52 / 68
7.卵焼きレッスン
[1]-3
しおりを挟む
「櫂人さん。でも私が」
「今日の俺はきみのアシスタントだよ。先生はきみなんだ」
「先生だなんて、そんな……からかわないでください」
「からかったわけじゃないが、照れるきみもかわいいな」
思わず耳を疑うほどの甘い言葉の数々を口にした首席に、さやかさんは真っ赤になってうつむいてしまった。そんな彼女を見て蕩けそうな笑みを浮かべ瞳を細める。
「たっくん、ママをよろしくな」
息子さんの頭をポンっと撫でた手でさやかさんの頬をひと撫でしてからキッチンに入って行った。
はたで見ているこちらが妙にドギマギして変な汗が出そう。中身は普通の会話なのに、まるで閨の睦言を盗み聞きした気分だ。今さらながら、このふたりの間に割って入ろうなんて無謀なことをしなくてよかったと実感する。
ソファーセットに敷かれたラグに直接座ったさやかさんには、拓翔君がずっとしがみついている。こちらが気になるのかときどき視線を感じるが、目が合うとすぐに顔を背けられるのでなるべく見ないようにする。
「ごめんなさい、人見知りで」
「いえ、大丈夫です」
あまり目を合わせないように視線をずらしたら、パンダが目に飛び込んできた。幼児用のイスやカップ。至る所にパンダ柄がある。そう言えば最初からずっとパンダのぬいぐるみを抱えたままだ。
「もしかして、拓翔君はパンダがすきなのですか?」
「はい、そうなんです。キャラクターものよりもパンダがすきみたいで」
「ぱんらしゃーしゅき」
自分のすきなものが出てきたことでつい反応したのだろう。腕に抱いたパンダの頭の上から出したつぶらな瞳をキラキラとさせていて、自然と顔が緩む。
「そっかぁ。だから動物園に」
「あかたんぱんらしゃ」
「そうそう。赤ちゃんパンダさん、かわいかったわよね」
思えば、彼らと最初に遭遇したのは動物園だった。
そうだ。せっかく貴重な時間をいただいているのだから、悠長にパンダの話に花を咲かせている場合でない。
持参した手土産を紙袋から出してテーブルに乗せた。
「こちら、つまらないものですがよかったら」
箱の中身は有名店のフルーツがたっぷり入ったゼリーだ。小さなお子さんがいるのでアレルギーには気をつけたい。このゼリーには卵、乳、小麦粉が入っていない。数種類のフルーツゼリーが詰め合わせになっているので、どれか食べられるものがあればいいと思ったのだ。
「そんな、お気遣いいただかなくても」
戸惑ったようにさやかさんは差し出されたものをなかなか受け取ってくれない。私はにこりと笑顔を作る。
「拓翔君、ゼリーはすき?」
「しゅき」
「よかった。じゃあ冷蔵庫で冷たくしてから食べてね」
にこりと微笑みながら箱をもうひと押しすると、小さな手が伸びて来て「あい!」とつかんだ。
キッチンの方から「ははっ」と笑う声がする。
「北山の勝ちだな。ありがたくいただこう、さやか」
トレイにグラスを乗せて戻ってきた首席にそう言われ、さやかさんは申し訳なさそうに「ありがとうございます」とこちらに頭を下げた。
首席がさやかさんの隣に腰を下ろした後、皆でそろってアイスティ飲んだ。拓翔君はオレンジジュースだ。思いのほか喉が渇いていたようで、アイスティが喉を滑り落ちて行くのが心地よい。茶葉の清涼感のある香りとほのかな渋みに口と心を潤される。
そろそろかしら。
グラスをテーブルに戻し、息を吸い込みながら背筋を伸ばす。
「あの――」
「ぱんらしゃ!」
突如として立ち上がった拓翔君が、首席の服を引っ張った。
「ああ、そうだな。そろそろ行こうか」
拓翔君を抱えて立ち上がった彼に、思わず目を丸くした。
「あの、どちらへ」
「ああ、これから近くのショッピングモールで子ども向けのイベントがあるんだ。そこに連れて行く約束をしていたから」
思わず「え!」と声が出た。じゃあ私は本当にお邪魔ではないか。
「最初からイベントにはふたりで行く予定だったんだ。だから気にしないでいい」
「そうなんです、北山さん。実家からパンダのイベントがあるって聞いて、そしたら拓翔がどうしても行きたいと言うので」
「ぱぱ、ぱんらしゃー」
