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第二章 N+捜査官
3. 土
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大黒寺家で働いているのは先ほど会ったメイドの二人とこの料理長だけで、死亡推定時刻には皆アリバイがあった。木島はずっと料理を作っていたというし、メイドの二人もお客様の対応に追われ常に人の目がある場所にいたのだという。
「もしこれが自殺じゃなくて毒殺だったとしたら、アリバイなんてあってないようなものですよね?」
「そうだな。従業員どころかパーティーに来た人全員が容疑者になる」
全員が容疑者か……。
フロアを見渡せば50人はいる様に思えた。
「これ全員に話を聞くんですよね」
「当り前だ。むしろ1か所にいてくれるだけ有難いくらいだよ」
「確かに」
青砥の言葉に頷いていると「すみません」と声をかけられた。背が高く、樹でも分かる上質の服を纏ういかにも育ちのよさそうな男だ。品があるのにどこか野性味すら感じるこの男は、声までも美声だ。
「連れの具合が悪いので少し外に出てもよろしいですか?」
「大丈夫ですか? 病院を手配することも可能ですが」
「いいえ、それには及びません。外の空気を吸えば落ち着くと思いますが、出来る事なら早めに帰宅させて頂けると……これは取り調べではないのですよね?」
「勿論です。では外でお話を聞かせて頂けますか? お連れ様と一緒に」
庭に出ると少し冷たい空気が吹いていて、樹もようやくちゃんと息を風ことが出来た気がした。男の連れの女性は青白い顔で椅子に腰かけている。
「失礼ですが、神崎祐一郎さんでいらっしゃいますよね?」
「私をご存じでしたか」
「えぇ、日本でも有数の財閥でいらっしゃいますから。知らない方などいませんよ」
ねぇ、と青砥が樹を見たので樹は慌てて3度も頷いた。
「大黒寺さんとはどのようなご関係なんですか?」
「私というより、私の連れが大黒寺さんと親交がありまして」
皆の視線が注がれると、女性は幾分か赤みの戻った顔をこちらに向けた。
「西城京子と申します。大黒寺さんとは数年前に食遊会でお会いしたんです。大黒寺さんはお子さんがおられないこともあって私を実の子の様に可愛がってくれて……」
「食遊会って何をする会なんですか?」
樹が尋ねると、ハンカチで目頭を拭っている京子に変わって神崎が口を開いた。
「会が所有する土に自分たちで食物の苗を植えて育てるんです。今の時代、食物が育つほど栄養価の高い土はそんなに多くはありませんからね。土で、しかも自分で育てた食物を食べる、健康志向の人には人気なのですよ」
土で? それって普通のことじゃないのか?
樹が言いかけた言葉を遮る様に青砥が言葉を続けた。
「自然を顧みずに科学の力だけを追った時代――躍進時代のせいで土が痩せ、我々の口に入る食物は殆どが水耕栽培ですからね。土でしか育てられない食物もありますし、健康志向の方に人気が出るのも納得です」
そうだった。教科書にもそう書いてあった。
躍進時代、植物の減少を止められず、やがて土は痩せ食物は実らなくなったが、栄養錠剤で栄養を補給する方が効率が良かった為に特に問題視はされなかったのだと。
神崎が頷いた傍らで、樹はテーブルに残っている料理を見つめた。よく見てみれば、緑のレタスのような野菜やトマトにキュウリ、どれも水耕栽培で育てやすそうな野菜ばかりだ。その中央に今日の料理のメインだと言わんばかりにリンゴが丸のまま積んであった。
リンゴか。確かに水耕栽培で育てるには難しそうだもんな。きっとこれが数少ない貴重な土で育てられた食物なんだろう。
とっくに日も落ちた20時半、「お先に~」と霧島が帰るとN+捜査課の部屋は樹一人だけになった。
「あーっ、だぁっ、もう、報告書めんどくせぇっ」
「モウ、ホウコクショガメンドウクサイ」
樹の叫びに音声入力装置が作動して、報告書に「モウ、ホウコクショガメンドウクサイ」の文字が表示され、樹は言葉にならないうめき声をあげた。報告書というよりも今日聞き取りしたことをまとめているだけなのだが、どの部分を記載すべきか、どこまで記載すべきかを悩んでいるうちにもうこんな時間だ。
「樹、まだ報告書やってんのか?」
「アオさん!? 帰ったんじゃないですか?」
「退勤はしたけど、学生時代のクラスメイトに誘われてこの辺でご飯食ってた。そしたらまだここに電気がついてるからまさかと思って」
「すみませんねー、想定外に仕事が出来なくて」
ケッと投げやりに答えると近づいてきた青砥が樹の頭をクシャクシャと撫でた。隣の机に座って、樹を見下ろす。
「で、どこで引っかかってんの? ほら、手伝ってやるよ」
ムスッとした唇を作ったまま樹は自分の髪の毛を手櫛で整えると、報告書を青砥にも見えるように大きく表示させた。
捜査官になる前、青砥と一緒にご飯フェスに行った一件後も青砥との距離感は微妙なままだ。今、こうして樹の報告書を手伝ってくれているのも、頭を撫でるのも後輩の面倒を見る先輩の範囲内なんだろうと樹は思う。そもそも「離れない覚悟を持てばいいってことだろ?」と言った青砥に樹は「それはそれで困る」と言ったのだ。
どんな覚悟があれ近づかないでくれと言ったも同然だ。
「検視の結果、死亡原因は毒だったんですよね? アオさんは事故と自殺どっちだと思います?」
「どっちって言われてもなぁ。まだ分からない」
「なんかちょーっと怪しいなって思う人とかいないんですか?」
