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「いらっしゃいませ!」
季節外れの笑顔とともに、聞き覚えのある声が正義を迎えた。
この前と変わらずの夏色スタイル。レジカウンターの内側にいたのは、夏子さんだった。
買い物カゴを片手に、その夏色店員の前を通り過ぎる。
店内には正義の他に客はいなかった。
客だけでなく、休憩中なのか、店員の方も夏子さん一人だけだった。
然して広くない店内に、自分と夏子さんだけ。そんな二人きりの状態に、正義はなんとなく居心地の悪さを感じた。
どこか落ち着かなくて、ろくに商品を選ぶこともせずに、さっさとレジへと向かう。
それでも、トマトジュースはしっかりとカゴの中に横たわっていた。
二度目の「いらっしゃいませ」を言うと、夏子さんは手慣れた様子で商品をカゴがら取り出していく。
正義だけでなく、夏子さんの方も彼と麻理亜のことを覚えていたらしい。
「妹さんは元気ですか?」
最後にトマトジュースを手にすると、夏子さんは顔を上げ言った。
突然の問いに、正義は上手く反応できなかった。
そもそも麻理亜は正義の妹ではない。
そのこともあり、正義は「あ、うん……まあ」と、曖昧な感じの返答しかできなかった。
それでも、夏子さんは元気だという風に受け取ったらしい。
「そうですか。じゃあ……」
レジスターの横に置かれた箱から、ソフトキャンディーを一つ抜き取り、
「これ、妹さんに。オマケです」
と、にっこり笑って、夏子さんはトマトジュースと一緒にそれを袋に入れた。
「えっ……。あの、だけど……」
「いいんですよ。うちの親も時々やってますから」
戸惑う正義に、笑顔を崩さずに夏子さんは言う。
「うちの親?」
「ええ。この店、うちの両親がやっているんです。そうでもなきゃ、私なんてバイトじゃ使ってもらえないですよ」
夏子さんは、爪のネイルアートを正義の方へ向けた。今日もこの前と同じで、つけ爪には向日葵のイラストが施されている。
「確かに……そんな感じじゃ、コンビニじゃ敬遠されるかもね……」
自分のアルバイト先のCD屋なら、何も言われないかもしれないけれど……。
正義は、本当か嘘か、元バンドマンだったという、店長の顔を思い浮かべ思った。
「それでも、やっぱり昼間には店には立たせてもらえないですけどね。こういう夜遅くにしか……だいたい今頃から、夜中の2時くらいまでが私の担当なんです」
夏子さんの言葉に、正義は彼女の後ろの壁に掛っている時計に目を遣った。
時計の針は、11時過ぎを指していた。
「でも、それじゃ次の日が辛いだろ? 君って、まだ高校生だろ?」
「いいえ、全然。私ってもともと夜更かしな方だし。それに……私って今、夜更かしが許されている身分なんです」
「夜更かしが許されている身分……?」
……なんだ、それ?
正義は微かに首を傾げた。
「私、高校生っていっても、高三ですから」
「ああ……卒業式まではあまり学校に行かなくてもいい、ってわけか」
「はい、そういうことです。だから、授業中の居眠りの心配もなし!」
言って、夏子さんはまた微笑む。
よく笑う娘だ。その笑顔を正義は羨ましく思う。
……自然な笑顔。コンビニ店員のエプロンを身に着けているのに、彼女の笑みは決して営業用のスマイルじゃなかった。
「それに私、これでも結構優秀なんですよ」
ちょっぴり自慢げに、夏子さんは言う。
どうやら、夜更かしが許されている理由はもう一つあるようだ。彼女の言葉からすると、高校三年生の大きな懸念の一つ──進路の方も既に決定しているのだろう。
成績優秀ということは、進路は大学進学ということなんだろう。
正義がそれを問うと、夏子さんは「はい!」と胸を張り、この辺りでは名の知れた大学名を口にした。
それは正義の通う大学でもあった。
そのこと言うと、
「ええーーっ! そうなんだ!」
夏子さんは大きな声を上げた。
まるで何か大発見でもしたかのような反応だ。
たかが同じ大学というだけのことなのに。
どうして、そんなにオーバーなリアクションが返ってくるのか。
通う大学が同じことくらい……そんなの、何でもないことじゃないか。
