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勝田清孝事件

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夫婦でクイズ番組に出演する勝田




 日本の大量殺人犯でもっとも有名なのは都井睦夫であろう。戦後の大量殺人犯としては大久保清などが知名度が高いだろうか。
 しかし全く罪悪感をもたず、ごくあたりまえのように人を殺すという危険性において、勝田清孝を超える殺人犯はなかなかいないと思われる。
 自供した殺人実に22件、このうち立件されたのはわずか8件に過ぎず、残りの14件は立件が難しいうえ勝田の裁判が長期化するとして放置された。
 8件でも十分に死刑になるとはいえ、自分の家族を殺され犯人を不明のままにされる家族のほうはたまったものであるまい。


 勝田清孝は1948年8月29日、京都府相楽郡木津町に農家の長男として誕生した。
 学生時代から素行は悪かったらしく、高校時代に女性のカバンをひったくったところを現行犯逮捕され、家宅捜索を受けたところハンドバッグが天井裏から10数点発見された。
 こうして少年院に入った勝田は昭和41年に出所するが、少年院あがりという評判もあってほとんどの職が長続きせず転々としていた。
 昭和42年には結婚も考え付き合っていた女性がいたが、少年院あがりとは結婚させられないと猛反対に会い、そのまま駆け落ち同前に大阪に引っ越して同棲を始め、昭和45年結婚、まもなく子供も生まれ当時勝田は運送業者で働き、勤務態度はまじめであったと言われる。
 このままいけば平凡で幸せな家庭であったろうが、生来の浪費癖や虚栄癖のため、勝田は高級車を2台も所有し、アマチュア無線に凝るや、200万円をかけて無線局を開設するなど湯水のように金を使った。
 たちまち借金は膨れ上がり、到底給料からの支払いだけでは追いつかなくなると勝田は空き巣で稼いだ金で補てんをすることを思いつく。
 そのころからかなりの頻度で犯行を重ねていた勝田だが、彼に人生の転機が訪れた。
 昭和47年、父の勧めで消防士の試験を受けた勝田はこれに見事合格。
 地元相楽中部消防組合に採用されることとなったのである。
 だが、消防士になって劇的に給料があがったわけではない。補てんのためには空き巣が不可欠で、その後も勝田は頻繁に空き巣を繰り返していた。
 そして昭和47年9月13日、京都府山科区で若いホステスの部屋の空き巣に入った勝田は、偶然帰宅したホステスと鉢合わせしてしまい、女性をレイプしたうえ殺害した。
 これが初めての殺人であったが、勝田は罪悪感にとらわれるようなこともなく、長距離ドライバーのアルバイトを始めると県外に出張して空き巣を続けた。
 3年後の昭和50年7月6日、大阪府吹田市で空き巣に入る建物を物色していた勝田のすぐそばに、クラブを経営する女性が偶然車を降りてきた。
 すぐさまハンドバッグを奪おうとした勝田だが、抵抗されたためにロープで首を絞めて殺害、女性の死体は農業用の池に無造作に捨てられた。
 翌年の昭和51年名古屋を走っていた際、ホステスの運転する外車に目を付けた勝田はそのまま後をつけ、再びバッグを奪おうとして失敗。
 絞殺してそのまま自分の車に乗せ、人目のつかない田んぼに捨てた。その際むき出しの下半身にススキの穂を刺しこんでいたという。
 さらに翌年の昭和52年6月30日、名古屋市南区で空き巣に入る家を物色していたところたまたま一人の女性が外出するのを発見した。
 麻雀店に勤めるこの女性は運悪く時間を置かずに帰宅し、勝田と鉢合わせしてしまう。大声をあげられたために咄嗟に部屋にあったヒモ状のもので女性を絞殺。
 昭和52年8月12日にはマンションで下見をしていたところを不審に思った美容師の女性に疑われ、咄嗟に襲いかかって絞殺しダイヤの指輪を奪って逃走した。
 とにかくいきあたりばったりで、一度見つかるや容赦なく相手を殺すという残虐性が勝田の犯行の特徴だった。
 ほとんど無計画でろくなアリバイ工作もしていない勝田だが、警察が容疑者として勝田を特定することはなかった。
 殺された女性のほとんどがわけありのホステスなどで、不倫をしていたり、複数の男性と交際していたからである。
 なかには婿養子としてとある会社の役員となったいた男性が、浮気がばれたために離婚され会社からも放逐されるという自業自得というには哀れな事例もあったという。
 また、長距離トラックのアルバイトで地元から離れた現場で犯行に及んでいることも大きかった。
 そしてこの時期、勝田は朝日放送の「夫婦でドンピシャ」という番組に出演している。
 妻の体重分だけ買い物ができてその的中率を競う番組で夫妻は賞金8万円と商品券10万円を手にして非常に円満な夫婦ぶりをみせつけた。
 さらに勝田は職場でも高く評価されており、救難救助訓練では20回以上も表彰され、全国大会にも2度出場するほどであった。
 
