Sweet Healing~真摯な上司の、その唇に癒されて~

汐埼ゆたか

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番外編2 男心と春の午後

千紗子との出会い

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 彼女を初めて見たのは、まだ寒さの残る三月の終わりだった。



 ***


 分館で行われた会議から中央図書館に戻る途中、一彰の目にふとその光景が映り込んできた。

 朝晩の冷え込みにえた堅い蕾が、一つ二つとほころびかけた桜の樹の下で、一人の若い女性と幼い少女が絵本を読んでいる。ベンチに座った彼女たちは、楽しげな笑顔を浮かべていた。

 (ああ、あれはうちでも常に回転している絵本だ)

 職業柄、絵本に目が行くのは自然なことだ。

 絵本を読んで貰っているのは少女は、おそらく三歳くらい。ベンチに座り、時折きゃっきゃと楽しげにはしゃいでいるその笑顔は、春先の冷たい風に一つも負けていない。

 一彰の目が、自然と読み手である女性に向く。

 まだまだ集中して本を読むということが難しい年頃の幼児を、こんなふうに絵本の世界に惹き付けることが出来るとは。一彰は内心で感心していた。

 (ずいぶんと若いけれど、子どもの注意を惹き付けるのが上手いな。母親だからだろうか……)

 微笑みながら絵本を読んでいるその女性は、二十代前半くらいだろうか、長い黒髪が春風にサラサラと揺れ、細い指が丁寧にページをめくる。

 子どもに向ける優しげな笑顔に、一彰はしばらく食い入るように見入っていた。
 
 数日後、その彼女と思わぬところで出会うことになるとは、この時の一彰には予測だにつかなかった。

 
 新年度初めの朝礼。
 その人は館長の後ろから部屋に入り、皆の前に立った。

 「木ノ下千紗子と申します。一生懸命頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします」

 細くて高い、鈴を転がすような声でそう言った後、美しく腰を折る。下げた頭から彼女の長い髪が、サラリと肩から流れ落ちるのを、一彰は黙って見つめていた。

 館長に紹介された『新人司書』は、間違いなくあの時の彼女だ。

 (どうして……?)

 彼女は母親ではなかったのか…、いや、新人だからといって未婚とは限らない。

 一彰の頭に色々な思考が巡る中、館長が彼女のプロフィールを簡単に説明し始める。

 その説明によると、県内の大学を卒業後、すぐにこの市立中央図書館に司書として就職したらしい。
 
 正直、あの時のことが気にならないわけではないけれど、仕事をする上で支障のあることではない。もしも彼女に何か家庭の事情などがあって相談を受けることがあれば、その時に対処すれば良い。

 そう思った一彰は、それ以降はそのことについて考えるのをやめることにした。

 そうして部下になった彼女は、呆れるほど真面目に業務に取り組んだ。

 慣れない業務に戸惑うことは多々あるようだが、仕事を覚えようという熱心さからか、指導員につけた河崎美香の言うことをいつも真剣に聞いている。
 上司である一彰の判断を仰ぐこともあったが、基本的には河崎に任せていれば大丈夫だったので、一彰が直接指導する場面はほとんどなかった。

 新人教育を遠くから見守りつつも、一彰には一つだけ気になることがあった。

 それは彼女の笑顔を見ることが全くないことだ。

 慣れない業務に緊張しているのか、いつも硬い表情でいる。それは同僚たちへ対してだけでなく、利用者へも同じだった。

 (あの時は、あんなに楽しそうに微笑んでいたのにな……)

 絵本を読み聞かせていた時の彼女の笑顔を知っている一彰は、今の硬い顔は彼女の本質ではないような気がしていた。


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