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ほつれていく糸
再び共に過ごす夜②
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クリフは約束通り私に指一本も触れていない。なのに、どうしてだろう。クリフの蒼氷色の瞳に見つめられているだけなのに、その長い指で、髪に頬に、首筋に触れられている錯覚を起こしてしまう。
部屋は暖炉のおかけで暖かいけれど、決して暑すぎることなどない。なのに、顔が火照ってしまう。暑すぎて眩暈すら覚えてしまう。そして真っ直ぐに向けられるクリフの視線に息苦しさを覚えるのに、逸らすことができないでいる。
「サーヤ、大丈夫?気分が悪いの」
「………大丈夫です」
掠れた声でそう応えれば、クリフはほっとしたように肩の力を抜く。けれど、視線は私に向けられたまま。
「本当に?」
心配そうに身を乗り出すクリフに、声が上手く出せずに、こくこくと何度も頷いてしまう。その私の仕草が面白かったのか、クリフは小さく笑って再び口を開いた。
「どうやら、僕は君に恋をしているみたいなんだ」
天気の話をしているような、そんなするりと流れるような口調だった。
反対に私は、ずるりとソファから滑り落ちてしまいそうになる。ついさっきも、さらりと驚くことを言ってくれたけれど、驚き具合としてはこっちの方がはるかに上だ。
驚きすぎて目をぱちくりする私に、クリフはそっと手を伸ばす。けれど、約束通り触れたりはしない。ただ、彼の掌の熱が感じられる、そんな距離だった。
「ずっと愛とか恋とか言葉は知っていても、それは朧気でとても曖昧でどういうものなのか形をとらえることができなかったんだ。でもね、今日君と過ごして、その形を見ることができたんだ」
どんな形なのだろう。純粋な興味が湧いてしまう。ぴくりと動いた私にクリフは柔らかい笑みを浮かべながら口を開いた。
「君の笑った顔が僕の恋の形なんだ」
想像すらできなかったその言葉に息を呑む私だったけれど、クリフは私に構わず言葉を続けた。
「花が咲いたみたいだった。綺麗だと思った。尊いとすら思った。そして僕の中に、こんな美しいものがあるなんて驚いたよ」
今、クリフは、彼自身の中から生まれた感情を言葉にしてくれている。
私にも好きな人がいた。けれど、なんか良いなと思う程度だった。クリフのようにきちんと言葉にできない好きだった。
その違いは何なのだろう。彼が大人だから?異世界の人だから?それとも他の何か?すぐに出てきそうな答えなのに、見付けられず苛立ってしまう。
歪めた顔を見られたくなくて俯けば、すぐに柔らかい声音が降ってきた。
「サーヤ、僕の話を聞いてくれてありがとう。どうしても明日まで待てなくて.........夜更けだってわかっていたけど、この気持ちを伝えたかったんだ」
そうなんだと頷いた瞬間、あと少しで見えそうだった答えを見失ってしまった。でも、苛立つことはなかった。それよりも、クリフはお説教が短く済んだという報告ではなくて、自分の気持ちを伝えに来てくれたことの方が重要だと思ったから。
そこで今更ながら当たり前の事実に気付く。────これは、俗に言う告白というものではないのか、と。
私とクリフは婚約をしている。そしてあと何か月後かに、婚約ではなくて、事実上結婚する。
最初はお互い契約だと思っていた。なのに、クリフは私を好いていると今、私に向かって告白している。
その事実を受け止めた途端、そわそわと落ち着かない気分になってしまう。みるみるうちに頬が熱くなる。意識しないようにと自分に言い聞かせても、ドクドクと心臓の音がうるさい。この音がクリフに聞こえてしまわないか心配になってしまう。
でも、そんな私にクリフは空いている反対の手も伸ばす。私の頬に触れるか触れないか、そんなぎりぎりの距離まで。
「ねぇサーヤ、僕は君に酷いことも怖がらせてしまうこともしたと自覚してる。そんな僕がこんなお願いをするのはおこがましいとわかってるんだけどね」
そこで一旦言葉を切って俯いたクリフだったけれど、すぐに顔を上げ、さっきより強い眼差しを私に向けた。
