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ギルベルト 3

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 恋心を自覚したからと言って、ギルベルトとユーリスの関係が変わることはなかった。

 玻璃宮での距離は相変わらずで、そっとその姿を視線で追うのが精一杯だったし、当然ユーリスから声をかけてくるようなこともなかった。ただ静かに降り積もる雪のように想いは募り、ギルベルトの成長とともにそれは確かな欲を伴うものとなった。

 しかし、ユーリスはきっとギルベルトが自らをそんな目で見ているなどとは欠片も思わないだろう。彼はおそらく、年下の騎士が彼の背を追い越したことすら気づいていないのだから。
 ただ、何故かヴィルヘルムはギルベルトの気持ちを察したようだった。

 指摘されて、何故分かったのかと動揺するギルベルトに対して、金髪の王子は大きな口を開けて笑った。ギュンターには、あれだけ見ていれば誰だって気づくと言われた。

 ヴィルヘルムとギルベルトは、学園の同窓生で護衛騎士の中でも特に気安かったように思う。
 仲間たちから生真面目で堅物と称されるギルベルトであるが、ヴィルヘルムはそれをことさら面白がっていた。事あるごとにまったく進展しないギルベルトの片想いを揶揄っては、わざとらしくユーリスに絡みに行くのだ。肩を組んだり、その柔らかな頬に触れたりと、ギルベルトには絶対に叶わないことを易々と行うヴィルヘルムを、苦虫を嚙み潰したような顔で見つめることしか出来なかった。

 そんな風に、ギルベルトにとっては大変不本意な学園生活を過ごし、ようやく二年が経とうとしていた寒い初春の日。
最高学年の――つまり、ユーリスの卒業式を数週間後に控えた日、ギルベルトはヴィルヘルムに呼び出された。

 しかし、ギルベルトとヴィルヘルムは教室でも玻璃宮への行き帰りもずっと一緒なのだ。呼び出していったい何を話すのか、と訝しんで向かった王子お気に入りの庭園で、ヴィルヘルムは待っていた。それもたったひとりで。

 あれほど命を頻繁に狙われている身でありながら、なんと軽率な。いくら安全な学園内とはいえ油断がすぎるのではないか、と苦言を呈そうとした生真面目な騎士の言を遮って、ヴィルヘルムは尊大な態度で言った。

「ギルベルト、単刀直入に言おう。君はユーリスと番うつもりはあるか?」
「……? 殿下、どうされましたか。どこかお身体に悪いところでも」
「僕はいたって健康だ。悪いのは君の頭だ、ギルベルト。この期に及んでふざけているのか?」
「ふざけてはおりませんが……」

 ヴィルヘルムの言葉はあまりにも唐突だった。
 いつものおふざけかと思ったギルベルトは、いきなりどうしたのか、と問う。するとそんなギルベルトを見て、ヴィルヘルムは柳眉を跳ね上げた。何やら機嫌を損ねたらしい。

「ギルベルト、そんな悠長なことを言っていていいと思っているのか。もうすぐユーリスは学園を卒業してしまうんだぞ」
「存じております」
「いいや、君は何も分かってない。どうせ玻璃宮では会えるとでも思っているんだろう。多くのオメガは成人したら婚姻を結ぶ。ユーリスにどれだけ縁談が来ているのか、知らないのか?」
「縁談?」
「ほらみたことか!」

 そう叫んだヴィルヘルムは、王族とはとうてい思えない動作で項垂れた。その芝居がかった仕草はやはり揶揄われているのか、と思うように大げさだ。しかし、このときのギルベルトはそんな主にかまっている場合ではなかった。ヴィルヘルムが口にした爆弾のような単語に、気を取られていたからだ。

「ヒンメル殿に、縁談とは……」
「縁談と言えば、婚姻のことだが」
「それくらい知っております」

 知っていたか、と呆れたように言われてギルベルトはさすがに、と答えた。

「冗談はさておき。学園の卒業を控えて、今僕の元には山のような求婚状が届いている。この春に卒業するオメガへの縁談だ。ユーリス宛てだけではないが、ユーリスにも少なくない数が届いているぞ」

 あいつがモテるのはよく知っているだろう。そう言って、ヴィルヘルムはため息を吐いた。

 ヴィルヘルムの言うとおり、この国のオメガの婚姻はとても早かった。特に貴族のオメガは成人前に婚約がなされ、成人すると同時に嫁ぐことが当たり前とみなされている。
 王宮に出仕し、職を得ているとはいえ、ヴィルヘルムの侍従たちも例外ではない。学園の卒業を控え、そろそろ、と周囲が動き出しているという。