「お前までそんな目で見るなよなー」
はぁー、と大きく息を吐いた青砥が酷く疲れた顔をした気がして樹は思わず青砥の服の裾を掴んだ。
「なんかあったんですか?」
「もしこれが自殺じゃなくて毒殺だったとしたら、アリバイなんてあってないようなものですよね?」
「そうだな。従業員どころかパーティーに来た人全員が容疑者になる」
全員が容疑者か……。
フロアを見渡せば50人はいる様に思えた。
「これ全員に話を聞くんですよね」
「当り前だ。むしろ1か所にいてくれるだけ有難いくらいだよ」
「確かに」
青砥の言葉に頷いていると「すみません」と声をかけられた。背が高く、樹でも分かる上質の服を纏ういかにも育ちのよさそうな男だ。品があるのにどこか野性味すら感じるこの男は、声までも美声だ。
「連れの具合が悪いので少し外に出てもよろしいですか?」
「大丈夫ですか? 病院を手配することも可能ですが」
「いいえ、それには及びません。外の空気を吸えば落ち着くと思いますが、出来る事なら早めに帰宅させて頂けると……これは取り調べではないのですよね?」
「勿論です。では外でお話を聞かせて頂けますか? お連れ様と一緒に」
庭に出ると少し冷たい空気が吹いていて、樹もようやくちゃんと息を風ことが出来た気がした。男の連れの女性は青白い顔で椅子に腰かけている。
「失礼ですが、神崎祐一郎さんでいらっしゃいますよね?」
「私をご存じでしたか」
「えぇ、日本でも有数の財閥でいらっしゃいますから。知らない方などいませんよ」
ねぇ、と青砥が樹を見たので樹は慌てて3度も頷いた。
「大黒寺さんとはどのようなご関係なんですか?」
「私というより、私の連れが大黒寺さんと親交がありまして」
皆の視線が注がれると、女性は幾分か赤みの戻った顔をこちらに向けた。
「西城京子と申します。大黒寺さんとは数年前に食遊会でお会いしたんです。大黒寺さんはお子さんがおられないこともあって私を実の子の様に可愛がってくれて……」
「食遊会って何をする会なんですか?」
樹が尋ねると、ハンカチで目頭を拭っている京子に変わって神崎が口を開いた。
「会が所有する土に自分たちで食物の苗を植えて育てるんです。今の時代、食物が育つほど栄養価の高い土はそんなに多くはありませんからね。土で、しかも自分で育てた食物を食べる、健康志向の人には人気なのですよ」
土で? それって普通のことじゃないのか?
樹が言いかけた言葉を遮る様に青砥が言葉を続けた。
「自然を顧みずに科学の力だけを追った時代――躍進時代のせいで土が痩せ、我々の口に入る食物は殆どが水耕栽培ですからね。土でしか育てられない食物もありますし、健康志向の方に人気が出るのも納得です」
そうだった。教科書にもそう書いてあった。
躍進時代、植物の減少を止められず、やがて土は痩せ食物は実らなくなったが、栄養錠剤で栄養を補給する方が効率が良かった為に特に問題視はされなかったのだと。
神崎が頷いた傍らで、樹はテーブルに残っている料理を見つめた。よく見てみれば、緑のレタスのような野菜やトマトにキュウリ、どれも水耕栽培で育てやすそうな野菜ばかりだ。その中央に今日の料理のメインだと言わんばかりにリンゴが丸のまま積んであった。
リンゴか。確かに水耕栽培で育てるには難しそうだもんな。きっとこれが数少ない貴重な土で育てられた食物なんだろう。
とっくに日も落ちた20時半、「お先に~」と霧島が帰るとN+捜査課の部屋は樹一人だけになった。
「あーっ、だぁっ、もう、報告書めんどくせぇっ」
「モウ、ホウコクショガメンドウクサイ」
樹の叫びに音声入力装置が作動して、報告書に「モウ、ホウコクショガメンドウクサイ」の文字が表示され、樹は言葉にならないうめき声をあげた。報告書というよりも今日聞き取りしたことをまとめているだけなのだが、どの部分を記載すべきか、どこまで記載すべきかを悩んでいるうちにもうこんな時間だ。
「樹、まだ報告書やってんのか?」
「アオさん!? 帰ったんじゃないですか?」
「退勤はしたけど、学生時代のクラスメイトに誘われてこの辺でご飯食ってた。そしたらまだここに電気がついてるからまさかと思って」
「すみませんねー、想定外に仕事が出来なくて」
ケッと投げやりに答えると近づいてきた青砥が樹の頭をクシャクシャと撫でた。隣の机に座って、樹を見下ろす。
「で、どこで引っかかってんの? ほら、手伝ってやるよ」
ムスッとした唇を作ったまま樹は自分の髪の毛を手櫛で整えると、報告書を青砥にも見えるように大きく表示させた。
捜査官になる前、青砥と一緒にご飯フェスに行った一件後も青砥との距離感は微妙なままだ。今、こうして樹の報告書を手伝ってくれているのも、頭を撫でるのも後輩の面倒を見る先輩の範囲内なんだろうと樹は思う。そもそも「離れない覚悟を持てばいいってことだろ?」と言った青砥に樹は「それはそれで困る」と言ったのだ。
どんな覚悟があれ近づかないでくれと言ったも同然だ。
「検視の結果、死亡原因は毒だったんですよね? アオさんは事故と自殺どっちだと思います?」
「どっちって言われてもなぁ。まだ分からない」
「なんかちょーっと怪しいなって思う人とかいないんですか?」
「お前までそんな目で見るなよなー」
はぁー、と大きく息を吐いた青砥が酷く疲れた顔をした気がして樹は思わず青砥の服の裾を掴んだ。
「なんかあったんですか?」
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