あなたの糧になりたい

仁茂田もに

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 タクシーを止めて、運転手がベータであることを確認する。車内に乗り込むとほとんど同時に胸ポケットの緊急抑制剤を取り出して、前回と同じように躊躇うことなく太ももに押し当てた。

 かしゅっという軽い音がして、間違いなく薬液は律の中に入ったはずだ。それなのに律の熱は全然治まらなくて、家に帰りついたときには完全に発情しきっていた。

 とはいえ、抑制剤が微かに効いてはいたのだろう。狂いそうなほどの飢餓感の中にもある程度の意識はあって、このまま暁斗に会ってはいけないという思考だけはあった。

 律の場合、発情期は三か月に一度。薬を飲まなければ、だいたい一週間ほど続く。
 周期は一定で、抑制剤を使えば症状は軽くはなるが完全になくなることはない。特に、発情期の熱とフェロモンは発情期が始まってからの三日間が一番酷く、微熱とどうしようもない身体の火照りに苛まれてしまう。

 それでも性衝動はコントロールが効いて、自分で慰めるだけで耐えられるのが不幸中の幸いだった。だから、律は発情期が来るとその三日間だけ、暁斗から離れビジネスホテルで過ごしていた。

 性衝動が抑えられても、オメガの発情期特有のフェロモンだけはなくすことが出来ない。
 フェロモンはアルファの理性を溶かし、彼らを狂わせるのだ。

 律は暁斗の制作の邪魔をしたくなかった。

 フェロモンはどう考えても制作中の暁斗の邪魔にしかならず、だからこそ発情期中は暁斗を避けていた。暁斗も律の発情期など興味もなかったようで、これまで一度だって発情期について聞かれたことはない。

 そのため、発情した状態で自宅に帰ったのは暁斗と暮らし始めてから初めてのことだった。
 律と暁斗が住んでいるのは、古い木造アパートの二階の角部屋だ。震える足で錆びた階段を上がり、震える手で粗末な鍵を開けて部屋の中に入る。

 薄い玄関ドアが開いた瞬間、律の理性は完全にどろりと溶けた。

 ――ここは、巣だ。

 茹だるような熱に侵されて、律はそう思った。

 部屋に満ちた暁斗の香りと油絵の具の匂い。いつもは安心する匂いのはずのそれは、今の律にとっては麻薬のようなものだった。どうしようもなく淫欲を掻き立てられて、苦しいほどに欲情している。

「律……?」

 ぼとん、と何かが落ちる音がした。落ちたのはたぶん暁斗が持っていたペッドボトルだ。
運よく蓋を開けていなかったペットボトルが床に落ちて、そのすぐそばに暁斗が立ち尽くしていた。

 普段はあまり表情の変わらない端正な顔が、ひどく驚いた様子で律を見つめていた。

「暁斗――」

 暁斗の声を聞いて、律の理性はさらに溶け落ちていく。

 栗原への罪悪感など、もはやどこかへ行ってしまった。不実だと責める本能すら、発情の欲に引きずられてただ目の前のアルファを――暁斗を求めていた。

 狭いアパートの廊下は暁斗の長い足なら三歩で歩き終えてしまう。
 暁斗の少し黒ずんだ手が律に伸びて、その肩を掴む。指先が黒く汚れていたのは、直前までクロッキーでもしていたのかもしれない。噛みつくようにキスされながら、そんなどうでもいいことを思った。

 ドアに肩を押し付けられて、身動きを封じられる。
そのまま性急にスーツのスラックスを下着ごと無理やり下ろされ、臀部を暁斗の前に晒される。抵抗する暇なんて全くなかった。

「まって、暁斗ッ、ああ――っ!」

 発情したオメガの後孔はすでに解れて、アルファを待ち望んでいたのだろう。長大な暁斗の性器で一気に貫かれても、痛みはほとんどなかった。あるのはただ脳天を突き抜けるような激しい快楽だけだ。

「あっ、あきとッ、ああ」

 立ったまま背後から犯されて、律は甘い声を上げる。

 身長差のせいで律と暁斗の腰の高さは大きく違う。それを暁斗が律の腰を抱え上げるような形で無理やり繋がっているのだ。不安定な体勢のまま、何度も額をドアにぶつけたけれど、痛みなんて欠片も感じなかった。

「はぁ、りつ、りつ、いい匂いがする。なに、これ」
「ぁあ、あ、ああっ、きもち、あきともいい匂いするッ」

 暁斗が興奮しきった声で律の耳を食んだ。眩暈がするほど気持ちが良くて、何も考えられない。

 思い返せば、発情期にセックスをするのは随分と久しぶりだった。昔、律がまだヘルスのボーイをやっていたとき以来だ。それだって客相手に抑制剤を使用した状態での行為で、ここまで理性を失ってはいなかった。