ぷっくりと柔らかそうな頬を桃色にし、ビー玉のような瞳をキラキラとさせた拓翔君に、これは確かに連れて行ってあげたくなるわね、と思う。
「たまには男同士の時間も大事だよな、拓翔」
「な!」
顔を見合わせて同じ方向に首をかしげたふたりの仕草がまったく同じで、ほほえましさに頬が緩む。
「というわけで、男同士の時間を楽しんでくるな」
「お願いしますね、櫂人さん」
首席は部屋の隅にあったトートバッグを肩にかけると、拓翔君を抱いてあっという間に出かけて行ってしまった。
「今日の俺はきみのアシスタントだよ。先生はきみなんだ」
「先生だなんて、そんな……からかわないでください」
「からかったわけじゃないが、照れるきみもかわいいな」
思わず耳を疑うほどの甘い言葉の数々を口にした首席に、さやかさんは真っ赤になってうつむいてしまった。そんな彼女を見て蕩けそうな笑みを浮かべ瞳を細める。
「たっくん、ママをよろしくな」
息子さんの頭をポンっと撫でた手でさやかさんの頬をひと撫でしてからキッチンに入って行った。
はたで見ているこちらが妙にドギマギして変な汗が出そう。中身は普通の会話なのに、まるで閨の睦言を盗み聞きした気分だ。今さらながら、このふたりの間に割って入ろうなんて無謀なことをしなくてよかったと実感する。
ソファーセットに敷かれたラグに直接座ったさやかさんには、拓翔君がずっとしがみついている。こちらが気になるのかときどき視線を感じるが、目が合うとすぐに顔を背けられるのでなるべく見ないようにする。
「ごめんなさい、人見知りで」
「いえ、大丈夫です」
あまり目を合わせないように視線をずらしたら、パンダが目に飛び込んできた。幼児用のイスやカップ。至る所にパンダ柄がある。そう言えば最初からずっとパンダのぬいぐるみを抱えたままだ。
「もしかして、拓翔君はパンダがすきなのですか?」
「はい、そうなんです。キャラクターものよりもパンダがすきみたいで」
「ぱんらしゃーしゅき」
自分のすきなものが出てきたことでつい反応したのだろう。腕に抱いたパンダの頭の上から出したつぶらな瞳をキラキラとさせていて、自然と顔が緩む。
「そっかぁ。だから動物園に」
「あかたんぱんらしゃ」
「そうそう。赤ちゃんパンダさん、かわいかったわよね」
思えば、彼らと最初に遭遇したのは動物園だった。
そうだ。せっかく貴重な時間をいただいているのだから、悠長にパンダの話に花を咲かせている場合でない。
持参した手土産を紙袋から出してテーブルに乗せた。
「こちら、つまらないものですがよかったら」
箱の中身は有名店のフルーツがたっぷり入ったゼリーだ。小さなお子さんがいるのでアレルギーには気をつけたい。このゼリーには卵、乳、小麦粉が入っていない。数種類のフルーツゼリーが詰め合わせになっているので、どれか食べられるものがあればいいと思ったのだ。
「そんな、お気遣いいただかなくても」
戸惑ったようにさやかさんは差し出されたものをなかなか受け取ってくれない。私はにこりと笑顔を作る。
「拓翔君、ゼリーはすき?」
「しゅき」
「よかった。じゃあ冷蔵庫で冷たくしてから食べてね」
にこりと微笑みながら箱をもうひと押しすると、小さな手が伸びて来て「あい!」とつかんだ。
キッチンの方から「ははっ」と笑う声がする。
「北山の勝ちだな。ありがたくいただこう、さやか」
トレイにグラスを乗せて戻ってきた首席にそう言われ、さやかさんは申し訳なさそうに「ありがとうございます」とこちらに頭を下げた。
首席がさやかさんの隣に腰を下ろした後、皆でそろってアイスティ飲んだ。拓翔君はオレンジジュースだ。思いのほか喉が渇いていたようで、アイスティが喉を滑り落ちて行くのが心地よい。茶葉の清涼感のある香りとほのかな渋みに口と心を潤される。
そろそろかしら。
グラスをテーブルに戻し、息を吸い込みながら背筋を伸ばす。
「あの――」
「ぱんらしゃ!」
突如として立ち上がった拓翔君が、首席の服を引っ張った。
「ああ、そうだな。そろそろ行こうか」
拓翔君を抱えて立ち上がった彼に、思わず目を丸くした。
「あの、どちらへ」
