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番外編2 男心と春の午後
あの時の笑顔が気になって
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***
「…きさん、一彰さん?」
「え?あ、ちぃ…どうした?」
「一彰さんこそどうしたの?ぼうっとしてたわよ?」
ソファーの隣に座っている千紗子が、一彰の顔を覗き込んでいる。彼女の膝の上には、開かれたままの雑誌が置いてある。
三月中頃の昼下がり。春と呼ぶにはまだまだ寒く、日中でも暖房が必要だけれど、窓から差しこむ陽射しはずいぶんと柔らかくなってきた。桜の開花まではもう一息、だろう。
一彰は読んでいた文庫本が、いつのまにか膝に落ちていたことに気付く。
「ごめん、ちょっと寝てた、かな…?」
「ここ最近ずっと帰りが遅かったから、きっと疲れてるのよ…コーヒーでも淹れようか?それとも、このまま眠ってしまう?」
心配そうに伺う千紗子に、一彰は目を細める。
「いや、大丈夫。…でもそうだな、ちょっとだけ充電しようか」
そう口にした一彰は、千紗子の腕をグイッと引き、その体を自分の上に引き寄せた。
急に引き寄せられた千紗子は、一瞬何が起こったのか理解出来ずに、一彰の胸の上で黒目がちな瞳を丸く大きく開いている。
一彰はソファーの肘置きに背中を預け、自分の胸の上でうつ伏せになっている彼女の頭のてっぺんに、唇を押し当てた。
花の蜜のような甘い香り。
絹のようにつややかな髪。
折れそうなほど細い体。
手に吸いつくように滑らかで柔らかい肌。
一彰は腕の中に閉じ込めているそれらを、確かめるように目を閉じ、二年前の春を回顧する。
(図書館で初めて千紗子の笑顔を見れたのは、あれから随分経ってからだったな……)
―――――――――――――――
――――――――――
―――――
一か月の新人研修期間が終わり、千紗子は児童書の担当に配置された。
仕事内容は、子ども向けの絵本やヤングアダルト向けの小説などの整理の他に、幼児向けの読み聞かせやイベントも数多くある。
イベントが多いせいか、割と慌ただしい部門だけど、特別不満を表に出すこともなく、彼女は真面目に、けれどやはり硬い表情で仕事に取り組んでいる。その様子を一彰は何気なく観察していた。
そんなある日。たまたま通りかかった一彰の耳に、楽しげな笑い声が飛び込んできた。
小さな子どもと膝を折り曲げてしゃがんだ千紗子が、何かの本を広げて会話をしている。
千紗子はこちらに背を向けているからその顔は見えないが、その隣に立っている子どもは楽しげな声でしゃべっていた。
(あの時みたいだな……)
二人の近くを通り過ぎながら、そんなことを考えていた時、ふと千紗子の横顔が目に入った。
彼女はあの時と同じ柔らかな顔で笑っていたのだ。
それからというもの、一彰は気付くと千紗子の表情を注意深く見るようになっていた。
よく見ていると、あまり笑うことのない彼女は、あまり怒ることもない。
―――というよりも、自分の感情を表情に出すことをあまりしないようだった。
無表情というわけではないが、あまり感情をハッキリと表に出すタイプではないのだろう。
指導員として一緒にいる河崎とは、全く逆のタイプかもしれない。
一彰は新人司書の上司として、彼女を見守っているつもりだった。
業務を直接教えるのは先輩司書の河崎の仕事だけど、それを支える為には上司である自分も気を付けておく必要がある。
なんとなく千紗子に目が言ってしまうのは、いわば上司の仕事だからだと、一彰は考えていたのだ。
けれどある時一彰は、それが純粋に上司としての行動でないことに、薄っすらと気が付いてしまったのだ。
それは、一彰が千紗子の上司になって半年ほど経ったころだった。
「えっ、千紗ちゃん、彼氏と同棲してるの!?」
「み、美香さんっ!声!大きいですっ」
休憩室で昼食を食べていた一彰の耳に、二人の会話がはっきりと届く。
一彰は意識してそちらを見ないように心掛けた。自分は決して彼女たちの会話を盗み聞きしたいとは思っていない。
驚いた声を上げた河崎は、すぐに音量を下げ、二人は顔を寄せ合うようにして話を続けている。
少し離れたところに座る一彰のところまで、もうその会話が届くことはなく、その後はどんな会話が成されたのかは分からなかった。
(そうか…、木ノ下は恋人と同棲中、か……)
心の中でそう唱えると、何故だか胸に引き攣れるような鈍い痛みが走る。
その痛みが何なのか。一彰は無意識にそれを考えないようにした。
