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第三部 命花の呪い 編
02
しおりを挟む水の中に落っこちた結衣は、突然のことにパニックになった。
だがその時、右腕を掴まれ、水の中から引き上げられた。
「大丈夫ですか、ユイ!」
「……あ、アレク?」
心配そうに覗きこむ青年を、結衣は大理石の階段に座り込んだまま呆然と見る。
青年は、異世界にあるリヴィドール国の王、アレクシス・ウィル・リヴィドール三世だ。現在交際中の相手でもある。
柔らかそうな金髪と温かみのある緑の目をした美貌の青年は、ドラゴンでの飛行訓練でもしていたのか、深緑色の防寒着に身を包んでいた。
「何で私、ここに……?」
結衣は周りをきょろりと見回す。
聖竜教会の裏にある泉だ。すぐ傍に、白い大理石で造られた巨大な神殿が建っているのが見える。
この教会では、双子の女神――太陽の女神シャリアと月の女神セレナリア、そして聖竜を祀っている。もう一柱、夜闇の神ナトクという神様もいるのだが、大昔、セレナリアをさらって花嫁にしようとした為、怒ったシャリアによって地底に封じられてしまった。その為、ナトクは魔族を作り出した。女神への嫌がらせで、好戦的な魔族により、人間を滅ぼそうとしたのだ。
だが、追い詰められた人間を憐れに思ったセレナリアが、人間の盾となるようにと、天界から聖竜を遣わした。このアレクという青年は、聖竜とともに戦う使命を与えられた盟友である。彼の先祖と聖竜の活躍で、今では、かつての人間の領土と同じくらいの規模まで取り戻したそうだ。
ほとんど無敵の聖竜であるが、卵から孵し、成体になるまで導き育てる者の手が必要になる。そこで、結衣が今の聖竜ソラに選ばれ、地球から召喚された。以来、結衣はドラゴンの導き手として、地球と異世界と行き来している。
その時に使う大事な泉なので、結衣はこの場のことをよく知っていた。
『何故って、ユイが我を呼んだのだろう? ソラ、会いたい……と』
庭に座っていた巨大な銀色のドラゴン――聖竜ソラが、不可解そうに首を傾げ、美しい青の目でじっと結衣を見た。
「え?」
思い返してみると、確かにソラに会いたいとは思ったが、呼びかけた覚えはない。
「ごめん。会いたいなあって思っただけだったの、呼んだつもりはなかったんだけど」
『呼んでおらぬのか! いい加減、顔を出してくれても良いだろうに』
ソラはすねたように、青い目を細めた。
『どうせあちらの時間は止まっているのだ、せっかくだからのんびりして行け』
そして、期待をたっぷりこめた目で結衣を見つめる。
「そうですよ、すぐに帰るなんて寂しいことをおっしゃらないで下さい」
アレクは自分の着ていた緑の防寒着を脱いで、結衣の肩に被せながら言った。そして何故か上着の前の方をしっかりと閉めた。
「じゃあ、そうします」
結衣は頷いたが、アレクが困ったように視線を反らしてしまうので、いったいどうしたのだろうと首を傾げる。
『おや、泉に浮かんでおる紙切れはなんだ?』
「え?」
結衣はそこでようやく、手に持っていた荷物が無いことに気付いた。
城山に渡された紙袋と、黒いビジネスバッグがぷかぷかと浮かんでいる。
「嘘っ、やばいっ。返さないといけないのにっ。それにスマホ!」
慌てて泉から引き上げたが、紙袋が水に濡れたせいで破けてしまった。怖くて鞄は開けられない。
『なんだ、そんなに慌てて。我が乾かしてやろう』
ソラが笑って言い、前回にリヴィドール国に来た時のように、魔法で乾かしてしまった。
「ありがとう、ソラ! 良かった、大丈夫そう」
紙袋は元通りとはいかなかったが、ぎっしり詰まっていたのが功を奏したのか、釣書の中身を覗いてみると問題なさそうである。スマートフォンについては、後で確認することにした。
「何ですか、その冊子」
一つ落としたのを、アレクが拾い上げようとするので、結衣は慌てて奪い取った。
「ななな何でもありませんっ」
押し付けられただけで見合いをするつもりはないが、交際相手が見て良い気分になる代物ではない。
その拍子に抱えていた釣書も落としそうになり、しゃがみこんで耐える。代わりに肩にかかっていた防寒着が落っこちた。
「ああ、すみません。持ち物に勝手に触ろうとして……」
「そういうわけではないんですけどっ」
結衣が膝を着いたままアレクを見上げると、またアレクはさっと目を反らした。不思議に思った時、すたすたと近寄ってきたアレクが、防寒着で結衣を包み込み、あろうことか両腕に抱えてしまう。
「わっ、な、何ですか!?」
