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終章 光の勇者と神緑の魔術師

第一話 勇者一行の魔術師

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 ニコが目覚めたのはアラクネの襲撃から三日後のことだった。
 目覚めたら目の前に半泣きのハロルドがいて、縋りつかれて泣かれてしまった。どうやらニコは彼のトラウマを大いに刺激してしまったらしい。
 見慣れた森の小屋の寝台に横たわるニコに、ハロルドは容赦なく抱き着いてきた。
 それから、ひとしきりぐずぐずと鼻を鳴らした後、彼はニコが寝ている間の話をしてくれた。

「ニコたちを守ってたあの木、やっぱり神樹だったみたいだよ」
「えぇ……」

 渡された白湯を飲みながら、ニコは顔を顰める。
 先日の戦闘で突然出現した銀色の木はやはり神樹だったのだ。ウィルから連絡を受けた王都からの調査隊より、それが証明されてしまった。

 ハロルドは今、村に自分とともに魔王を倒した勇者一行が来ている、と言った。
 勇者一行はハロルドも含めて四人。うち三人はかつて勇者候補として女神の予言を受けた子どもたちであり、もうひとりはメアリー・アンの実姉である第一王女だ。
 彼らは魔王討伐後、出奔したハロルドとは違い、王都に留まり軍属として王の勅命を受けているらしい。今回は第一王女である魔術師ヴィクトリアが調査隊長を務めているという。

「ニコが起きたら会わせろって毎日小屋の外まで来てる」
「俺に?」
「ヴィクトリアはあの神樹をニコが生やしたって思ってるから」
「俺じゃないんだけど」

 ハロルドの言葉にニコは首を横に振る。

「あのとき、俺に魔力はもう全く残ってなかった。杖に溜めてた魔力は防御魔術で使い切ってたし、あんだけの木を生やす力なんてないよ」

 もちろん、すっからかんの今も生やすことは出来ない、と言えばハロルドは頷いてくれた。魔力探知に長けた彼にも辛うじて生きているだけの枯渇したニコの魔力が分かっているのだ。つまり、今もあのときもニコにはあの木を生やす力はない。
 何よりも一番ニコが混乱しているのだ。あのときニコは、確かに死んだと思った。それなのに目が覚めたら神樹に守られていて、腹部の傷もきれいさっぱり消えていた。
 これはどういうことだろうか。

「それに俺がもし仮に自分の魔力を使って魔術を発動させていたとして、生える木は神樹じゃない」
「ヴィクトリアにも同じことを何度も説明してるんだけど、あいつ頑固なんだよな」

 そう言ってハロルドが面倒くさそうに頭を掻いたときだった。
 どん、と大きな音をたてて小屋の扉が開いた――否、外れた。
 驚いてハロルドとニコがそちらを見れば、家主の許可を待たたずにひとりの人物がどしどしと小屋に入って来る。

「ごめんくださいませ!」

 豪奢に巻かれた銀髪に薄青の瞳。華やかな金糸の刺繍の入った紺色のローブは確かに魔術師らしいのに、中に着ているのは魔術師には不釣り合いな華やかな水色のドレスだ。
 容姿はメアリー・アンによく似ているのに、その堂々たる振る舞いと自信に溢れた表情は全く似ていなかった。おまけに、彼女を止めようとしたのか、その腰にメアリー・アンが縋りついている。

「お姉様! 勝手に人様のお家に入るなんて不躾です!」
「あら、この男は外でずっと待っていても絶対に呼んでくれないわよ。だったらこちらから出向くしかないわ」
「ヴィクトリア――」

 銀髪の美女――ヴィクトリア第一王女がハロルドを顎でしゃくって不敵に笑う。それを見て、ハロルドは盛大に嘆息した。
 彼はこの王女と何年も魔域を旅してきたのだ。彼女の気性の激しさをよく理解しているし、扱いの難しさも知っているのだろう。明らかに嫌そうに顔を顰めている。
 しかし、そんな勇者の様子をヴィクトリアは一切気にしなかった。