「実家ではなく僕を通すように言ってあるから今のところ全て断っているが、中にはなかなか悪くない条件のものもあってな。断るのがユーリスのためなのか迷っているところだ」
「殿下……」
「君のためじゃないぞ。あくまでユーリスのためだ。僕の大切な侍従を五十過ぎのおっさんの妾にしてたまるか」

 聞けば、縁談の大半は貴族の妾にというものらしい。貴族出身とはいえ、地方の子爵家の出であるユーリスの生家は、中央に大きな繋がりもない。この国のオメガの扱いとしては妥当なところではあったが、彼に恋焦がれる身としては看過できない事態である。

「そこで、君だ」

 眉間に深い皺を寄せていたギルベルトに対し、ヴィルヘルムはぴっと人差し指を立てる。

「ユーリスにとって君は結婚相手としてなかなかの好条件だ。伯爵家の嫡子だし、年齢も近いし、その上この若さで王国騎士団に籍も置いている。将来有望、禿げてないし、腹も出てないし、変な性癖もない。……ないよな?」
「ありません」

 なんてことを聞くんだ、と無言で睨めば、ヴィルヘルムは鷹揚に頷いた。

「それに何より、ギルベルトはユーリスにべた惚れだろう」
「それは……」

 日々、揶揄われているとはいえ、改めて聞かれると羞恥に顔が火照る。顔が赤くなっているだろうな、と思った瞬間、ヴィルヘルムが小さく笑った。普段、鉄面皮のように表情の変わらない騎士が赤面しているのが面白かったらしい。

「ならいいんだ。この国のオメガは、望まずともどうせどこかのアルファと婚姻をしなければならない。ならば、自分を深く愛してくれている相手がいいに決まっている」

 そう言うヴィルヘルムは、ついっとギルベルトから視線を逸らした。どこか遠くを見つめるその目を見て、ギルベルトは目の前のオメガの王子の胸中を思う。

 ヴィルヘルムは、この当時からすでに将来この国のために他国へ嫁ぐことが決まっていた。自らは決して望む結婚など出来ないことを分かっていて、こうしてギルベルトに手を貸そうとしてくれているのだ。その気遣いが有り難く、同時に申し訳なくも思う。

 しかし、現実がそう甘くはないこともギルベルトは理解していた。いくらギルベルトがユーリスを思っていても、伯爵家の嫡子だとしても、このときのギルベルトはまだ成人前の子どもだった。

 オメガの結婚は早くとも、アルファは決してそうではない。アルファはオメガや生まれてくる子どもを守るために、地位や経済力が必要になるからだ。
 ギルベルトにはそのどちらもまだ足りず、しかしユーリスはもう成人を迎えてしまう。せめて自分とユーリスの年齢が逆であったならば、とこのときほど強く思ったことはなかった。

「殿下のお気遣いは大変ありがたいのですが、私はまだ成人前ですのでヒンメル殿に求婚する資格すらありません」

 貴族同士の婚約であれば、成人前からなされることもよくあることだ。しかしそれは家を介して行う契約で、親同士が結ぶものだった。

 ギルベルトの父たる伯爵は、息子の婚姻には特に何も口を出さない構えらしい。ローゼンシュタイン家は代々騎士の家柄で、政略結婚とも色恋とも縁遠い一族だ。それはそれで気楽ではあるが、同時に家の力を借りるという選択肢はないということだった。
 それを隠すことなく伝えれば、ヴィルヘルムは真剣な顔をしてギルベルトを見た。

「ふむ。ではどうなったら君はユーリスに求婚できるんだ?」
「せめて、学園を卒業し騎士候補生エスクワイアではなく、正騎士にならなければ」
「なるほど」

 ヴィルヘルムは、その細い顎に指をあててしばし思案した。緑色の瞳に金色の睫毛が落ちる。

「……二年くらいなら誤魔化せるか」
「殿下?」
「僕が君たちの縁を結んでやろうといっている。ユーリスの縁談は、玻璃宮の主として先二年間断ってやろう。だからギルベルト、君はさっさと成人して騎士として身を立てろ。僕は君の答えが気に入ったんだ。責任感がある男は悪くない」
「しかし、それは――」

 ギルベルトはヴィルヘルムの言葉に目を瞠る。
 つまり、自分たちの主はギルベルトが成人するまでの二年間、ユーリスへ届く縁談を握り潰そうと言ってくれているのだ。それは、ユーリスよりも年下のアルファであるギルベルトにとっては願ってもない申し出だった。もちろん、一も二もなく了承してしまいたかった。けれど、一欠片の理性がそれを止める。