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「…きさん、一彰さん?」
「え?あ、ちぃ…どうした?」
「一彰さんこそどうしたの?ぼうっとしてたわよ?」
ソファーの隣に座っている千紗子が、一彰の顔を覗き込んでいる。彼女の膝の上には、開かれたままの雑誌が置いてある。
三月中頃の昼下がり。春と呼ぶにはまだまだ寒く、日中でも暖房が必要だけれど、窓から差しこむ陽射しはずいぶんと柔らかくなってきた。桜の開花まではもう一息、だろう。
一彰は読んでいた文庫本が、いつのまにか膝に落ちていたことに気付く。
「ごめん、ちょっと寝てた、かな…?」
「ここ最近ずっと帰りが遅かったから、きっと疲れてるのよ…コーヒーでも淹れようか?それとも、このまま眠ってしまう?」
心配そうに伺う千紗子に、一彰は目を細める。
「いや、大丈夫。…でもそうだな、ちょっとだけ充電しようか」
そう口にした一彰は、千紗子の腕をグイッと引き、その体を自分の上に引き寄せた。
急に引き寄せられた千紗子は、一瞬何が起こったのか理解出来ずに、一彰の胸の上で黒目がちな瞳を丸く大きく開いている。
一彰はソファーの肘置きに背中を預け、自分の胸の上でうつ伏せになっている彼女の頭のてっぺんに、唇を押し当てた。
花の蜜のような甘い香り。
絹のようにつややかな髪。
折れそうなほど細い体。
手に吸いつくように滑らかで柔らかい肌。
一彰は腕の中に閉じ込めているそれらを、確かめるように目を閉じ、二年前の春を回顧する。
(図書館で初めて千紗子の笑顔を見れたのは、あれから随分経ってからだったな……)
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一か月の新人研修期間が終わり、千紗子は児童書の担当に配置された。
仕事内容は、子ども向けの絵本やヤングアダルト向けの小説などの整理の他に、幼児向けの読み聞かせやイベントも数多くある。
イベントが多いせいか、割と慌ただしい部門だけど、特別不満を表に出すこともなく、彼女は真面目に、けれどやはり硬い表情で仕事に取り組んでいる。その様子を一彰は何気なく観察していた。
そんなある日。たまたま通りかかった一彰の耳に、楽しげな笑い声が飛び込んできた。
小さな子どもと膝を折り曲げてしゃがんだ千紗子が、何かの本を広げて会話をしている。
千紗子はこちらに背を向けているからその顔は見えないが、その隣に立っている子どもは楽しげな声でしゃべっていた。
(あの時みたいだな……)
二人の近くを通り過ぎながら、そんなことを考えていた時、ふと千紗子の横顔が目に入った。
彼女はあの時と同じ柔らかな顔で笑っていたのだ。
それからというもの、一彰は気付くと千紗子の表情を注意深く見るようになっていた。
よく見ていると、あまり笑うことのない彼女は、あまり怒ることもない。
―――というよりも、自分の感情を表情に出すことをあまりしないようだった。
無表情というわけではないが、あまり感情をハッキリと表に出すタイプではないのだろう。
指導員として一緒にいる河崎とは、全く逆のタイプかもしれない。
一彰は新人司書の上司として、彼女を見守っているつもりだった。
業務を直接教えるのは先輩司書の河崎の仕事だけど、それを支える為には上司である自分も気を付けておく必要がある。
なんとなく千紗子に目が言ってしまうのは、いわば上司の仕事だからだと、一彰は考えていたのだ。
けれどある時一彰は、それが純粋に上司としての行動でないことに、薄っすらと気が付いてしまったのだ。
それは、一彰が千紗子の上司になって半年ほど経ったころだった。
「えっ、千紗ちゃん、彼氏と同棲してるの!?」
「み、美香さんっ!声!大きいですっ」
休憩室で昼食を食べていた一彰の耳に、二人の会話がはっきりと届く。
一彰は意識してそちらを見ないように心掛けた。自分は決して彼女たちの会話を盗み聞きしたいとは思っていない。
驚いた声を上げた河崎は、すぐに音量を下げ、二人は顔を寄せ合うようにして話を続けている。
少し離れたところに座る一彰のところまで、もうその会話が届くことはなく、その後はどんな会話が成されたのかは分からなかった。
(そうか…、木ノ下は恋人と同棲中、か……)
心の中でそう唱えると、何故だか胸に引き攣れるような鈍い痛みが走る。
その痛みが何なのか。一彰は無意識にそれを考えないようにした。
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しおりを挟んでくださっている皆様へ。
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