「もっと君の色んな表情を見せて欲しい」
クリフが意を決して口にした願いは、とても簡単なこと。でも、私にとったら、とても難しいことだった。
どう答えて良いかわからなくてまごつく私に、クリフは軽く首を振ってわかってると、言ってくれた。そして、困らせてごめん、とも。
「これは僕のワガママだっていうことは、わかってる。でもね、見たいんだ。君の悲しい顔や寂しい顔じゃなくて、笑った顔、嬉しそうな顔を。あ、拗ねた顔も見てみたい。きっと可愛いんだろうな。ねぇサーヤ、お願い。僕に色んな君を見せて。もちろん今すぐじゃなくて良いんだ。ゆっくりで良いから」
駄目だ。この言葉に嬉しいなんて思っちゃ駄目だ。ドキドキなんてしちゃ駄目だ。だって私はこの世界の人間じゃない。二つの月が重なったら元の世界に戻るんだから。クリフを───ここにいる人達全員を騙して。そう心の中で呟いた瞬間、胸が痛んだ。
この軋むような痛みは良心の呵責からくるものなのだろうか、それとも………。
そこで私は、はっと我に返った。これは考えちゃいけないことだと。
心に決めたはずだ。どんな手を使っても元の世界に戻るって。私の住む世界はここじゃない。突然消えた私を心配してくれている人がいるのだから、絶対に戻らないといけないと。
そう自分に言い聞かせ、強く唇を噛んだ瞬間、ノックの音とほぼ同時にガチャリと扉が開いた。
「花嫁様、そろそろ就寝のお時間ですので、よく眠れるお茶をお持ちしました」
淡々とそう口にするのはアーシャだった。
「あ、ありがとうございます」
「お前、随分と良いタイミングで入ってきたな。邪魔するな」
と、私とクリフは同時に声を出してしまった。
ちなみに私もアーシャの入室にナイスタイミングと思ったけれど、きっと………いや、間違いなくクリフが口にした良いタイミングとは違う意味なのだろう。
そして二人同時に声を掛けられたアーシャは、まったく表情を変えることなく、クリフに視線を向けた。
「花嫁様はお疲れです。領主様、本日はお引き取り下さい」
丁寧な口調だけれど、有無を言わせない厳しさがあった。途端に、クリフの眉がピクリと撥ねる。経験上、これは良くない流れになりそうだ。そう思った時には、私は二人の間に割って入るように口を開いていた。
「アーシャ、ありがとう。お茶、すぐに飲みます。あの……えっと、クリフ、申し訳ないですが私、そろそろ休ませていただきます」
確かにいつもより就寝は遅い。でも心配される程疲れていないし、まだ眠くはない。ただ今日は色んな発見や驚いた事が多過ぎたので、できれば一人になって少し頭の中を整理したいのも事実。
そういう訳で、遠回しにクリフの退出を促してみたけれど、当の本人はどっかりソファに腰掛けたまま動こうとはしないし、更に腕を組んで不思議なことを言った。
「はぁーん、お前、いつからアーシャになったんだ」
クリフの言葉に思わずアーシャを見つめてしまう。
「え?アーシャさんは、名前が違うのですか?」
どちらに聞いて良いのかわからないし、返事はどちらからでも構わないので、二人の顔を交互に見比べながら口を開いた。
けれど二人は何も答えてはくれない。ただし、二人の表情は全く別のもの。
クリフはアーシャの方を向いてニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべているし、反対にアーシャは悔しそうに唇を歪めている。
「あの、私、無理して聞こうなんて思っていないです。別にアーシャさんのままで良いなら、これからも───」
「いや、いい機会だからサーヤに教えようよ。あのね、サーヤ、君がアーシャだと思っているのは───」
「自分の口から説明させていただきます」
私の言葉を遮ったクリフの言葉を遮って、アーシャはぴしゃりと言い放った。
遮りの三段活用に、ごくりと唾を飲んだ私だったけれど、口元に手を当てアーシャは何かを考えているようだ。そして───。
「その前に、少々お時間をいただきます。このままお待ちください」
そう言い捨てて、部屋を飛び出してしまった。開いたままの扉を見つめて、閉めたほうが良いのか少し悩んでしまう。ちなみに横にいるクリフは、たまらないといった感じで大爆笑中だ。多分、扉の開閉なんてどうでもいいのだろう。
