爵邸へ。そして第二王子ルシアンはアドラム伯爵邸へと向かう。君たちには道中の護衛を頼みたい」
ローレンスに続きルシアンも口を開く。
「なるべく物騒なことにはならないようにするから大丈夫だよ。でも、事と次第によっては手加減しなくていいからね」
馬車に乗り込むローレンスとルシアンの背中に向かって檄が飛んだ。
「みゃああっ!!」
「ぎゃわわわん!!」
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