 ユーリスへ届いた縁談を、本人の了承を得ないままになかったことにしてしまうのだ。そこにユーリスの意思は存在せず、あるのはただギルベルトの都合だけだ。
もし、彼が想う相手からの縁談がそこに含まれていたとしたら。ユーリスは知らぬ間に失恋したことになってしまう。

 ――それを罪と言わずしてなんと言うのだろうか。

「ヒンメル殿の意思が……」
「オメガの婚姻に当人の意思など必要ない」

 そう言って、ヴィルヘルムは尊大な表情でギルベルトを見た。それから目を眇めて、眉を寄せる。
 オメガの王子が言うその言葉の意味に心を痛めて、ギルベルトは唇を噛んだ。

 自分がユーリスと結婚するためには、ヴィルヘルムの提案を受け入れるしかないことは分かっていた。
 あの日、あの林の中で、彼の笑顔を見た。初めて名前を呼ばれて嬉しくて、触れた手のひらは温かかった。
 ギルベルトはただ、ユーリスの笑顔が好きだった。

 ――幸せになって欲しい。

 確かにそう強く思うのに。
 ギルベルトはどうしてもユーリスが欲しかったのだ。

 迷うギルベルトをヴィルヘルムは責めるような目で見つめる。早く決断しろ、と言わんばかりのその視線にしかし頷くことは出来ない。けれど、ギルベルトが迷うことをヴィルヘルムは許さなかった。

「ユーリスの縁談を勝手に握りつぶすことを躊躇っているのか? どうせ、そのままにしていれば生家にとって都合のいい相手と勝手に娶せられるのに?」
「それは、そうなのかもしれませんが……」

 それを行うのが、彼の両親であるならばギルベルトは悔しいが口を出せない。両親にはその資格があるからだ。しかし、赤の他人であるギルベルトが己の欲のために同じことをしようとしているのだ。迷わない方がおかしいだろう。

「ユーリスを愛しているなら、その罪すら背負って求婚するべきだ。僕は君がどれだけ彼のことを想っているか知っている。近くで見ていたからな。」

 愛しているのだろう、と問われて言葉に詰まる。

 ――愛している。

 誰よりも、彼のことを想っているに決まっている。
 それだけは偽りようのない事実だ。

「愛しています。心から」
「だったら、なりふり構っていられないだろう。綺麗事だけで欲しいものは手に入らないぞ」

 真剣な顔でそう言われて、ギルベルトはとうとう頷いてしまった。
 迷う心はあるけれど、ヴィルヘルムの言う通りだったからだ。

「ただし、君よりいい条件の婚姻相手から申し込まれた場合だけはユーリス自身に選んでもらう。それはいいな」

 ヴィルヘルムの言葉にギルベルトは頷いた。彼の言う「ギルベルトよりも良い条件」というのはおそらく、「ギルベルトよりもユーリスを幸せにしてくれるだろう相手」ということだ。その判断をするのがヴィルヘルムであるならば、それこそギルベルトに否と言う資格はない。

「あと、二年待って求婚してふられても僕は責任を取らないからな。これから二年間死ぬ気で努力しろ。――ギルベルト、君は僕の友人だ。だから、その恋が上手くいくことを願う。けれど、君のせいでユーリスの二年間を無駄にすることを忘れるなよ」
「御意」

 短く答えれば、ヴィルヘルムもまた頷いた。薔薇のように華やかで整った相貌は、王族としての威厳を纏っている。

「ギルベルト・ユルゲン・フォン・ローゼンシュタイン。君はこれから犠牲にするユーリスの二年間を忘れてはならない。あと、このことは他言無用だ。決して口外しないことをここに誓え」
「ヴィルヘルム殿下の仰せのままに」
「そうか。では、永遠の忠誠を」

 地面を示され、求められるままにその足元に跪いた。
 差し出された手に額をつけ、永遠の忠誠を誓う。

 そうして、ギルベルトはひとつめの罪を犯したのだ。
 ギルベルトが愛しい番を手に入れるために犯した、最初の罪。

 あのときヴィルヘルムの提案を受け入れなければ、きっとギルベルトの隣にユーリスはいなかった。だから、その選択に後悔はない。
 しかし、ふと思うことがあるのだ。

 ――ユーリスは自分と番になって、本当に幸せなのだろうか。もしかしたら、ヴィルヘルムが握りつぶしてくれた縁談相手の方が、彼を幸せにできたのではないだろうか。

 結婚してから笑わなくなってしまったユーリスを見るたびに、ギルベルトはどうしようもない焦燥感を覚えるのだった。


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