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第0章 Dormire
100 残酷な世界
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「もう嫌なのよ、私は。もうこれ以上、この残酷な世界で生きていたくない」
二人の顔を見ることができず、私は力なく項垂れた。
私をまっすぐに見つめるその目を見ると、希望を持ってしまいそうになるから。
心の奥深くに眠る、未だ信じたいと思っている微かな気持ちが、顔を出しそうになるから。
「もう許して。お願いだから。あなたたちのくれる希望はもう、私を傷付けるだけなのよ」
ホーリーとイヴニングと過ごした日々は、確かに掛け替えのないものだった。
そこで得た温もりは優しく柔らかで、その瞬間を、私は確かに幸福と感じていた。
それを知っているからこそ、より一層絶望の色が濃くなってしまうんだ。
いっ時のまやかしのような幸せが、それを失ったときの絶望を大きくする。
信じていればいるほど、それが裏切られたときの衝撃は大きく、傷は深く抉られる。
だからもう、何も信じず何の希望も持たないことこそが、一番安らかな選択なんだ。
「私はこの世界に憎まれている。思い通りにいかず、剰え自分勝手に叛旗を翻した私を、強く憎んでいる。その結果があのジャバウォック。あの時は何とか退けたけれど、きっと世界はこれからも私を疎み続けるわ。そんな世界の中で、どうやったら私が希望を持っていけると……?」
全てを、好きで嫌っているわけではない。好きで恨んでいるわけではない。
私はこの世界に憎まれているから。この世界に、ヒトビトに疎まれているから。存在を許されていないから。
そんな感情に晒されながら、それでも誰かを信じ続けるなんて無理な話だ。希望を持ち続け、挫けないなんてあり得ない話だ。
「私はただ、平穏に過ごしたいだけだった。特別な力も立場も、何も必要ない。ただ心安らかに、大切な人たちとの幸せな日々を過ごせれば、ただそれだけで満足だったのに。この世界は、私にそれすらも許してはくれなかった」
私は一度だって多くを求めたことはなかったはずだ。
私が望んでいたのは、そんな些細なことだけだった。
けれど私という存在が、この力が、課せられた役割が、それを悉く阻んで。
私のささやかな願いすら、まともに叶えさせてくれはしない。
「だからもういいの。私のことを受け入れてくれない世界なんて、こっちから願い下げよ。だから私は、この世界の一部を塗り替えて、自分だけの居場所を作った。もう誰にも邪魔されない、私だけの平穏な場所を」
そうした行為が、他人からなんと言われようともう知ったことではない。
邪魔をしようとするものを、私の平穏を崩そうとするものを、排除することはもう厭わない。
悪しき魔女だと、悪魔だと、化け物だと。どう呼ばれようと構わない。
「愛する人たちと過ごすこの世界は、とても美しいものだと、そう思ったこともあった。でも違う。私の目に映る世界は、ひどく醜くかった。美しい分だけ、私にとっては残酷な世界なのよ。ここは……」
こんなことなら、幸福なんて知らなければよかった。
いつまでも一人で、孤独を孤独と知らぬまま生きていけばよかった。
この世界の輝きが、私には痛い。
「……ねぇ、ドルミーレ」
俯く私の前に、ホーリーがそっとしゃがみ込んだ。
頭を抱える私の手をとって、とても慎重に握りしめる。
「ドルミーレがもし、この世界で生きていくのが辛いのなら。この世界のヒトたちが嫌いなら、私たちも一緒にこの世界を捨てるよ。私たちの大切な親友を、こんなに傷つけて苦しめる世界を、私たちだって許せない。私たちは、あなたのそばにいられるのなら、他の全てを捨てる覚悟をして、ここに来たんだよ」
「何を、言って…………」
それは世界への叛逆と同じことだ。
世界が敵視する私の味方をし、多くのヒトビトが疎む私のそばにいるということは。
それは全てを捨てるどころか、何もかもを敵に回すということだ。
そんなこと、生半可なことではないというのに。
「一度は君のことを深く傷つけてしまった私たちだ。信用を失っても尚、君のそばにい続けたいとわがままを言うんだから、それくらいの覚悟はしてきたさ。いや、覚悟というか、もう当たり前すぎる気持ちなんだけれどね」
イヴニングもまた腰を落として、ホーリーと一緒に私の手を握った。
今までと同じ、柔らかくて温かい、優しさを感じさせる手が、私を強く包み込む。
「私たちは、どこまでも君について行こう。君の望むものを叶えるために、全力を尽くすことを約束しよう。そして、いついかなる時も君の味方でいて、君を守り続けると誓う」
「ドルミーレがいてくれれば、私たちはどこででも生きていけるから。この場所でも、どこか遠いところでも、違う世界だって。ううん、むしろ私たちは、ドルミーレが幸せになれる世界を一緒に作りたい。それで、その片隅にいさせてくれたら、私たちはそれで満足なんだよ」
二人の声は、先ほどとは打って変わって震えていた。
私の手を必死に握りながら、まるで縋り付いてくるように言葉を紡ぐ。
