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しおりを挟む『幸せ過ぎて死んでしまいそうです』
浴槽に身体を浸しながら、アナスタシアはアーヴィングの言葉を反芻する。
クィンシーとの間でどんな会話が交わされたのか、その詳細はまだ聞いていない。
だが、あのアーヴィングの様子からすると恐らく、『アナスタシアの身体は大丈夫だ』的なことを言われたに違いない。
クィンシーは素晴らしい医師だ。アナスタシアも彼のことは信用している。
しかし、幼い頃聞いた前筆頭侍医の言葉が、成長した今でも耳にこびりついて離れない。
──まさかランドルフ病にかかるなんて……この子はきっと、三十までは生きられないだろう
発症時の苦しみはもう覚えていないが、この言葉だけはどうしても忘れることができなかった。
その後、クィンシーからも病気についての説明は受けたし、自分でもこの病に関する症例に何度も目を通した。
全員が全員後遺症が残るわけではないことも、健康なまま生涯を全うした人が存在することも知っている。
しかしやはりその裏で、若くして命を落とす者が多くいるのも事実だ。
残酷な現実を目の当たりにして、希望だけ持ち続けるなんてそんなこと、アナスタシアには到底できなかった。
人生を諦めるのとは少し違う。
ただ、いつか終わりが来るのだからと思って生きていた方が、その日を迎えた時に楽だと思ったのだ。
けれど、アーヴィングは違う。
アナスタシアを失うことを恐れていながらも、決して前を向くことを止めたりしない。
希望なんて持てば持つほど叶わなかった時つらいのに、夢を見ることを諦めない。
アナスタシアにとって、アーヴィングこそが希望の光だ。
彼を幸せにしたい。
初めて言葉を交わした日から、ずっとそう思ってきた。
けれど実際は逆で、幸せをもらっているのはアナスタシアの方だった。
アーヴィングが望むなら、どんなことでも叶えてあげたい。
長生きすることもそう、そして子どもを……二人で家庭を築くことも。
「……今夜イヴとハリーには、お兄様とルシアンの部屋で寝てもらわなきゃね」
今夜この身体にアーヴィングが触れる。
アナスタシアは、湧き上がる熱を抑えるように自身の身体を抱いた。
*
アナスタシアとアーヴィングが、湯殿でそれぞれの時間を過ごしている頃。
王宮の庭園では、いつもの散歩と見せかけたイヴとハリーの密談が交わされていた。
「みゃ~う」
「わふわふわふわふ!」
「みゃうぅ……みゃうみゃう!」
「わっふ!わふわふわふ!」
「みゃう!みゃみゃみゃ!」
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