「ああ、これから近くのショッピングモールで子ども向けのイベントがあるんだ。そこに連れて行く約束をしていたから」
思わず「え!」と声が出た。じゃあ私は本当にお邪魔ではないか。
「最初からイベントにはふたりで行く予定だったんだ。だから気にしないでいい」
「そうなんです、北山さん。実家からパンダのイベントがあるって聞いて、そしたら拓翔がどうしても行きたいと言うので」
「ぱぱ、ぱんらしゃー」
ぷっくりと柔らかそうな頬を桃色にし、ビー玉のような瞳をキラキラとさせた拓翔君に、これは確かに連れて行ってあげたくなるわね、と思う。
「たまには男同士の時間も大事だよな、拓翔」
「な!」
顔を見合わせて同じ方向に首をかしげたふたりの仕草がまったく同じで、ほほえましさに頬が緩む。
「というわけで、男同士の時間を楽しんでくるな」
「お願いしますね、櫂人さん」
首席は部屋の隅にあったトートバッグを肩にかけると、拓翔君を抱いてあっという間に出かけて行ってしまった。
2
あなたにおすすめの小説
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。
2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
【完結】俺様御曹司の隠された溺愛野望 〜花嫁は蜜愛から逃れられない〜
椿かもめ
恋愛
「こはる、俺の妻になれ」その日、大女優を母に持つ2世女優の花宮こはるは自分の所属していた劇団の解散に絶望していた。そんなこはるに救いの手を差し伸べたのは年上の幼馴染で大企業の御曹司、月ノ島玲二だった。けれど代わりに妻になることを強要してきて──。花嫁となったこはるに対し、俺様な玲二は独占欲を露わにし始める。
【幼馴染の俺様御曹司×大物女優を母に持つ2世女優】
☆☆☆ベリーズカフェで日間4位いただきました☆☆☆
※ベリーズカフェでも掲載中
※推敲、校正前のものです。ご注意下さい
次期社長と訳アリ偽装恋愛
松本ユミ
恋愛
過去の恋愛から恋をすることに憶病になっていた河野梨音は、会社の次期社長である立花翔真が女性の告白を断っている場面に遭遇。
なりゆきで彼を助けることになり、お礼として食事に誘われた。
その時、お互いの恋愛について話しているうちに、梨音はトラウマになっている過去の出来事を翔真に打ち明けた。
話を聞いた翔真から恋のリハビリとして偽装恋愛を提案してきて、悩んだ末に受け入れた梨音。
偽恋人として一緒に過ごすうちに翔真の優しさに触れ、梨音の心にある想いが芽吹く。
だけど二人の関係は偽装恋愛でーーー。
*他サイト様でも公開中ですが、こちらは加筆修正版です。
性描写も予告なしに入りますので、苦手な人はご注意してください。
【完】花火の音が終わるまで抱き締めて(カットページのラブシーンも掲載済2023.4.23、詳細ページは内容欄に記載)
Bu-cha
恋愛
ベリーズカフェにて恋愛ランキング5位
大金持ちの息子で弁護士事務所の所長。
優しくて仕事も出来て顔まで良い。
でも女を見る目が全然ない。
それは過去の判例で証明されている。
そんな先生から頑張られてしまっている秘書の私は、
良い女ではないということになってしまう・・・。
関連物語
『幼馴染みの小太郎君が、今日も私の眼鏡を外す』
ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高8位
『タバコの煙を吸い込んで』
ベリーズカフェさんにて恋愛ランキング最高30位
エブリスタさんにて恋愛トレンドランキング最高5位
カットページ:9-7~9-9
カットページ:9-12
カットページ:12-11~12-16
私の物語は全てがシリーズになっておりますが、どれを先に読んでも楽しめるかと思います。
伏線のようなものを回収していく物語ばかりなので、途中まではよく分からない内容となっております。
物語が進むにつれてその意味が分かっていくかと思います。
冷酷総長は、彼女を手中に収めて溺愛の檻から逃さない
彩空百々花
恋愛
誰もが恐れ、羨み、その瞳に映ることだけを渇望するほどに高貴で気高い、今世紀最強の見目麗しき完璧な神様。