 昭和52年11月20日、勝田は奈良県天理市の銃砲店に駐車していた車から散弾銃を盗むことに成功した。
 これまでは身体の弱い女性がターゲットであったが、銃の入手とともに、勝田のターゲットは大金をもつ男性へと変わっていく。
 昭和52年12月13日、兵庫県神戸市のビルで兵庫労働金庫の職員を狙い散弾銃を発射して現金410万円入りのカバンを強奪、職員は全身に30発以上の散弾を受けて収容先の病院で死亡した。
 散弾の尽きた勝田は再び猟銃愛好家の家から散弾を盗み出すと、昭和55年7月31日名古屋市名東区のスーパーの強盗に入る。
 閉店後店の売上金をもって出てきた店長から現金576万円を強奪、店長に運転をさせて現場を離れたあと、散弾で店長の胸を撃って射殺。
 それから3ケ月後の昭和55年11月8日、勝田は車上荒らしの現行犯で逮捕された。
 たまたま銃を持っていなかった勝田は執行猶予3年の判決を受けて、そのまま社会に復帰する。
 このとき綿密な家宅捜索や、金の出所を探っておけばと思うが、京都府警は勝田をごく普通の窃盗犯として処理した。
 刑務所に入らなかったとはいえ消防士を首になった勝田は京都府城陽市に妻と子とともに引っ越し、運送会社に再就職を果たす。
 それでも勝田は懲りなかった。
 逮捕されても過去の犯行がばれなかったことで気が大きくなったのか、今度は警官から拳銃を奪うことを計画する。
 「盗難車のような不審な車がある」と自ら通報した勝田は、あろうことかその車で現場に駆けつけた警官を轢き、鉄棒で数度頭部を殴るなどして拳銃を奪うことに成功する。
 4日後には早速この拳銃を使って強盗に押し入るが、ちょっと目を離した隙に店員の一人に逃げられてしまい、通報を恐れた勝田は何も盗らずに逃走した。
 もしもその一人が逃げ出さなければ、おそらく3人の店員はみんな殺されていたことだろう。
 ところがここで諦めないのが勝田の太いところである。
 同じ日の20自ごろ、大津サービスエリアで溶接工の男性に近づき、拳銃を突きつけて車を出せ、と要求。その後急停止してもみ合いとなった男性を射殺した。さらに血のついた手袋などを処分しようと養老サービスエリアで降りた勝田は、たまたまガソリンスタンドの店員が自分を見ていたことに気づき、店員に向かって発砲。店員は幸いにして命を取り留めた。
 警察の拳銃で殺人事件が起こった以上、警察の面子にかけても犯人を逮捕しなければならない。
 警視庁は一連の事件を「広域重要113号事件」として大々的な捜査を開始した。
 そんな状況にもかかわらず、勝田は1ケ月後の11月28日、京都府山科区のスーパーに押し入り現金152万円を強奪している。
 最初の殺人から10年以上、勝田の命運の尽きる日がやってきた。
 昭和58年1月31日、名古屋市昭和区の第一勧業銀行で従業員の給料102万円を下しに来た会社社長が社用車に乗り込もうとすると、突然助手席に勝田が押し入り拳銃を突きつけた。
 ところが時間稼ぎをしているうちに駐車場に新たな客が入ってきて、勝田の注意がそれた瞬間を見計らって社長は反撃、うっかり銃を落としてしまった勝田は逃げようとするもその場で取り押さえられてしまう。
 前代未聞の大量殺人犯にしてはしまらない最後であった。
 その後の自白によって迷宮入りしていた数々の殺人事件の全容が明かされるも、すでに証拠が散逸していることもあって立件されたのは8件のみにとどまった。
 勝田の自供では22名を殺害した、とあるが、死体が発見されなかった例も多く、そのまま迷宮入りとされた残る14件の遺族の方々には言葉もない。
 勝田の犯行は短絡的でいつ犯行が判明してもおかしくはなかった。
 たまたま運がよく犯行がばれなかったために犠牲が多くなったという点ではアンドレイ・チカチーロと類似するものがあると思う。
 勝田は浪費癖のあるただの小悪党であり、タイミングさえ合えば最初の殺人で逮捕されてしまったもおかしくなかった程度の存在だった。。
 だが、短絡的で衝動的に相手を殺すという点において、勝田は綿密な計画を立て殺人を遂行するプロよりも人間的に遥かに恐ろしい存在であったように思う。

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