そこには、私に対する想いしか込められてはいなかった。
「私は……何もかもが憎い。全てが恨めしい。何もかもなくなってしまえばいいと思ってる。こんな世界は消えて無くなってしまえと、そう思って。自分自身ですら、こんな在り方をしていることが許せない。そんな私のために、あなたたちは他の全てを敵に回せると、本当にそう言うの?」
「もちろん。私たちはどんな君だって受け入れる。君だけの味方なんだ」
「私はこの世界が嫌いで、愚かなヒトビトが嫌いで、こんな自分が嫌い。全部ひっくり返して、何もかも違うものにしてしまいたいと思うくらい。そんな私のわがままに、あなたたちは付き合うというの?」
「付き合いたいんだよ、私たちは。ドルミーレが望む世界で、ずっと一緒にいたいの」
強く握られる手。でもそれは、私の心を抱き締められているような、そんな錯覚を感じさせて。
信じられなくて、信じたくなくて、希望を抱くつもりも、抱く余裕もないはずなのに。
二人が向けてくる気持ちが、私が被った殻を擦り抜けて、勝手に奥底へと染み込んでくる。
嫌なのに。もう沢山なのに。同じ失敗を繰り返したくなんてないのに。
今でも二人の裏切りは許せなくて、ヒトへの絶望は拭えなくて、世界への憎しみはなくならい。
それなのにどうして、繋いだ手の温もりが、この心に染みてしまうんだろう。
繋がりなんてくだらない。通じ合うものなんてない。信頼に価値なんてない。
わかっている。その考え方はもう変わりようがないし、だから彼女たちを信じようと思っているわけではないのに。
何故だか、この手を振り払う、そんな簡単なことがどうしてもできなかった。
「例え私がこの世界を滅ぼしたとしても、あなたたちは、この手を放さないと言うのね」
決してあり得なくはない未来。ある意味では最悪の結末。
しかし返ってくるのは、静かな肯首。
この先何があっても、心の芯で、私の味方であり続けると言うのならば。
例え世界がどうなろうとも、私のそばにい続けると言うのならば。
二人がそう、約束をするのならば……。
「……わかったわ。私は────」
決して信じることはできないけれど、それでも契りを結ぶことくらいなら。
今の私には他人に心を許す余裕なんてないけれど、でも二人がそこまで言うのであれば。
最低限そばに置いて、拒絶をしないであげるくらいのことは、受け入れてもいいかもしれない。
二人の手を握り返し、そう言葉にしようとした、その時だった。
「ッ────────────!!!」
何かとてつもない衝撃が、私の精神を揺さぶった。
まるで、世界を打ち砕くような激震。私のこの領域を、打ち破ったかのような衝撃だった。
二人の顔を見ることができず、私は力なく項垂れた。
私をまっすぐに見つめるその目を見ると、希望を持ってしまいそうになるから。
心の奥深くに眠る、未だ信じたいと思っている微かな気持ちが、顔を出しそうになるから。
「もう許して。お願いだから。あなたたちのくれる希望はもう、私を傷付けるだけなのよ」
ホーリーとイヴニングと過ごした日々は、確かに掛け替えのないものだった。
そこで得た温もりは優しく柔らかで、その瞬間を、私は確かに幸福と感じていた。
それを知っているからこそ、より一層絶望の色が濃くなってしまうんだ。
いっ時のまやかしのような幸せが、それを失ったときの絶望を大きくする。
信じていればいるほど、それが裏切られたときの衝撃は大きく、傷は深く抉られる。
だからもう、何も信じず何の希望も持たないことこそが、一番安らかな選択なんだ。
「私はこの世界に憎まれている。思い通りにいかず、剰え自分勝手に叛旗を翻した私を、強く憎んでいる。その結果があのジャバウォック。あの時は何とか退けたけれど、きっと世界はこれからも私を疎み続けるわ。そんな世界の中で、どうやったら私が希望を持っていけると……?」
全てを、好きで嫌っているわけではない。好きで恨んでいるわけではない。
私はこの世界に憎まれているから。この世界に、ヒトビトに疎まれているから。存在を許されていないから。
そんな感情に晒されながら、それでも誰かを信じ続けるなんて無理な話だ。希望を持ち続け、挫けないなんてあり得ない話だ。
「私はただ、平穏に過ごしたいだけだった。特別な力も立場も、何も必要ない。ただ心安らかに、大切な人たちとの幸せな日々を過ごせれば、ただそれだけで満足だったのに。この世界は、私にそれすらも許してはくれなかった」
私は一度だって多くを求めたことはなかったはずだ。
私が望んでいたのは、そんな些細なことだけだった。
けれど私という存在が、この力が、課せられた役割が、それを悉く阻んで。
私のささやかな願いすら、まともに叶えさせてくれはしない。
「だからもういいの。私のことを受け入れてくれない世界なんて、こっちから願い下げよ。だから私は、この世界の一部を塗り替えて、自分だけの居場所を作った。もう誰にも邪魔されない、私だけの平穏な場所を」
そうした行為が、他人からなんと言われようともう知ったことではない。
邪魔をしようとするものを、私の平穏を崩そうとするものを、排除することはもう厭わない。