「お初にお目にかかります。神緑の魔術師ニコ様。わたくしは王国軍魔術師部隊にて第二席を賜っております、ヴィクトリア・アデレイアと申します。この度は、我が愚妹メアリー・アンを助けていただき誠にありがとうございます」

 ヴィクトリアは高らかにそう言って、自らの着る繊細な刺繍のされたローブを翻す。そして胸に手を当て魔術師の略式礼の姿勢を取った。

「つきまして、わたくしは国王陛下より妹の魔族襲撃事件および、黒の森に新しく出現した神樹の調査を命じられましたの。少しお話を伺いたいんだけれど、もちろんお時間よろしいわよね」
「は、はぁ……」

 強い口調で言い切られて、ニコは頷くことしか出来なかった。
 とても否、とは言える雰囲気ではなかったのだ。



 ニコがヴィクトリアに話したことは、おそらく事前にハロルドが話していたこととほとんど同じだったように思う。
 ニコは七年前の黒焔帝との戦いの影響で魔力がほとんどなくなってしまったこと。
 簡単な生活魔術ですら使うことが難しく、たまに手を貸してくれる精霊たちの魔力を使って何とか生活していること。
 蟲姫アラクネの襲撃の際は、杖に溜めていた魔力を使って辛うじて防御魔術を発動させたこと。しかし、それもアラクネの攻撃によって呆気なく破られてしまったこと。

 アラクネの爪を腹に受けた後のことはよく覚えていない。毒と痛みで一瞬意識が遠のき、気が付いたら神樹に守られていたし傷は消えていた。
 そう包み隠さず言えば、ヴィクトリアの隣にいたメアリー・アンも何度も頷いていた。

「では、あの神樹はどこから? 詳しい鑑定はイザベラに頼みますが、あれは間違いなく神樹です。現にこの三日で黒の森の瘴気が随分と薄くなりましたわ」
「どこからでしょうね。俺にも本当にさっぱり」

 イザベラというのは、ヴィクトリアと同じ勇者一行の僧侶のことだ。

「本当に何も心当たりがないのですか? まったく、これっぽっちも?」

 目を細めて訊ねるヴィクトリアの言葉に、ニコは顎に手を当て首を傾げる。
 そう言われてみれば、死にかけたあのとき、ニコは魔術を使おうとしたのではなかっただろうか。確かに魔力はなかった。けれども、魔術を発動しようと思ったのは間違いない。
 それはどうしてだったのだろうか。

「あ」
「何か思い出しまして?」

 そういえば、とニコが漏らした声をヴィクトリアは聞き逃さなかった。美しい顔がずいっと近づいてきて、ニコはその圧に苦笑する。

「メアリー・アン王女殿下から、何かを貰ったような気がしたんです。それでその力を使って魔術を発動させようと思ったような気がします」
「メアリーから?」
「わたくしからですか?」

 メアリー・アンとヴィクトリアが驚いて同時に声を上げる。

「そうです。魔力のような、少し違うような。……そうですね、人の魔力というよりも精霊の魔力に近い『何か』だったような気がします」
「精霊の?」
「でも、わたくし、魔力は……」

 ニコの言葉にヴィクトリアが何かを考えるように目を細めた。

「ではニコ様は、メアリーから受け取ったその魔力を使って神樹を生やしたと」
「俺が魔術を使えば木が生えますからね。でも植物魔術は生やす木の性質を知っていないと駄目なんです。元々、どんな場所に生えていてどんな風に成長するのか。ここに生やしても大丈夫なのかをきちんと把握した上で魔術を使わないと、すぐに枯れるしそもそも生えてくれないことも多いです」

 他の魔術とは違い、植物魔術は唯一命を芽生えさせることが出来る魔術だ。
 しかも無から植物を生み出すのは高等魔術に分類され、植物魔術を扱う魔術師でも扱えるのはごく一部の高位魔術師だけだ。多くは存在する種や苗を成長させ操ることを主としている。植物を生み出すことは容易ではなく、それこそがニコがかつて「神緑」と呼ばれていた所以だった。
 しかし、そんなニコでも神樹は生やすことは出来ない。


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