 つまり、好きなアルファと発情期を過ごすのは律にとって初めての体験だった。

 律の発情を引き起こしたのは、間違いなく栗原との接触だ。けれど、ここまで発情が酷くなったのは律が暁斗に抱かれたいと強く思ったからだ。

 暁斗の舌や唇が律の輪郭を確かめるように耳から首筋、それから頬へと触れていく。

 それだけで律の肌は喜んで、どんどん熱を上げる。漂うフェロモンが懸命に暁斗を誘っているのは分かっていたけれど、律自身にも止めることは出来なかった。

 耳元で暁斗が熱い息を吐いた。律のフェロモンに煽られて、ラットに入っているのだろう。ひどく興奮した様子で、ぎりぎりと歯を食いしばっている。

 獣欲に支配されている暁斗は、きっと衝動のまま律をめちゃくちゃに蹂躙したいはずだ。

 それでも暁斗の手つきは優しかった。細い理性の糸を必死に握りしめているようで、何度も何度も律の名前を呼んだ。

 鋭いアルファの牙が項に当たる。その感触すら気持ちよくて頭の中が蕩けていく。

 ――律、噛みたい。

 確かに暁斗はそのとき、そう言った。
 それにたぶん律は頷いたのだ。
 無意識に、ただ本能に任せてそれを許可してしまった。

 ――いいよ、噛んで。

 間違いなく、このときの律はそう答えた。

 オメガのフェロモンに煽られてラットになったアルファが、項を噛む許可を乞うこと。

 それ自体が暁斗がアルファの本能に必死に抗って、律を大切にしようとしている証拠だった。

 嬉しい。噛んで欲しい。
 暁斗、好き。大好き。
 そんな言葉が律の唇から零れ落ちていく。

 項の薄い皮膚に、暁斗がゆっくりと歯を立てた。肉に硬い牙が食い込む。その痛みに律は目を見開いた。

「あっ、あ、ああ――ッ」

 ぞわりと全身に鳥肌が立って、律は全身を震わせた。
 暁斗を受け入れたままの雄膣がぎゅうぎゅうと収縮して、中の陰茎を搾り取るように蠢いた。項を噛まれた刺激で、達してしまったのだ。

 それは今まで感じたことのない深く長い絶頂だった。まるで身体の中を作り変えられたかのような未知の感覚。暁斗のフェロモンだけが律の中を満たして、それがひどく幸福だった。

「ひぃっ、あ、あぁ、ん」

 律が吐き出した白濁が玄関ドアにぱたぱたとかかった。
 絶頂が長引いて、膝ががくがくと震える。そのまま立っていることが出来ずに、律は玄関ドアに縋りついた。

 気持ちいい。気持ちいい。

 それしか考えられずに、律ははくはくと息を吐く。上手く呼吸が出来なくて、終わらない快楽に溺れてしまいそうだった。

「律、ごめんっ」
「え……? あッ!」

 必死に快感を逃そうと深呼吸を繰り返していると、突然暁斗が小さく言った。その短い謝罪の後、強く腰を掴まれた。

 肉付きの薄い律の肌に暁斗の指が食い込んで、微かな痛みがあった。けれど、番になった愉悦に浸りきった身体にはその痛みすら快楽に変わる。

 さらに深く穿たれて、律は悲鳴のような嬌声を上げた。

「あっ、だ、だめっ、あきと、そこやだッ」

 暁斗の剛直が律の粘膜を擦り上げる。入り口近くにある感じる場所も、腹側にある前立腺も、結腸入り口の少し狭くなった部分も。律が感じる部分全てを掘るようにして刺激してくるから堪らない。

 暁斗から与えられる刺激は恐ろしいほど気持ちがよかった。
 ただでさえ、快感が律の閾値を超えていたのだ。それなのに、ひと際深く中を抉られたとき、ぐぷりと律の後孔に何かが嵌った感覚があった。

「あ!?」
「ごめ、止まんないッ」
「やぁああ――ッ」

 そのままの体勢で暁斗が腰を進め、さらに奥を穿った。瞬間、結腸の入り口――つまり、男性オメガの子宮口付近に大量の精液が叩きつけられた。

 暁斗の性器は律の後孔にがっちりと嵌ったまま動かない。律は暁斗が先ほど何を謝ったのかを理解した。自分の中にあるのは暁斗の亀頭球ノットだ。
 
 番の発情期に興奮したアルファに出現するそれは、出した精液を漏らさずオメガを確実に妊娠させるための器官だ。ノットを嵌め込んだままの射精は通常のものよりも長く続き、出される精液も大量だという。

 現に、暁斗の射精は未だ終わらず、律は自分の薄い腹の中にたっぷりと白濁が吐き出されるのを感じていた。

「あ、あ、あ……」

 射精されている間、律はただ震えていた。

 溢れんばかりの精液を腹に溜め込み、ずっと絶頂し続けていたのだ。
 同時に項を何度も噛まれた。それはまるで律が自分のものであることを確かめるような行為で、暁斗の独占欲の表れのような気がした。

 暁斗のことが狂おしいほどに愛しかった。
 律、と暁斗に呼ばれる。それだけで気持ちがいい。

 幸せで苦しくて、勝手に涙が溢れきた。これでもう暁斗と離れずにすむ。

 自分たちを引き裂くものは何もなくて、律はずっと暁斗と一緒にいられるのだ。
 そのことが律は何よりも嬉しかった。

「律、律、俺の律……」

 掠れた声で言われて、律は背後にいる暁斗に手を伸ばした。後ろ手に抱きしめるように彼の首に手を回す。
 求めるように唇を向けると、暁斗は律の欲しいものをすぐに察したようだった。

 柔らかく口づけられて、律はそっと暁斗の舌を迎え入れる。丹念に口の中を舐められ、舌を吸われる。それは生殖のための行為ではなかった。

 暁斗から好意を伝えられたことはない。けれど、その行動や視線が律への愛を物語っているようだった。



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