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第4章 死が二人を分断つとも

47 ただ大切なものを守る

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「晴香。ここで待ってて」
「でも、アリス……」

 一度ぎゅっと抱きしめてから手を放そうとすると、晴香は不安に揺れる目で私の手を引き止めた。
 全身でひしひしと感じる夜子さんの圧倒的な力。目の前で見せつけられた善子さんの敗北。
 私が出向いたところで敵わないと言いたげな顔だった。
 実際、そうかもしれない。

「大丈夫。晴香のことは絶対に私が守るから」

 そんな晴香の手を少し強引に放させて、私は笑みを向けた。
 晴香はそんな私を見て、少し視線を下げながらも弱々しく頷いた。
 前に出る私を名残惜しそうに見つめてくる視線を背中に感じながら、私は夜子さんをまっすぐ見た。

「へぇ、アリスちゃんが戦うのかな?」
「私だって守られてばっかりじゃいられないんです。私にだって守りたいものがある。晴香は、殺させません」

 覚悟を決めて夜子さんの前に立つと、夜子さんは感心したような、でもどこか嘲笑うような顔をした。
 魔法も使えず、お姫様の力も自由に使えない今の私なんて、障害とすら思っていないんだ。
 でも実際、ほとんどそれは事実だ。

「一人で、君に何ができるのかな?」
「私は一人じゃありません。離れていたって、私の心はいつだって友達と繋がっている」

 私と歩んでくれる友達が、寄り添ってくれる友達が、守ってくれる友達が。
 いつだって私の心と繋がっている。
 確かに私一人では何もできないけれど、この心の繋がりが私の力になってくれるはずだから。

「へぇ……」

 夜子さんは目を細めて私を見て、短く声をこぼした。
 そしてそれと同時に何の予備動作もなく、夜子さんの影から一匹の影の猫が私に向かって飛び出してきた。
 黒く塗りつぶされた猫が、形の見て取れない口を開いて牙を剥く。
 私は思わず目を瞑りそうになったけれど、心で強く大切な友達を思った。

 瞬間、私の胸の内から青い炎が吹き出して、まるで壁を作るように燃え広がった。
 影の猫はその青い炎に飲み込まれ、あっという間に消え去る。
 猫を瞬時に燃やし尽くした青い炎は、収縮すると私の胸元で拳大に揺らめいて、そしてそれはパキッと凍てついてブローチのような氷の華が咲いた。

 これは先日、正くんに襲われた時に私を助けてくれた氷室さんの力だった。
 繋がる心を辿って、『還元』の力の元氷室さんが私に力を貸してくれている。
 胸に咲く氷の華から、透き通るような氷室さんの想いを感じた。

「なるほどね。でもそれで私から晴香ちゃんを守りきれるのかな? 今の君はその力を使いこなせないだろう? 見たところ、精々自動防衛くらいかな。私を前にして、それぽっちで安心できるのかい?」
「……どうしても、今晴香を殺さなくちゃいけないんですか?」
「もう終えた問答だね。私の意思は変わらないよ。晴香ちゃんは今死ぬべきだ」

 この件についてわかり合えないことはもうわかっている。
 でも、それでもやっぱり聞かずにはいられなかった。
 本当にそれ以外の方法はないのかって。

「いずれにしたって死んでしまう未来に変わりはない。それに晴香ちゃんは鍵の預かり手として、いつかは死してその鍵を解放することが決まっていただろう? なら、それがほんの少し早くなるだけさ」
「例えその差が僅かでも、私はその短い時間も大切にしたいんです。一分一秒でも、晴香に生きていて欲しいし、その時間を無駄にはしたくないんです。最後まで、諦めたくないんです」
「諦めないことが正しいとは限らないんだよアリスちゃん。最後の最後まで足掻くことは一見美しく思えるけれど、時に冷静な判断が必要になる。それが大人ってものだよ」
「……わかりません。いえ、わかりたくありません。だって私、まだ子供だから」
「これは一本取られたね」

 夜子さんは緩やかな笑みのまま目を細めた。
 自分が無茶苦茶を言っているのはわかる。
 でも、夜子さんの判断は私にしてみればとても冷徹だから。それが大人の判断だとしたら、それを理解できない私は子供なのかもしれない。
 もう十七歳の私が、自分を子供だなんて言っていい歳じゃないことはわかってる。
 でも、冷徹な判断をするのが大人だっていうことなら、私はまだ子供でいたいと思ってしまう。

「それに、私が手を下した方がきっと晴香ちゃんも楽だよ。『魔女ウィルス』に食い潰されるのは想像を絶する苦しさだ。一度死して転臨している私が言うのだから間違いない。死ぬ時も苦しいし死んだ後も苦しい。アリスちゃんは、大切なお友達にそんな惨い死に方をして欲しいのかい?」
「嫌です、そんなの。そもそも私は晴香に死んでほしくないんです。私は、晴香が死なない方法を最後まで探し続けます。だから、今殺させるわけにはいかないんです」
「もしかしたら、お姫様の力を十全に発揮できれば、『魔女ウィルス』を根絶することができるかもしれない。その可能性は確かに否定できない。けれどね、アリスちゃん。君がその力を得るためには鍵による封印の解放が不可欠だ。そしてその鍵は晴香ちゃんが死なないことには現れない。つまりさ、晴香ちゃんだけはどうしたって間に合わないんだよ」
「そんなのわからないじゃないですか!」

 夜子さんの論理的な言葉に、私は感情的になって叫んでしまった。
 彼女の言葉を聞けば聞くほど、それは正しいことだって頭が認識する。
 でもやっぱり私の心がそれを受け入れられなくて、どこか抜け道がないのか、何か方法はないのかって考えてしまう。

 どんなにそれが正しくても、理屈でどうにかできないのが感情だ。
 そうするべきだと言われても、やっぱり私は晴香が死ぬところを指をくわえて見ているなんてできないんだ。

「聞き分けがないと思われても、わがままだと思われても構いません。私は、自分にとって大切なものを守るためならどんなことだってします。どんなに他人から間違っていると言われても、私にとってはこれが正しい道だから!」
「それはとても君らしい言葉だね。私はねぇアリスちゃん、存外君のことが好きなんだよ。君のその純粋なひたむきさは美しい。だから私は自分にできる範囲のことは手を貸してあげたいと思うし、君とはいい友達だと思っているさ。君はとても健やかに成長した。強く優しく、多くの人と交わり気持ちを通わせ、向き合い思いやることのできるとても良い心に成長した。私はそれを喜ばしく思うし、きっともそれを望んでいた」

 私の言葉にゆっくりと耳を傾けてから、夜子さんはのっそりと言った。
 まるで何かを思い出すように、少し遠い目をしていた。

「君は間違っていない。自分の気持ちに正直に、その心を信じて突き進む生き方は決して間違いじゃない。私が保障しよう。君はこれからも他人を想い、そして通わせた心と繋がって生きていけばいい。けれどね、アリスちゃん。私はそういうわけにはいかないのさ。私はもう途方もない時間を歩んできた。今の私にはアリスちゃんのような若々しさはないのさ。状況を俯瞰し、冷静に対処することが体に染み付いてしまった。目先の感情よりも、総体を重視するようになってしまったのさ。もし私がアリスちゃんと同じ世代に生きていたのならば、もしかしら一緒に無茶をしたかもしれないね」

 夜子さんの言葉には珍しく哀愁が漂っていた。
 いつものような飄々とのらりくらりとした軽い言葉ではない。
 何を考えているかわからない、余裕を含んだ言葉ではなかった。
 そこには確かに、夜子さんの感情があった。

「けれど残念なことに、この件に関しては特に、私は目先の感情を無視しなければならない。私は、魔女が『魔女ウィルス』に食い潰されるのを見過ごすわけにはいかないんだよ。これはまぁ、私が自分に課した使命みたいなものさ。私は友のためにも、『魔女ウィルス』による犠牲者を出したくないのさ」

 夜子さんにとても強い力が渦巻いているのを感じた。
 彼女は戦いをやめるつもりなんてない。
 晴香を殺すことをやめるつもりはないようだった。

「だから、これは仕方のないことだ。アリスちゃんは間違ってない。君は君の感情のまま突き進めばいい。それが君の正しさだ。そして私には私の正しさがある。だから今は、喧嘩するしかないのさ」
「どうしても、ですよね」
「ああ。君が自分の意思を貫くと言うのならね。もちろんアリスちゃんを殺しはしないけれど、大分痛い目を見ることになるだろう」

 夜子さんの言葉は穏やかだった。
 けれどそれはいつもの達観した、他人事のような余裕からくるものではなかった。
 それは自分の信念を貫く覚悟を持った人の、全てを飲み込んだ言葉だった。

 それはきっと、子供の私にはまだ真似のできない領域だ。
 けれど自分の心に従う覚悟くらいは、今の私にだってできる。

「わかりました」

 大きく息を吸う。
 話せることは話した。想いはぶつけ合った。
 互いに相手の言い分をよく理解した上で、それでも譲れないのだとわかり合った。
 だから後は、正面からぶつかり合うしかないんだ。

「もうわがままは言いません。私はどこかで、夜子さんなら私の味方をしてくれるんじゃないかって、そんな甘えたことを考えていたんだと思います。だからどうしても踏ん切りがつかなかった。でも、人間誰だって譲れないものがあるんだから、やっぱりその時はぶつかるしかないですよね。知った人でも、友達でも」

 私のわがままで、もうとっくに戦いは始まっている。
 氷室さんも善子さんも私のために戦ってくれている。
 だから今更そんな甘えたことは言っていられないんだ。

「そうだよアリスちゃん。だから本気でかかってきなさい。君が負ければ、君の大好きは晴香ちゃんは私に殺されるんだ」
「そんなことは、絶対にさせません……!」

 絶対に負けられない。
 相手が夜子さんでも、誰であったとしても晴香は渡せない。
 最後のその一瞬まで、私は晴香が生きる道を諦めたくないから。

 だから私は戦う。大切なものを守るために戦う。
 使えるものは何でも使って、私はこの戦いを乗り越える。
 いつも私のことを支えてくれた晴香を、今度は私が守る番だ。

 だから私は、自分の心に向かって叫んだ。

「……私に戦う力を。何でもいい。『お姫様』だって、ドルミーレだってもうどっちだっていい! 私に今戦う力を! 大切な友達を守る力を貸して!!!」

 大きな力が身体の内側から弾けた。
 爆発したような衝撃と波動を伴って、私の内より何か強大な力が溢れ出す。
 何度か経験した、お姫様の力がこの身に溢れる感覚だ。

 込み上げてくる膨大な魔力が波動のように吹き出して、周囲が波打つ。
 私自身もその衝撃を強く感じる。髪が舞い上がり、三つ編みが解けて広がった。
 身体中に力が染み渡って、今なら何だってできる気がした。

 意識がふわふわした感覚は今回は全くなくて、全ての神経が研ぎ澄まされる。
 胸が、心がとても温かくて、これはきっと『お姫様』が私に近づいてきてくれているんだという気がした。

 太陽は沈み、闇が覆う暗い空から一筋の白い閃光が私の目の前に突き刺さった。
『真理のつるぎ』。私の剣だった。
 それに手を伸ばして柄を握ってみれば、長い時を共にしてきたかのように手によく馴染んだ。

 ────何があっても大切なものを守るのが『私』だから────

 そんな声が、聞こえた気がした。
 心の中の呼びかけに頷いて、私は剣を両手で握って夜子さんに向けて構えた。

「やっぱり君の在り方は美しい。私はそんなアリスちゃんが好きだよ」
「私も。ちょっと意地悪だけど、でもそんな夜子さんのことは好きですよ。だから────」

 好きだからこそ、友達だからこそ、避けられない。

「戦いましょう」
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