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狭山事件

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  無惨な死体となって発見された中田善枝さん(16)


 狭山事件は戦後間もない1963年5月1日に埼玉県狭山市で高校一年生の少女が行方不明となり翌日強姦され死体となって発見された事件である。
 この事件は1977年8月9日に最高裁の上告棄却によって結審し犯人とされた石川一雄はすでに出所しているのだが、あえて未解決事件とさせてもらうのは管理人がこの事件を冤罪と考えていることもあるが、事件の背後にかかわる闇の部分に非常に謎が多いからだ。
 さらに近年ではとなりのトトロがこの狭山事件をモチーフとしているという都市伝説が広がり、(これは完全に都市伝説なのだが)注目を集めていることも興味深い。




 1963年5月1日は中田善枝さんの16歳の誕生日だった。多くの土地を持ち、狭山市内では富裕な農家として知られている中田家では赤飯を炊き娘の帰りを待っていた。
 学校の友人たちの証言では善枝さんは15時30分には学校から帰宅したそうだが、夕方の18時を過ぎても善枝さんが帰宅する気配はなかった。
 心配になった長男が学校に出向いたが、すでに生徒は全員下校しているという話で善枝さんの姿はなかった。
 のちの調査で判明しているところでは下校途中のガード下でだれかと待ち合わせている善枝さんが目撃されているが、それが最後の善枝さん目撃情報となった。
 もしかしたら行き違いになったかもしれない、と長男は望みを託して自宅に戻ったが善枝さんの姿は見当たらず、帰宅した19時30分から19時40分にかけて家族で相談が行われた。
 そんな状況で長男の健治氏が玄関のガラス戸に白い封筒が挟まれていることに気づいた。
 帰宅した19時30分にはそんなものはなかったのでわずか10分の間に誰かが差していったものと思われる。

 手に取ってみるとその封筒には「少時様 中田江さく」と書かれていた。おそらく江さくは中田家の家長である中田栄作氏のことであると思われた。
 封筒内には善枝さんの生徒手帳が同封されており次のような文が書かれていた。
 
 


少時様 = 宛名らしいが「しょうじ」が誰を指しているのか不明。この紙に包んでこい。

子供の命が欲しかったら5月2日の夜12時に、(4月29日に取り消し線で、その下に五月2日)

金20万円持って佐野屋の門のところにいろ。
「前」の文字が取り消し線で、その下に「さのヤ」。
さのヤ = この地域にある佐野屋酒店を指す。

友達が車で行くから、その人に渡せ。

時間が一分でも遅れたら子供の命はないと思え。

警察に話したら小供( = 子供)は死。

もし車で行った友達が時間通り無事に帰ってこなかったら

子供は西武園の池の中に死んでいるから、そこへ行ってみろ。

もし車で行った友達が時間通り無事に帰ってきたら

子供は1時間後に車で無事に届ける。

繰り返す。警察に話すな。近所の人にも話すな。

子供、死んでしまう。

もし金を取りに行って、違う人がいたらそのまま帰ってきて、子供は殺してやる。



 この特徴的な誤字や筆跡はのちに犯人石川一雄の立件に大きな役割を果たすことになる。
 脅迫状と判断した栄作氏は15分後の19時45分には警察に通報した。
 またこのとき善枝さんの自転車が敷地内のいつもの場所に止められていた。どうやら封筒を届けるついでにもってきたらしいが、善枝さんのいつもの場所を知っていたところからみると犯人は中田家の事情に詳しい可能性が大きかった。



 脅迫状によれば5月2日午前12時にに佐野屋酒店に友達が金をとりに行くからその男に金を渡せ。女が金を持ってこいとなっている。
 金をもっていく役目は二女の登美恵さんが引きうけた。
 被害者の善枝さんの家庭は母親がすでに死亡しており、父のほか男兄弟が三人、女姉妹が五人で善枝さんは四女だった。しかし長女は嫁にいって絶縁状態にあり三女は幼くして死亡している。
 そして指定された5月2日の11時50分ころ、登美恵さんは佐野屋酒店の前に立った。手には警察が用意した偽造紙幣10万円分が握られていた。
 周囲は40人もの警官が動員され犯人の到着を今や遅しと待ち構えていた。