悪しき魔女だと、悪魔だと、化け物だと。どう呼ばれようと構わない。
「愛する人たちと過ごすこの世界は、とても美しいものだと、そう思ったこともあった。でも違う。私の目に映る世界は、ひどく醜くかった。美しい分だけ、私にとっては残酷な世界なのよ。ここは……」
こんなことなら、幸福なんて知らなければよかった。
いつまでも一人で、孤独を孤独と知らぬまま生きていけばよかった。
この世界の輝きが、私には痛い。
「……ねぇ、ドルミーレ」
俯く私の前に、ホーリーがそっとしゃがみ込んだ。
頭を抱える私の手をとって、とても慎重に握りしめる。
「ドルミーレがもし、この世界で生きていくのが辛いのなら。この世界のヒトたちが嫌いなら、私たちも一緒にこの世界を捨てるよ。私たちの大切な親友を、こんなに傷つけて苦しめる世界を、私たちだって許せない。私たちは、あなたのそばにいられるのなら、他の全てを捨てる覚悟をして、ここに来たんだよ」
「何を、言って…………」
それは世界への叛逆と同じことだ。
世界が敵視する私の味方をし、多くのヒトビトが疎む私のそばにいるということは。
それは全てを捨てるどころか、何もかもを敵に回すということだ。
そんなこと、生半可なことではないというのに。
「一度は君のことを深く傷つけてしまった私たちだ。信用を失っても尚、君のそばにい続けたいとわがままを言うんだから、それくらいの覚悟はしてきたさ。いや、覚悟というか、もう当たり前すぎる気持ちなんだけれどね」
イヴニングもまた腰を落として、ホーリーと一緒に私の手を握った。
今までと同じ、柔らかくて温かい、優しさを感じさせる手が、私を強く包み込む。
「私たちは、どこまでも君について行こう。君の望むものを叶えるために、全力を尽くすことを約束しよう。そして、いついかなる時も君の味方でいて、君を守り続けると誓う」
「ドルミーレがいてくれれば、私たちはどこででも生きていけるから。この場所でも、どこか遠いところでも、違う世界だって。ううん、むしろ私たちは、ドルミーレが幸せになれる世界を一緒に作りたい。それで、その片隅にいさせてくれたら、私たちはそれで満足なんだよ」
二人の声は、先ほどとは打って変わって震えていた。
私の手を必死に握りながら、まるで縋り付いてくるように言葉を紡ぐ。
そこには、私に対する想いしか込められてはいなかった。
「私は……何もかもが憎い。全てが恨めしい。何もかもなくなってしまえばいいと思ってる。こんな世界は消えて無くなってしまえと、そう思って。自分自身ですら、こんな在り方をしていることが許せない。そんな私のために、あなたたちは他の全てを敵に回せると、本当にそう言うの?」
「もちろん。私たちはどんな君だって受け入れる。君だけの味方なんだ」
「私はこの世界が嫌いで、愚かなヒトビトが嫌いで、こんな自分が嫌い。全部ひっくり返して、何もかも違うものにしてしまいたいと思うくらい。そんな私のわがままに、あなたたちは付き合うというの?」
「付き合いたいんだよ、私たちは。ドルミーレが望む世界で、ずっと一緒にいたいの」
強く握られる手。でもそれは、私の心を抱き締められているような、そんな錯覚を感じさせて。
信じられなくて、信じたくなくて、希望を抱くつもりも、抱く余裕もないはずなのに。
二人が向けてくる気持ちが、私が被った殻を擦り抜けて、勝手に奥底へと染み込んでくる。
嫌なのに。もう沢山なのに。同じ失敗を繰り返したくなんてないのに。
今でも二人の裏切りは許せなくて、ヒトへの絶望は拭えなくて、世界への憎しみはなくならい。
それなのにどうして、繋いだ手の温もりが、この心に染みてしまうんだろう。
繋がりなんてくだらない。通じ合うものなんてない。信頼に価値なんてない。
わかっている。その考え方はもう変わりようがないし、だから彼女たちを信じようと思っているわけではないのに。
何故だか、この手を振り払う、そんな簡単なことがどうしてもできなかった。
「例え私がこの世界を滅ぼしたとしても、あなたたちは、この手を放さないと言うのね」
決してあり得なくはない未来。ある意味では最悪の結末。
しかし返ってくるのは、静かな肯首。
この先何があっても、心の芯で、私の味方であり続けると言うのならば。
例え世界がどうなろうとも、私のそばにい続けると言うのならば。
二人がそう、約束をするのならば……。
「……わかったわ。私は────」
決して信じることはできないけれど、それでも契りを結ぶことくらいなら。
今の私には他人に心を許す余裕なんてないけれど、でも二人がそこまで言うのであれば。
最低限そばに置いて、拒絶をしないであげるくらいのことは、受け入れてもいいかもしれない。
二人の手を握り返し、そう言葉にしようとした、その時だった。
「ッ────────────!!!」
何かとてつもない衝撃が、私の精神を揺さぶった。
まるで、世界を打ち砕くような激震。私のこの領域を、打ち破ったかのような衝撃だった。
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