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998年目

26 母の話 ※レオン

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 ※※※ レオン ※※※



チヒロが絵本を返してきた。


『空の子』のことが描かれたその絵本はチヒロがやってきた日。
自分のことであるにも関わらず『空の子』を知らなかったチヒロに読むように言って渡した物だった。


この国では子が生まれると、親が子に絵本を贈る習慣がある。
もちろん、裕福な家の者の習慣だ。

豪華な装飾を施した絵本を、跡取りとなる子ならばその家に代々伝わる物を。
そうでない子達には親が用意し子へ贈る。


絵本の内容は大抵が『空の子』の話か、もしくは《銀狼》の話。


子の誕生を祝って贈られるそれは、その子が歓迎されこの世にやってきた証。


――「長いこと借りたままにしてて、ごめんなさい」――

絵本の習慣を知ったのだろう。
僕は律儀に返しに来たチヒロのすまなそうな顔を思い出し笑った。

僕はその存在すら忘れていたというのに。

「……捨てても良かったのに」

思わず声に出た言葉を心の内で否定する。

いや。さすがにそれはないか、と。

生後七日ほどのうちに親が子に贈る絵本。
今、僕の手元にある《これ》はきっと、セバスが気を遣って用意したものだ。

黄色の表紙には金の刺繍がこれでもかというほど施されている、豪華な絵本。
《王子》が持つに相応しいだろう品。

買い求めたセバスの苦労を思う。

けれど。

誕生を祝って贈られる絵本。
これを持つ資格は、僕にはない―――――。


――「お前などいらないのに」――


《西》の奴にはじめて囁かれたのはそんな言葉だった。

それだけで、僕はすぐに理解した。

生まれた時からひとり暮らす南の宮。

《お前が命を奪った者の顔だ》と責めるような
壁を飾る大量の少女――母の絵。

年に数回人前で顔を合わせるだけの、表情のない男――父王。

セバスが、宮の者が、どんなにあたたかな弁解を口にしようとそれはただ嘘臭く
《西》の奴の鋭い言葉こそが明らかな真実なのだと思い知っていくだけだった。

16歳の歳の差は大きくて
他の者に見せる奴の《良い異母兄》の顔は完璧で

僕は全てを諦めた。

誰かに告げ口する気も、相談する気も、抵抗する気もなかった。
なんと言われようと、どんなに責められようと本当のことなのだ。
仕方がない。

だが責められ続けるうちに、諦めは怒りに変わっていった。

いい加減にしろ。もう沢山だ。

考えてみろ。
赤ん坊の僕に何ができたというのだ。

全ての元凶は誰だ。

少女を強引に手に入れた父王ではないか。
僕のせいじゃない。


――――― 僕のせいじゃない ―――――


―――あれはそんなある日。

背中にちくりと痛みがはしった。

振り向けばそこには僕を訪ねてきた奴の顔があって。
顔は歪んだ笑いを浮かべていたが、人が来ると直ぐに違う笑顔になった。

セバスが奴が持ってきたお菓子を受け取りお礼を言い
侍女たちはお茶の準備を始めた。

7年の時が過ぎてもどうして忘れられようか。

その日の夜から僕は熱を出した。

背中の焼けるような痛みで原因は理解したが、僕はそれを誰にも言わなかった。

セバスが医師を呼ぶというのを大袈裟だと断った。

熱冷ましだけ飲んで寝ていれば治ると頑なに拒んだ。
実際は熱冷ましも飲まず、熱はどんどん上がり続けたが僕は頑なに拒んだ。

奴にされたことを忘れない為には丁度いいと思っていた。
己が苦しめば苦しむほど奴への憎しみは増したのだから。

覚えておくのだ、この痛みを。

僕にこの痛みを与えた奴を
全ての元凶であり僕をこの宮に捨てた父王を

絶対に許すな。

いつか必ず復讐してやるのだ、と。
熱で朦朧とする中、僕は自分に酔っていた。

9歳の僕は知らなかったのだ。
その虫の毒で亡くなる人もいることを。
しかし薬を飲めばすぐに消える毒でもあることを。

次の日になってから、奴に依頼されたといって王宮医師が来た。
異母兄にい様は貴方の体調不良をとても心配されていましたよ、と
その医師は言った。

僕が医師を拒み治療を受けずにいると知って奴は慌てたようだ。
万一、僕が死ねば自分は王族を殺した大罪人となるのだから。

僕を少し苦しめてやろうとしただけ
殺す度胸まではなかったのだ。

今、考えればなんとお粗末なものだったのだろう。

奴が僕に寄越した王宮医師ロウエンは僕に有無を言わせず診察し。
原因の毒虫に気付いた彼に、僕は薬を飲まされ事なきを得た。

そこまでなら奴の思い通り。
しかし王宮医師ロウエンは僕に寄越すには優秀すぎた。

王宮医師ロウエンは首を傾げた。
その毒虫に背中を刺されることなど《ありえない》と断言したのだ。

王宮医師ロウエンのその言葉。
そして奴の訪問。

全てを悟ったセバスは激昂し、奴と刺し違えてもと剣を―――――。

僕は目を閉じた。

セバスから剣を奪い、無理矢理剣を置かせ南の宮から追い出した日。
危うく優しい教育係を王族殺しの大罪人にするところだった遠い日。

僕が犯してしまった罪―――――。


閉じた目の奥に絵でしか見たことのない顔が浮かぶ。

母が行儀見習いとして王宮に上がったのは、王宮に上がれる年齢として最も若い15歳の時だったという。

王が直接招いたので、周りは少し年は上だが2人の王子のうち、どちらかの妃候補だと思っていたらしい。

ところがそのうち、王は母を王妃にすると言い出した。

周りがどんなに反対しても聞く耳を持たなかった。

母が18歳で成人を迎えるとすぐ、前王妃亡きあと長く空いていたその座に、王は強引に彼女を座らせた。

40歳の王に18歳の王妃。

王の強引な決定に、眉をひそめられ遠巻きに見つめられた国王夫妻。

王に掌中の珠とされた成人したばかりの王妃。

北の宮の奥深くに囲われ

王が同行しなければ宮から出ることもなく

王妃としての政務もほとんどすることもなく

ただひたすら王に守られて過ごした王妃。


母はどんな気持ちだったのだろう。


一年後。
母は僕を産んで亡くなった。


突然の。予定より早い出産は、毒をもられたからではないか、とか

出産後の異変への対応が遅れたのは仕組まれたことではないか、とか

赤児は本当に王の子なのか、とか

いくつものきな臭い噂が出るほど、守られていただけの若い王妃は王妃として認められていなかった。


19歳だった。


母が残したのは僕のこの命と、遺したという一言だけ。


――「ようこそ。私の小さなレオン」――


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