 「おい!来てんのか!」

 闇の中から一人の男の声が響いた。
 男のいる位置は佐野屋酒店から30mほど離れた畑の中で張り込んでいた警察官の間に緊張が走る。

 「はい!来てます!」

 と登美恵さんが返事をすると

 「警察に話したんだべ!そこに二人いるでねか!」

 「一人で来てますからこっちに来てください」

 警官の気配に気づいたのか男はくるりと背を向けると一目散に逃げ出した。

 「逃がすな!」

 警官たちが懸命に追うが、たまたま犯人のいる方向の警官が年配であり、また犯人は若いのか非常に逃げ足が速かった。
 結局この日警察は犯人を取り逃がしてしまうのである。
 40人もの動員をかけながら現場に来た犯人を取り逃がしたというのは埼玉県警の大失態であり、連日報道で警察は批判にさらされることになる。
 何が何でも犯人を逮捕しなくてはならない。受けた屈辱を晴らすという執念に燃えた埼玉県警のプレッシャーが捜査本部のその後の強引な捜査に結び付いていくことになったと思われる。

 翌日の5月3日、警察犬を動員して犯人の後を追わせるも、犬たちは途中にある小さな川で匂いを見失ってしまった。
 地面に残る匂いを追跡する警察犬をかく乱するために水流のある川を使うのは常套手段だが、それを知るにはある程度の知識が必要である。
 ちょうど匂いを見失った地点のそばには石田養豚場があり、警察はこの石田養豚場に犯人がいるのではないかと考えるようになっていく。

 翌日5月4日、ついに善枝さんの遺体が発見された。
 彼女の遺体は雑木林に通じる農道に埋められており、穴の深さは約1mほどで善枝さんは手ぬぐいで両手を後ろ手に縛られ、目を手ぬぐいで目隠しをされていた。
 スカートはめくられて下着は膝までおろされており、性器には強姦の痕跡があった。付着していた精液から犯人の血液型はB型であることが判明した。
 後の解剖で善枝さんは処女ではなかったことが判明しており、彼女の品行がのちに大きな疑惑を生むことになる。
 また抵抗した時に出来たと思われる傷はなく、ほとんど無抵抗で絞殺されたものと思われた。
 死因は首を絞められたことによる窒息死で首に指のあとがないことから現場にはないが何かひものようなもので絞殺されたと推測された。

 5月11日には、遺体発見現場から124メートルほど離れたところにスコップが落ちているのを農作業している人が見つけ、事件との関わりを考えて一応警察に知らせた。
 調べてみると、これは石田養豚場から盗まれていたスコップであり、付着していた土を遺体発見現場の土と照合してみるとぴたりと合い、遺体を埋める際に使われたスコップだということが判明した。
 石田養豚場の経営者やその家族は被差別部落の出身であり、警察は、事件の当初からこの養豚場に出入りする部落出身者を最も疑わしいと考えて捜査を進めていた。
 この事件は、部落出身者を集中的に疑うという捜査が行われており後に部落差別問題として世間から非難を浴びることとなった事件でもある。
 部落差別というのはもともとは江戸時代のエタ・ヒニンのような賎民に対するものであったが、実はそれほど単純な問題ではない。
 こうした差別は身分平等を謡う共産主義と親和性が高く、左翼運動の原動力ともなっていた。
 のちに連合赤軍によりあさま山荘事件などが発生するが要するに左翼運動と警察は犬猿の仲であり、左翼運動の一翼を担っていた部落運動も警察は敵視していた時代であったのである。
 

