お遣い中の私は、桜の君に囚われる

茂栖 もす

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寄り道の章

★ちょっと恋愛指南を受けてきます

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 ついさっきまでこの世の春という笑顔を浮かべていた主が、今はこの世の終わりのような顔を浮かべてブツブツと呟いている。

 さて、どう言葉をかけてら良いものだろうか。

 優秀な小姓であるナギでも、かける言葉がみつからず途方に暮れていた。が、コホンと咳払いをして、あくまで冷静に主人に真実に告げてみた。


「…………恐れながら……寝込みを襲われたからではないでしょうか」 

 しかし主であるシュウトは、小姓の言葉を聞いた途端、露骨に顰めて口を開いた。

「寝こみなど襲ってはおらんぞ。添い寝をしただけだ」
「…………………………」

 どこがどう違うのであろうか。添い寝も寝込みを襲うのも大して変わらない。ついでに、寝込み以外のことも、ちゃっかりしっかりしていたではないか───と、ナギはツッコミを入れた。もちろん、心の中で。

 もの言いたげたナギを無視して、シュウトは言葉を続ける。

「そもそも誘って来たのは瑠璃だ。それなのに、どうしてこうもつれない態度ばかり取るのだ。……わからん。まったく瑠璃殿は変わり者だ」
「…………………………」

 ナギは、沈黙で答えるという小姓として正しい判断をした。そして、このシュウトの独り言から、おおよその顛見当はつく。

 瑠璃が、主君のシュウトに何を言ったかはわからないが、多分、押しの強いシュウトに嫌気をさして、キツイ言葉を吐いたのであろう。

 とはいえ、女が自分を嫌う理由がわからない。というシュウトの気持ちもわからなくはない。  

 なぜなら、シュウトは今は流浪の身とはいえ、やんごとなき身分の人間なのだ。

 とある一件から本人は一切、自分の出自を隠すようになった。この土地の人間で、シュウトの出自を知っている者は、ほとんどいない。

 しかし、女性というのは、不思議な嗅覚が備わっている、とナギは絶対的に確信している。ほんの、チョットしたこと…例えばシュウトの、時折見せる教養ある仕草や、一流の武家でなければ、手にすることのできない、些細な小物などから、こっそりと値踏みをする。

 寝所を共にできれば、正妻は望めなくても、側室になれるかも…と虎視眈々と狙っている女性は多いだろう。

 女性は弱い。されど、強したたかだ。

 ナギは、閉じきった、瑠璃の部屋と俯く自分の主を交互に見る。これが、今の二人の距離なのだろう。

 最上の秘宝を扱うような手つきで、瑠璃に触れるシュウトを見ているだけで、主がどれだけ彼女を大切にしているのか痛いほど伝わってくる。

 瑠璃の存在は、ずっと前から知っていた。事あるごとに、主が口にするからだ。なので、再会が叶った今、二人はそれこそ蜜月のような時間を過ごすと思っていた。

 けれど、まさかこのような事態になるとは思わなかったナギは、そっと哀れみの眼を主人に向けた。

「………………………………………………」
「………………………………………………」

 二人の間に重い空気が流れる。けれど、この空気を一層できる術はナギにはない。ということで、ナギは苦肉の策を口にした。 

「シュウトさま、所詮我々は、男でございます。やはり女子のことは女子に聞くのが一番ではないでしょうか?」

 それとなく水を向けると、弾かれた様に主はそそくさと出かける用意を始めた。

「出掛けてくる。ただ、そ、その………………」
「もちろん、瑠璃殿には内密にしておきます。ご安心を」

 ナギは優秀な小姓である。細かいことは何も聞かず、ただ、迷える子羊を笑顔で送り出した。






 おだやかな春の午後。夜の明かりの中でこそ、妖艶な光を放つ場所───ここは遊郭。遊郭といえば、遊女と男が一夜限りの擬似恋愛を楽しむ大人の社交場のはずだが、なぜだか今は、シュウトにとっては『お悩み相談室』となっている。


「─────────……と、いうわけで、どう思うか?ユキノエ姐さん」
「諦めなさいな」

 とりあえずシュウトは、助言を乞うべく、今までのいきさつを全てユキノエに話した。しかし、ユキノエは助言をするどころ一刀両断。すっぱりと、言い切った。

 情けないほど、背を丸めたシュウトに向かって、ユキノエはさらに追い撃ちをかける。

「いいかい?シュウさん。自分の気持ちを押し付けても、相手の気持ちは、何も変わらないわ。大事なのは、相手の気持ちを知ること。心にちゃんと触れないと、何も変わらないよ」