「申し訳ありませんが、ちょっと目に毒なので……神官にお預けいたします」
「は? 毒?」
化粧が落ちてまずい顔になっているのかと、結衣は青ざめた。
『ユイ、盟友は紳士なのだから、あまり困らせるでないぞ』
「何の話?」
聖竜ソラのからかうような言葉に、結衣はきょとんとする。
盟友というのは、人間の中から選ばれる、聖竜とともに戦う代表のことだ。アレクは幼い頃に盟友に選ばれた。その証は、ドラゴンが月を背負う紋様として左手の甲に浮かび上がっている。
アレクが気まずそうにしていた理由は、結衣が神官に預けられ、部屋で着替えようとした時に分かった。白いワイシャツの胸元が、水に濡れたせいで思い切り透けてしまっていた。
(わああ、見せてしまってむしろすみませんーっ)
結衣は申し訳なさすぎて、しばらくその場でフリーズしてしまった。
◆
「陛下、ユイ様がお越しになったと伺いました。……いかがなさいました?」
服が濡れてしまったので、着替えようと王城に向かう途中、アレクは宰相オスカー・レドモンドに声をかけられた。アレクは苦笑混じりに返す。
「……いや、ユイは自分の魅力に無頓着で困るなあと考えていたところだよ」
「は?」
「こちらの話だ。聞きつけるのが随分早いね、オスカー。何かあったのかい?」
「いえ、急ぎのことはありません。たまたま陛下をお呼びしようとこちらに向かっておりましたら、そこで神官から伝達を受け取ったのですよ」
オスカーはそう返し、アレクに折りたたんだ冊子を差し出す。
「こちら、神官から預かりましたが、陛下のものでしょうか?」
「いや、私のではないと思うけれど」
アレクは確認の為、冊子を広げてみた。オスカーが驚いた顔になる。
「これは、随分精巧な肖像画ですね。紙も、つるつるしていて不思議です」
「ユイのものだね。そういえば、さっき似たようなものを持っていたな……」
触ろうとしたら、慌てて拒否されたことを思い出す。肖像画の絵が見知らぬ若い男のものだったせいか、何やらもやっとしたものが心に浮かんだ。
「ご家族の絵でしょうか? そういえば、ユイ様には弟君がいらっしゃるとか」
「弟……そうならいいんだけど」
アレクはそう返しながら、そういえば結衣の家族について、あまり聞いたことがないなと気付いた。
「弟といえば、ディランとアメリアの兄、クロス伯爵が到着したそうですよ。二人は出迎えに行っていて不在です。ユイ様の護衛はいかがいたしましょうか」
「近衛から二人出して、玄関で待機させておいて。ユイは入浴中だから、しばらくは出て来ないと思う」
「ではそのように致します。――君、いいか」
壁際に控えていた女性神官に呼びかけ、オスカーは護衛の配置にして説明する。
それを横目に、アレクは冊子を見下ろして、何故だか気持ちが少し落ち込んでしまい、誤魔化すように空を見上げて息をついた。
◆
その頃、王都の人通りの無い路地裏で、フードを目深に被り、顔を隠した男が二人、密かに言葉をかわしていた。
「それでどうだ、首尾の方は」
黒い衣服に、灰色のマントを纏った男が問いかける。従者の身なりをした男は、恭しく頭を垂れた。
「はっ、人間の貴族の一団に、上手く潜り込めました。使用人として同行しております、このまま王城に入る予定です。しかし……」
「何だ?」
言葉を濁す男に、灰色のマントの男は鋭く問う。
「例の導き手は異世界に戻ったままのようです。目標が不在では任務を遂行出来ません、私は王城に長くは留まれませんので……その際はいかがいたしましょう?」
「その時は聖竜の盟友でも構わん。功績を上げ、国に帰る言い分が出来ればそれでよい」
「はっ、畏まりました」
従者の身なりの男は深々と頭を下げた。
「では行け」
「はっ、御前失礼いたします。第二王子殿下」
従者の身なりの男が去ると、灰色のマントの男は壁に背を預けて、息をついた。
その時、一陣の風が吹き、男のマントを大きく揺らして通り過ぎていく。
ほんの瞬く間だけ、男の顔が日の下にさらされた。
褐色の肌をした男は、睨むように太陽を見上げる。長く伸びた前髪は黒く、その隙間から、魔族の証である金色の目が覗く。
男は愉快そうに笑うと、路地裏の影へと消えていった。
-------------------------
・2016.11/3 第二下僕⇒使用人 に変更しました。
注釈のいるような単語で書くのは不親切だなと思ったので変えました。
変にこだわらず、使用人の一言でいいところでしたね。
2
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