酔いしれるほどに麗しく美しい女たちの愛に溺れ続けていた神様は、ある日突然。
「今日からこの女がおれの最愛のひと、ね」
そんなことを、言い出した。
モース10
藤谷 郁
恋愛
慧一はモテるが、特定の女と長く続かない。
ある日、同じ会社に勤める地味な事務員三原峰子が、彼をネタに同人誌を作る『腐女子』だと知る。
慧一は興味津々で接近するが……
※表紙画像/【イラストAC】NORIMA様
※他サイトに投稿済み
憧れのあなたとの再会は私の運命を変えました~ハッピーウェディングは御曹司との偽装恋愛から始まる~
けいこ
恋愛
15歳のまだ子どもだった私を励まし続けてくれた家庭教師の「千隼先生」。
私は密かに先生に「憧れ」ていた。
でもこれは、恋心じゃなくただの「憧れ」。
そう思って生きてきたのに、10年の月日が過ぎ去って25歳になった私は、再び「千隼先生」に出会ってしまった。
久しぶりに会った先生は、男性なのにとんでもなく美しい顔立ちで、ありえない程の大人の魅力と色気をまとってた。
まるで人気モデルのような文句のつけようもないスタイルで、その姿は周りを魅了して止まない。
しかも、高級ホテルなどを世界展開する日本有数の大企業「晴月グループ」の御曹司だったなんて…
ウエディングプランナーとして働く私と、一緒に仕事をしている仲間達との関係、そして、家族の絆…
様々な人間関係の中で進んでいく新しい展開は、毎日何が起こってるのかわからないくらい目まぐるしくて。
『僕達の再会は…本当の奇跡だ。里桜ちゃんとの出会いを僕は大切にしたいと思ってる』
「憧れ」のままの存在だったはずの先生との再会。
気づけば「千隼先生」に偽装恋愛の相手を頼まれて…
ねえ、この出会いに何か意味はあるの?
本当に…「奇跡」なの?
それとも…
晴月グループ
LUNA BLUホテル東京ベイ 経営企画部長
晴月 千隼(はづき ちはや) 30歳
×
LUNA BLUホテル東京ベイ
ウエディングプランナー
優木 里桜(ゆうき りお) 25歳
うららかな春の到来と共に、今、2人の止まった時間がキラキラと鮮やかに動き出す。
清貧秘書はガラスの靴をぶん投げる
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「お前、頬を叩いた詫びに婚約者になれ」
上司で社長の彪夏と秘書の清子はお似合いのふたりだと社内でも評判。
御曹司でイケメンの彪夏は女子の憧れの的。
清子はどこぞのご令嬢と噂され、男女問わず視線を集めていた。
……しかし。
清子には誰もが知らない、秘密があったのです――。
それは。
大家族のド貧乏!
上は高校生、下は生まれたばかりの五人弟妹。
おっとりして頼りにならない義母。
そして父は常に行方不明。
そんな家族を支えるべく、奮闘している清子ですが。
とうとう、彪夏に貧乏がバレたまではよかったけれど。
子持ちと間違われてついひっぱたいてしまい、償いに婚約者のフリをする羽目に。
しかも貧乏バラすと言われたら断れない。
どうなる、清子!?
河守清子
かわもりさやこ 25歳
LCCチェリーエアライン 社長付秘書
清楚なお嬢様風な見た目
会社でもそんな感じで振る舞っている
努力家で頑張り屋
自分がしっかりしないといけないと常に気を張っている
甘えベタ
×
御子神彪夏
みこがみひゅうが 33歳
LCCチェリーエアライン 社長
日本二大航空会社桜花航空社長の息子
軽くパーマをかけた掻き上げビジネスショート
黒メタルツーポイント眼鏡
細身のイケメン
物腰が柔らかく好青年
実際は俺様
気に入った人間はとにかくかまい倒す
清子はいつまで、貧乏を隠し通せるのか!?
※河守家※
父 祥平 放浪の画家。ほぼ家にいない
母 真由 のんびり屋
長男 健太(高一・16歳)服作りが趣味
次男 巧(高一・15歳)弁護士になるのが目標
三男 真(小五・10歳)サッカー少年
四男 望(保育園年中・5歳)飛行機大好き
次女 美妃(保育園児・五ヶ月)未知数
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる