亡き姉を演じ初恋の人の妻となった私は、その日、“私”を捨てた

榛乃

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Main story ¦ リシェル

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 でももうそんなことは、どうでもいい。おかしくもないのに笑みを深め、ぼやけた庭を見るともなく見つめる。こんな時に頭に浮かぶのは、愛しているはずのアルベルトでも、大切な両親の顔でもなく、何故か友人の、屈託のない笑顔だった。

 最後の最後まで私の心身を案じてくれた彼は、今この瞬間、どこで何をしているのだろう。何をし、何を考え、何を想っているのだろう。私が死んだと知ったら、彼はきっと驚くに違いない。驚いて、そしてひどく後悔するだろう。彼はとても心優しい人だから。彼の忠告を受け入れなかった私が全て悪いのに。それでも彼は悔いて悔いて悔やみ続けてしまうかもしれない。

 最期に――。つんとした冷たい感触が喉の皮膚に触れ、ゆっくりと目を瞑る。最期にもう一度だけ、彼に会いたかった。彼に会って、たくさんたくさん謝って、そして同じくらい、いやもっとそれ以上に、たくさんの感謝を伝えたかった。ごめんなさい。ありがとう。そんな言葉では、溢れ出る想いの全てを渡すことは出来ないけれど。それでも最期に彼に会って、そして――

「――どうして君は、いつも自分を傷つける方ばかり選んでしまうんだろうね」

 声がした。ふわりと鼓膜に触れた、やさしいやさしい、でも、胸を締め付けるほど切なくも聞こえる、低く落ち着いた声。
 きっと幻聴だろう、と思った。最期に会いたいと、会って色んなことを伝えたいと、そう願ったから。もしかしたら神様から与えられた最後の慈悲なのかもしれない、と考えながら唇を綻ばせ、最期に彼の声を聞けて良かった、と感慨に耽る。もうこれで十分だった。幻でも聞き間違いでも、それでも彼の声を聞けたのだから、それをしっかりと心に刻みつけておけば良い。

「だから止めたのにな」

 吹き抜ける夜風にのって耳に流れ込んできた声は、驚くほどすぐそこにあった。耳のすぐ傍に。そうと分かるくらいぬくもりがあり、そうと分かると、そこに漂う気配が途端に濃密になった。そのあまりの鮮明さに、心臓がどくりと跳ね上がる。勢いをつけて最後の一押しをしようとした切っ先は、いつの間にかぴたりととまっていた。まるで空に縫い止められてしまったみたいに、びくともしない。それは自分の意志ではなかった。明らかに、何かに絡め取られている。
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