夏子さんの反応は、正義には理解しがたいものだった。
はしゃいだ調子で、夏子さんは、次から次へと大学についての質問を正義に繰り出してくる。
正義の方は、それに淡々と答えていく。
質問の中に、「学部は? 学科はどこですか?」というものもあった。
「文学部の日本文学科だけど……」
答えると、夏子さんは歓声めいた声を上げて言った。
「じゃあ、先輩だ!」
正義と彼女は、専攻の所属学科まで同じだったらしい。
それから、夏子さんは、正義のことを「お客さん」改め「先輩」と呼ぶようになった。
……先輩。
呼び慣れない呼称に、戸惑いを覚える。
中学高校とずっと帰宅部で、大学でも正義はどこのサークルにも属していない。
おまけに、人付き合いも悪い方だ。
そんな訳だから、「先輩」なんて呼び名は、今まで正義とは無縁のものだった。
先輩に……お兄ちゃん……。
これまで、ろくにあだ名でも呼ばれたことがないっていうのに……。
なんだか……奇妙な気分だった。
高梨と正義。自分を表わすものは、それだけだと思っていたから。あとは、せいぜい大学での記号、「学籍番号○○の学生」というやつくらいだと……。
夏子さんと話しながら、正義は改めて実感する。自分にはやっぱり、「当たり前」や「人並み」が欠けているんだな、と。
「──先輩」
そう呼ばれることに対する違和感は、消えなかった。どうしても、しっくりこない。
でも、嫌な感じはしなかった。違和感は感じるけれど、「先輩」と呼ばれることに不快感はなかった。
「あ……」
不意に、夏子さんのオレンジ色の唇が動きを止める。
と、店内が静かになった。
数歩分の足音が聞こえた後、「こらっ!」という声が耳に届いた。
悪戯を発見された子供ような。夏子さんは、少しばつの悪そうな顔をしている。
振り返ると、やや中年太りといった感じの男性が、こちらにやって来るところだった。
その中年男性も、夏子さんと同じデザインのエプロンをしている。正義に会釈すると、夏子さんの方へ振り向いた。
「おまえはまた、お客さんを引き止めて……」
少し怒ったような、呆れたような口調で男性は言う。
けれど、その言葉に含まれた響きは優しい。
きっと、この男性が店長で、夏子さんの父親なんだろう。
「どうも、すみませんね」
男性が正義に頭を下げた。
「こいつ。暇だとすぐに、お客さんを捕まえて、話し相手にしてしまう癖があって」
──迷惑だったでしょう?
と、言われても、「はい」とは答えにくい。
「あ、いいえ……。別にそんなことは……」
正義は軽く首を横に振った。
実際、迷惑だとは思っていなかったし……。
「その……結構楽しかったですよ」
正義のその言葉に、夏子さんは父親に向けて勝ち誇ったように微笑む。
その笑顔に対し、父親の方も「仕方ないなぁ……」という感じで苦笑する。
なんだかんだ言いつつも、目の前の男性は、娘に甘いタイプの親父さんらしい。
ここに夏子さんの母親が加わったとしても、おそらくこの雰囲気は崩れないことだろう。
いまどき珍しいくらいの……良好な親子関係と言っていいだろう。それは、正義には無縁だったものだ……。
夏子さん親子の様子に、正義は心に微かな痛みを感じた。それが、もっと大きくなりそうな気配がした。
店内が……自分のいま居る空間が、ひどく居心地の悪いものに変化していく。
……ここにはもう居たくなかった。
一刻も早く、この場所を……二人の前から去りたかった。
正義は「それじゃあ」と二人に声を掛けると、さっさと自動ドアへと向かった。
「ありがとうござました!」
「またどうぞ!」
息のぴったり合った二つの声が、自動ドアが開くと同時に、正義の背中に掛かった。
それがまた、正義の痛みを誘う。
それは、本当に心からの言葉だった……。
『……アリガトウゴザイマシタ』
……正義の心のこもらない〈台詞〉とは、全然違う。
『マタドウゾ』
自分の〈呪文〉とは似ても似つかない……。
同じ言葉なのに……。
夏子さん親子の言葉は、とても明るい響きと温かさを持っていた。
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