 事件から約三週間後の5月23日けんかと窃盗の罪で一人の男が逮捕される。
 男の名は石川一雄(24)で被差別部落に住んでいる青年であった。血液型もB型で事件の三カ月前まえまで石川養豚場に勤めていた。
 警察の捜索する犯人像にもっとも合致した男であり、逮捕されてからはもっぱら善枝さんとの関係について問いただされている。典型的な別件逮捕である。
 逮捕当日には十数人という大規模な家宅捜索が行われ、天井をはがし庭を掘り返すほどの大捜索になったが事件に結び付く手掛かりは得られなかった。
 石川も善枝さんの誘拐に関しては頑として犯行を否認していた。
 6月17日、拘留期限が切れたため石川容疑者は釈放されるが同時に殺人容疑で再逮捕、再び家宅捜索が行われるも決め手となる証拠は何一つ出てこなかった。
 一方、連日の拷問のような取り調べに疲弊した石川容疑者は「今認めれば10年で出してやる」という刑事の言葉に犯行を認める供述を始める。

 このあたりから事件は非常に異臭が漂い始める。
 石川容疑者が善枝さんのカバンを捨てた地図を描いたところ、その場所からカバンが発見された。まだ善枝さんの万年筆を盗み自宅の鴨居に隠したという供述に基づき捜査したところ実際に万年筆が発見された。
 通常であればこれで一件落着であるがそうはいかない。
 後日石川容疑者の地図は警察官が二枚紙を重ねておき、石川容疑者は下の紙の線をなぞっただけであることが判明している。
 しかも発見されたカバンは革製だが、善枝さんのカバンは革製ではなく善枝さんのカバンではないことが明らかとなった。
 また発見された万年筆だが数度にわたり大捜索をしたにもかかわらず見つからなかった証拠品が突然見つかっただけでも不自然である。
 さらに見つかった万年筆はブルーブラックの新品で使用した形跡がなかった。善枝さんの万年筆はライトブルーであり、これも善枝さんの持ち物ではなかった。
 何者かが、というよりは警察が意図的においたものであることは明らかだった。
 また発見された腕時計も発見されたのはシチズン・ベッドであるが善枝さんの腕時計はシチズン・コニーであり同じく証拠とはなりえなかった。
 もっとも犯人を特定するのに重要であった証拠はすべて意味がなかったのである。
 警察は筆跡鑑定の結果脅迫状が石川容疑者の手によるものだという鑑定を裁判所に提出しているが、実は学習院大学や京都市教育委員会では別人という鑑定を提出しており、都合のよい鑑定結果だけを選定して
提出していた。
 犯人逮捕の興奮は冷め、警察のずさんな捜査に疑問の声が上がり始めた。

 それを追うように、不審な死が周囲に起き始める。
 
 一人目 5月6日運送会社勤務の奥富玄二(31)が農薬を飲み井戸に飛び込んで自殺した。しかし彼は新居を新築し翌日は結婚式という幸せの絶頂にいたはずであり自殺した理由は見当もつかなかった。
      また彼は中田家に住み込みで働いていた時期があり善枝さんとも顔見知りであった。脅迫状の筆跡とよく似た字を書いていたとも言われる。

 二人目 不審な三人組を見たと警察に通報した田中登(31)が包丁で胸を刺して自殺した。警察に犯人扱いされたとノイローゼ状態になっていたのが原因と言われる。

 三人目 事件の翌年の7月、今度は被害者の姉であり、身代金の受け渡しを請け負った登美恵さんが農薬を飲んで自殺する。石川被告の死刑判決を受け精神状態が不安定になったとみる向きもある。

 四人目 昭和41年10月24日、事件から3年4ケ月経過していたこの日、石川養豚場の経営者石川一義の兄登利造が西部入曽駅付近の線路上で轢死体となって発見される。警察は自殺として処理した。

 五人目 昭和52年10月4日、中田家の次男中田嘉代治が首を吊って自殺した。経営する中華料理家の販売不振のせいとされるが不動産もあり、また実家の中田家が資産家であることからこの死にも不審の目が向けられることになった。

 六人目 昭和52年12月19日、狭山事件について調査を行っていたジャーナリスト片桐軍三が東京都豊島区の路地で何者かに襲われ暴行のすえ2日後に死亡した。この事件の犯人はわからぬまま迷宮入りとなった。

