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第7章 リアリスティック・ドリームワールド

8 助けてください

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「────それは」

 唇が薄く開かれ、囁くような声がこぼれる。
 握り合った両手の指を絡めて、氷室さんは私を真っ直ぐに見たまま、ゆっくりと言葉を紡いだ。

「それは……帰る、ということ?」
「…………」

 その一言の問いかけ以上に、強く絡まる指が何を言わんとしているかを語っていた。
 私が離れていってしまうかもしれないことを、危惧してる。
 放したくないと、離れたくないと、言っている。

 顔にも言葉にも出さないけれど、その揺れる瞳と絡まる指先が、それを私に訴えていた。

「帰る……ってことに形式上はなっちゃうのかな。でも私は帰る為じゃなくて、ケリをつける為に行くんだよ。私自身の運命と、沢山の問題にケリをつける為に」

 もし私が『まほうつかいの国』に『帰る』ことを選択するにしても、それは今じゃない。
 全ての問題を片付けた後じゃないと、それを考えてる余裕なんてないから。

 でも、全ての問題の発端は向こうの世界にある。だからどうしても、私は行かなきゃいけないんだ。
 今まで通りのこの世界での日常を守る為にも、大切な友達が住う『まほうつかいの国』を本当の意味で平和にする為にも。
 私は向こうの世界で、全ての問題を解決させなきゃいけない。

「もう私は、今までみたいに何もわかってない状態じゃないから。だからのんびり受け身じゃいられない。大切な人たちを守る為にも、私は自分から問題に立ち向かおうと思う。だから、だからね、氷室さん」

 一度氷室さんから手を放して、自分の膝の上に置いた。
 一瞬、ほんの僅かにスカイブルーの瞳が不安の色を見せたけど、居住まいを正す私を見てきゅっと引き締まった。
 私は背筋を真っ直ぐ伸ばして、氷室さんの目を正面からしっかりと見て、それから深く頭を下げた。

「私と一緒に、『まほうつかいの国』に行ってください。私のことを、助けてください」
「…………」

 誠心誠意、想いを込めて頭を下げる。
 僅かに、息を飲む音が聞こえた。

「氷室さんにとって向こうの世界が、あんまりよくないものだってことはわかってる。魔女にとって向こうはとても危険だし、それに私がしようとしてることだって、もしかしたら危険が伴うかもしれない。全部、全部わかってるけど。でも私、一人じゃ無理だから。氷室さんに、一緒にいて欲しいの」

 これは、完全に私のわがまま。
 魔法使いやワルプルギスがいくら私のことをお姫様だと言っていても、両方とも一枚岩じゃないから、それぞれ戦いになる可能性は大いにある。
 今までこっちの世界にやって来た人たちとの戦いだって大変だったのに、双方共本拠地がある向こうの世界で戦いになれば、もっと過酷になるはずだ。

 魔女狩りが跋扈し、日常的に魔女が狩られている世界。
 そして何より、氷室さんにとっては自分を虐てきた家族が住む、トラウマのような世界。
 本当なら私は、友達のことを思うのなら私は、ついてきて欲しいなんて言うべきじゃない。

 それでもそれをお願いするのは、だからわがままなんだ。
 自分が一人じゃ不安だから、怖いから、心細いから。
 これからの待ち構えているであろう苦難に、寄り添って欲しいから。

 そんなわがままなお願いを通す為には、心の底からの懇願をもって頭を下げるしかない。
 だって、私の為に一緒に危険に飛び込んでほしいって、一方的なお願いをするんだから。

「…………」

 少しの間、沈黙が続いた。
 周りの喧騒から遮断された、私たちだけの静寂。
 頭を下げたままの私は、その静けさの中で際立つ自分の心臓の音に満たされながら、辛抱強く氷室さんの言葉を待った。

 そんなに長い時間じゃないはずなのに。
 でもそれはとっても長く、果てしない時間な気がした。
 時間の経過が曖昧になる緊張の果て、氷室さんがそっと私の頬に両の手を伸ばしてきて、ようやく緊迫から解放された。

 冷たくて細い指が私の頬を支えて、顔を持ち上げられる。
 されるがままに視線を上げてみれば、煌びやかなスカイブルーの瞳が私のことをまじまじと見つめていた。
 宝石のように透き通った鮮やかな瞳。そしていつも変わらぬポーカーフェイスが、まるで肖像画のような静謐な美しさを強調していた。

 その鎮まった穏やかな表情に思わず息を飲む。
 そんな私を見て、氷室さんはほんの僅かに口元を緩めた。

「そんなことは、当たり前。私は、どこへでもあなたに付いていく。相手が誰であっても、あなたと共に、戦う。私の行く道は、あなたと共に、ある道だから……」

 そう、柔らかい声で、言った。
 私の顔をその柔らかい手で包みながら、不器用に細やかな微笑みで。
 私にしかわからないんじゃないかってくらい、僅かな表情の緩み。
 けれどそれは確かに、私を想ってくれている心が滲み出たもの。

 そして何より、ゆっくりと紡がれたその言葉が、何よりも私への想いを語ってくれている。
 私に向けて真っ直ぐと、宣言のように放たれた氷室さんの言葉。
 そこに迷いなんてなかった。私のわがままに過ぎないって言うのに。

「……私を置いていくと、言われなくて、よかった。私は何より……それが、怖かったから……」

 そう言って、氷室さんは手をそのまま滑らせて私の首を抱きしめた。
 細い腕に引き寄せられて、氷室さんの胸の中にストンと収まる。
 私を抱きしめる腕の力は、とても強かった。

「ありがとう。ありがとう、氷室さん。とっても嬉しいよ」
「お礼は、必要ない。アリスちゃんは私の、友達だから。大切な、友達だから。私があなたをいつまでも、守るから」
「────氷室さん……」

 力強く、でもとても柔らかい抱擁。その胸に甘えつつ、私も強く抱き返した。
 大切な友達だからこそ、ただ大事にするだけじゃなくて、困った時は頼らせてもらおう。
 今までだって沢山頼って、助けてもらってきたけど。これからこそが、きっと一番の山場だから。

 一人では心細い時は、私にはできないことは、友達の力を借りよう。
 その代わり、私も全力で助けて、守るんだ。

 この先の未来、大好きな友達と楽しく笑い合っていられるように。
 手を取り合って、運命に立ち向かおう。
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