 シュウトは、一心にユキノエの言葉に耳を傾ける。そして、何か思い当たることがあったのか、はぁーと、大きくため息をついた。

「どうやら、瑠璃殿に嫌われることしかしてなかったみたいだ」

 ぽつりとつぶやくと、さらに背を丸めてしまった。巨漢の体が、丸まっていると、巨大な壷のように見える。

 本来ならここで、アメ的な優しい言葉をかけ寝所へと誘うのが遊郭の流れだが、ユキノエは、甘言どころかとどめを刺した。

「もういっそ、力ずくで手に入れてしまえばいいじゃない。シュウさんは、それができる人なんだから」

 瞬間、シュウトは真っ青になり、首を激しく振った。

「冗談じゃない!そんなことをしてみろ…………一生口をきいてもらえなくなるっ」

 目をむいて叫ぶシュウトに対して、ユキノエは柳眉をひそめた。声には出さなかったが、こう心の中で呟いた。───あーめんどくさっ………と。



「……ユキノエ姐」
「何だい?」
「女子は何をしたら、喜ぶのか?」
「……」



 ───カラーン

 ユキノエの手にしていた、キセルが落ちた。
 火種がそのまま畳みを焦がすが、ユキノエは固まったままだ。

「───………それ、本気で聞いてるの?」

 しばらくの間の後、ユキノエは引き攣りながら、そう問うた。シュウトは、間髪入れずに頷く。

 その瞬間、別の女性なら、シュウトを張り倒していただろう。けれど、ユキノエは接客のプロだ。例えこの発言が、一時の気の迷いで情を交わした男の口から出たものだとしても、己の矜持に賭けて答えなければならない。

「そうだね……強いて言えば、優しくされることだね」
「優しいことだと?それは………何なんだ?高価な衣でも喜ばないのに、一体何を贈れば良いんだ?宝玉か?金塊か?」

 途方にくれた声で、縋るようにユキノエを見つめる。

 ───ずるい。ユキノエはそう心の中で呟く。

 いつも心の奥まで見せることのないシュウトが時折見せるこの表情に、ユキノエはたまらなく弱い。どう足掻いても、結局ほだされてしまう。

 だからと言って、ここで優しさを説明するとは───場違いにも程がある。ここは、遊郭。性別を問わず、最も優しさから遠く離れている場所だ。

 ユキノエは苦笑いを浮かべながら、鉢植えに咲いてあった花を一つ手折った。その花の名は福寿草。明け方の冷え込みで、蕾に戻ってしまっている。

「優しさって、物じゃないんだよ」

 そう言うと、シュウトの手に蕾を包み込み、しばらくそのままの姿勢でいる。シュウトが、我慢できずにもぞもぞし始めると、やっと両手を離した。

「手を開いてごらんなさい」

 シュウトはおずおずと、ユキノエの言葉通り両手を開いた。

「……これは?」

 ユキノエから渡されたときは、堅く閉ざされていた福寿草の蕾が、シュウトの手のひらの熱で、見事に開いていた。


「この花はね、一度花が咲いても、寒い日には蕾に戻ってしまうんだよ。でもね、こうして暖めるとゆっくりだけど、もう一度花を咲かせてくれるんだよ」



 ───ソレガ、ヤサシサッテモノデハナイカイ?───



 そう、ユキノエはシュウトに問い掛けた。シュウトは何も答えない。ただじっと、花を見つめている。

「───ユキノエ、ありがとう」

 しばらくの間の後、シュウトはそれだけ言うと、ものすごい勢いで、遊郭を後にした。





 独りになったユキノエは、キセルに火を付けた。焦げた畳は、火鉢をずらしてごまかす。


「あの、シュウさんが…………ねぇ」

 けだるそうに煙を吐き、意味ありげに微笑む。

 シュウトとの蜜月は、とても短いものであった。今ならわかるが、あれは好奇心から来た、まやかしのようなものだ。

 不思議なものだ。誰のものにもならないシュウトを射止めたくて、あれだけ手練手管を駆使したというのに、もう彼に対して恋慕の情は消えている。今は、腐れ縁という関係が一番心地好い。

 ただせいぜい、振り回されろという意地悪な感情は少しある。

「………私も、その瑠璃っていう娘さんに会えるかねぇ?」

 再び、ユキノエは呟く。






「きっと会えますわよ」


 遠くで誰かが、返事をした。

 声の主は、ユキノエの旧友。そして───瑠璃を迎えに来た者だった。
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