アーシャが戻ってくるのはそれから5分後。そしてその数秒後に、私は飛び上がるほどびっくりしてしまった。
部屋は暖炉のおかけで暖かいけれど、決して暑すぎることなどない。なのに、顔が火照ってしまう。暑すぎて眩暈すら覚えてしまう。そして真っ直ぐに向けられるクリフの視線に息苦しさを覚えるのに、逸らすことができないでいる。
「サーヤ、大丈夫?気分が悪いの」
「………大丈夫です」
掠れた声でそう応えれば、クリフはほっとしたように肩の力を抜く。けれど、視線は私に向けられたまま。
「本当に?」
心配そうに身を乗り出すクリフに、声が上手く出せずに、こくこくと何度も頷いてしまう。その私の仕草が面白かったのか、クリフは小さく笑って再び口を開いた。
「どうやら、僕は君に恋をしているみたいなんだ」
天気の話をしているような、そんなするりと流れるような口調だった。
反対に私は、ずるりとソファから滑り落ちてしまいそうになる。ついさっきも、さらりと驚くことを言ってくれたけれど、驚き具合としてはこっちの方がはるかに上だ。
驚きすぎて目をぱちくりする私に、クリフはそっと手を伸ばす。けれど、約束通り触れたりはしない。ただ、彼の掌の熱が感じられる、そんな距離だった。
「ずっと愛とか恋とか言葉は知っていても、それは朧気でとても曖昧でどういうものなのか形をとらえることができなかったんだ。でもね、今日君と過ごして、その形を見ることができたんだ」
どんな形なのだろう。純粋な興味が湧いてしまう。ぴくりと動いた私にクリフは柔らかい笑みを浮かべながら口を開いた。
「君の笑った顔が僕の恋の形なんだ」
想像すらできなかったその言葉に息を呑む私だったけれど、クリフは私に構わず言葉を続けた。
「花が咲いたみたいだった。綺麗だと思った。尊いとすら思った。そして僕の中に、こんな美しいものがあるなんて驚いたよ」
今、クリフは、彼自身の中から生まれた感情を言葉にしてくれている。
私にも好きな人がいた。けれど、なんか良いなと思う程度だった。クリフのようにきちんと言葉にできない好きだった。
その違いは何なのだろう。彼が大人だから?異世界の人だから?それとも他の何か?すぐに出てきそうな答えなのに、見付けられず苛立ってしまう。
歪めた顔を見られたくなくて俯けば、すぐに柔らかい声音が降ってきた。
「サーヤ、僕の話を聞いてくれてありがとう。どうしても明日まで待てなくて.........夜更けだってわかっていたけど、この気持ちを伝えたかったんだ」
そうなんだと頷いた瞬間、あと少しで見えそうだった答えを見失ってしまった。でも、苛立つことはなかった。それよりも、クリフはお説教が短く済んだという報告ではなくて、自分の気持ちを伝えに来てくれたことの方が重要だと思ったから。
そこで今更ながら当たり前の事実に気付く。────これは、俗に言う告白というものではないのか、と。
私とクリフは婚約をしている。そしてあと何か月後かに、婚約ではなくて、事実上結婚する。
最初はお互い契約だと思っていた。なのに、クリフは私を好いていると今、私に向かって告白している。
その事実を受け止めた途端、そわそわと落ち着かない気分になってしまう。みるみるうちに頬が熱くなる。意識しないようにと自分に言い聞かせても、ドクドクと心臓の音がうるさい。この音がクリフに聞こえてしまわないか心配になってしまう。
でも、そんな私にクリフは空いている反対の手も伸ばす。私の頬に触れるか触れないか、そんなぎりぎりの距離まで。
「ねぇサーヤ、僕は君に酷いことも怖がらせてしまうこともしたと自覚してる。そんな僕がこんなお願いをするのはおこがましいとわかってるんだけどね」
そこで一旦言葉を切って俯いたクリフだったけれど、すぐに顔を上げ、さっきより強い眼差しを私に向けた。
「もっと君の色んな表情を見せて欲しい」
クリフが意を決して口にした願いは、とても簡単なこと。でも、私にとったら、とても難しいことだった。
どう答えて良いかわからなくてまごつく私に、クリフは軽く首を振ってわかってると、言ってくれた。そして、困らせてごめん、とも。