 それ以外にも不審死ではないが佐野酒店で犯人の声を聞いたとされる元PTA会長増田秀雄氏も事件後脳溢血で急死している。


 この不審死を見ると「俺はもう生きてられないんだ!」と叫んで井戸に飛び込んだ奥富玄二氏も怪しく思えるし、1990年に出版された「犯人 狭山事件より」では犯人は次男であり真犯人が次男であることを二女の登美恵
さんは知っていたのではないか?だからこそ石川容疑者の死刑判決にショックを受けて自殺したのではないかと主張している。
 少なくともこの著書を読む限りその意見には賛同してしまいたくなるのだが、この狭山事件の闇は管理人が考えている以上に深かった。
 石川容疑者のブレーンとなった萩原祐介氏は誤認逮捕について県警本部長を告発しているが、そのなかで被害者の母ミツは非常に性に奔放な女性で脳溢血により死亡したとされているが事実は毒殺であった可能性がある。そして善枝さんも母に似て性に奔放で複数の男性と交際していた。現場に残された暴行の痕跡は強姦ではなく和姦ののち殺害されたものである、と主張したのである。
 実際に日本の農村は現代では考えられないほど性に大らかというかなんでもありだった。
 女性の初潮に赤飯を炊くのは、今日から夜這いOKのサインであったという学説もあるほどである。
 近親相姦も当たり前にあり、こうしたあいまいな性のもつれが津山三十人殺しのような事件を生んだことや、略奪婚の風習があった南九州の青年が一目ぼれした女性をレイプしたうえ誘拐してきたところ両親はようやく嫁がやってきたとごちそうを用意して喜んだという事件が当時の実情をあらわしていると言えるだろう。
 善枝さんが処女ではなかった事実もこの説を後押ししている。
 この説の派生型では、善枝さんが母ミツと部落民との不倫の子であり、水利事業などの利権に絡み栄作氏と対立していた元区長や市会議員が善枝さんの出自を暴露するぞと脅していたところ栄作氏の反応がないため誘拐に踏み切ったとする説もある。
 栄作氏が数々の利権問題で対立を抱えていたのは事実であるし、事件直後から栄作氏が「どうせもう殺されている」「犯人は知っている人間に決まっている」「犯人のほうでも私の顔を見れないだろうし私も見たくない」
などと発言していることからも、氏が犯人を利権に絡む人間の犯行と判断していた蓋然性は高いのである。
 実際に捜査にあたった捜査官の証言からも、この利権問題に関する情報はほとんどの住民に沈黙され協力を得ることができなかったという。
 当時の村社会では地域ぐるみで真実を隠蔽する事例は全国でも数多かったようだ。

 また母のミツさんは嫁入り当時から問題のあった女性らしく、結婚式当日中田家の庭に墓石や卒塔婆が投げ入れられる事件があったという。
 交際のあった男性複数の犯行と思われるが墓石を投入するというとその労力の大きさと怨念の深さに慄然とせざるをえない。
 実はこのミツさんの死亡も疑わしいのだ。
 中田ミツさんは昭和12月30日午前10時30分国立療養所精神科で脳腫瘍のため死亡したとされているが、脳腫瘍とは何の関係もない精神病院になぜ入院しなくてはならなかったのか。
 そして川越や所沢などいくらでも近所に病院があったのに、わざわざ人目を避けるように遠く離れた病院にいかなくてはならなかったのか。
 住民の証言では入院の前日までミツさんは元気に畑仕事をしていたという。
 そのほかにも急死したPTA会長の息子のMくんと善枝さんは交際していたらしく、日記にはMくんへの思いが赤裸々に綴られていたり、ゴールデウィークにはまとまった金を使う予定で(高校生にしてはだが)善枝さんが
預金を引き出していたことも判明している。
 謎が謎を呼びいったいどれが真実でどこからが虚偽なのか判然としない。
 知れば知るほど謎が深まるというのがこの狭山事件の感想である。
 後日元捜査官の一人は、「強姦事件ではたいていの場合、太ももの内側に内出血のあとが残る。狭山のあれは和姦の可能性が高い」と証言していることを考えても、刑期を終了して出所した石川一雄氏が無罪であった
ことだけは少なくとも確実なのではないか。管理人はそのように考えている。
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