「これは僕のワガママだっていうことは、わかってる。でもね、見たいんだ。君の悲しい顔や寂しい顔じゃなくて、笑った顔、嬉しそうな顔を。あ、拗ねた顔も見てみたい。きっと可愛いんだろうな。ねぇサーヤ、お願い。僕に色んな君を見せて。もちろん今すぐじゃなくて良いんだ。ゆっくりで良いから」
駄目だ。この言葉に嬉しいなんて思っちゃ駄目だ。ドキドキなんてしちゃ駄目だ。だって私はこの世界の人間じゃない。二つの月が重なったら元の世界に戻るんだから。クリフを───ここにいる人達全員を騙して。そう心の中で呟いた瞬間、胸が痛んだ。
この軋むような痛みは良心の呵責からくるものなのだろうか、それとも………。
そこで私は、はっと我に返った。これは考えちゃいけないことだと。
心に決めたはずだ。どんな手を使っても元の世界に戻るって。私の住む世界はここじゃない。突然消えた私を心配してくれている人がいるのだから、絶対に戻らないといけないと。
そう自分に言い聞かせ、強く唇を噛んだ瞬間、ノックの音とほぼ同時にガチャリと扉が開いた。
「花嫁様、そろそろ就寝のお時間ですので、よく眠れるお茶をお持ちしました」
淡々とそう口にするのはアーシャだった。
「あ、ありがとうございます」
「お前、随分と良いタイミングで入ってきたな。邪魔するな」
と、私とクリフは同時に声を出してしまった。
ちなみに私もアーシャの入室にナイスタイミングと思ったけれど、きっと………いや、間違いなくクリフが口にした良いタイミングとは違う意味なのだろう。
そして二人同時に声を掛けられたアーシャは、まったく表情を変えることなく、クリフに視線を向けた。
「花嫁様はお疲れです。領主様、本日はお引き取り下さい」
丁寧な口調だけれど、有無を言わせない厳しさがあった。途端に、クリフの眉がピクリと撥ねる。経験上、これは良くない流れになりそうだ。そう思った時には、私は二人の間に割って入るように口を開いていた。
「アーシャ、ありがとう。お茶、すぐに飲みます。あの……えっと、クリフ、申し訳ないですが私、そろそろ休ませていただきます」
確かにいつもより就寝は遅い。でも心配される程疲れていないし、まだ眠くはない。ただ今日は色んな発見や驚いた事が多過ぎたので、できれば一人になって少し頭の中を整理したいのも事実。
そういう訳で、遠回しにクリフの退出を促してみたけれど、当の本人はどっかりソファに腰掛けたまま動こうとはしないし、更に腕を組んで不思議なことを言った。
「はぁーん、お前、いつからアーシャになったんだ」
クリフの言葉に思わずアーシャを見つめてしまう。
「え?アーシャさんは、名前が違うのですか?」
どちらに聞いて良いのかわからないし、返事はどちらからでも構わないので、二人の顔を交互に見比べながら口を開いた。
けれど二人は何も答えてはくれない。ただし、二人の表情は全く別のもの。
クリフはアーシャの方を向いてニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべているし、反対にアーシャは悔しそうに唇を歪めている。
「あの、私、無理して聞こうなんて思っていないです。別にアーシャさんのままで良いなら、これからも───」
「いや、いい機会だからサーヤに教えようよ。あのね、サーヤ、君がアーシャだと思っているのは───」
「自分の口から説明させていただきます」
私の言葉を遮ったクリフの言葉を遮って、アーシャはぴしゃりと言い放った。
遮りの三段活用に、ごくりと唾を飲んだ私だったけれど、口元に手を当てアーシャは何かを考えているようだ。そして───。
「その前に、少々お時間をいただきます。このままお待ちください」
そう言い捨てて、部屋を飛び出してしまった。開いたままの扉を見つめて、閉めたほうが良いのか少し悩んでしまう。ちなみに横にいるクリフは、たまらないといった感じで大爆笑中だ。多分、扉の開閉なんてどうでもいいのだろう。
アーシャが戻ってくるのはそれから5分後。そしてその数秒後に、私は飛び上がるほどびっくりしてしまった。
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