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第八章 宇宙でひとつの、ラブ・ソング ~彼方~
第八章 宇宙でひとつの、ラブ・ソング ~彼方~ ②
しおりを挟むいつも通りの大声で。耳の奥がびりびりと痛む。無視しようにも、クラスメイトの目もあってなかなか無視しづらい。僕は一緒に帰るはずだった三原と佐竹の二人に断って、重苦しい足取りで進藤の後に続いた。呼び出しなんて、春、新学期が始まって以来だった。進路指導室に入ると、進藤は僕の肩をバンバンと強く叩き始めた。
「な、なんですか!? 痛いんですけど……」
「よかったな、お前!」
「はぁ?」
「一時はどうなるかと思ったけど……野々口みたいなやつでも、友達作ることができるんだな!」
随分上から目線な物言いだと思って、少しムカッとする。言い返そうと思ったその時、進藤の目の端から涙が伝うのが見えた。
「本当に、本当に良かった」
「……」
この人は、僕の事情を知っているわけではない。憎たらしく見える生徒の一人だったはずだ。それなのに、この人は僕の今の様子を見て……泣くほど喜んでいるのだ。
「別に、そんなに喜ばれることはしてないですけど……」
「俺は、お前がそうやって友達に囲まれているところを見てみたかっただけだ。それに、勉強にもついに精を出し始めて……」
進藤は椅子に座って、僕にも座るように促した。僕が大人しく座ると、進藤は身を乗り出してきた。
「それで、どこに行くんだ?」
「へ?」
「大学だよ、大学! 今のお前ならよりどりみどりじゃないか?」
「あ、ああ……どこにも行くつもりはないです」
「……はぁあ?!」
進藤は素っ頓狂な声をあげる。きっと、いい大学に行ってくれることを期待していたのだろう。
「僕は、僕の好きな場所へ行きます。申し訳ないですが、大学には行きません」
「す、す、好きな場所ってどこだよ!」
僕は立ち上がって、小さく笑みを浮かべる。そして、ひとさし指をまっすぐ上に突き立てた。
「宇宙、です」
いつか僕の分身が宇宙に行く。進藤は顎が外れるんじゃないかと思うくらい、口を大きく開けている。それを尻目に、僕は指導室を後にしていた。
しかし……アメリカに戻るよりも先に、しておかねばならないことがあった。
「……今日もなし、か」
僕はそれから、数日おきに【子ども図書館】に向かうようになった。もちろん、あの文字の主に出会うためだ。しかし、タイミングが悪いせいか……一度も出会うことはなかった。すれ違っているのか、もうここに来ることはないのか。
一度だけ、このノートを使って待ち合わせをしてみようかと考えたことがある。日時を書き込めば来てくれるのではないか、と。しかし、書き込もうとした瞬間に僕の手がピタッと止まった。もし『気持ち悪い』とか『気味が悪い』とか『ストーカーみたい』なんて思われたら、どうしよう? もしそんな風に思われたら、会話だって弾むはずがない。僕はただ、相手に感謝を伝えたいだけなのに。不安が僕の胸に渦巻き、何か効果的な手段を考えることもできないまま……ただ日々だけが過ぎていった。もちろん、その間に一言ノートに触れる人は小さな子どもしかいなかった。
「最近、よく来るわね」
最近は閉館時間ギリギリまでこの図書館で過ごす日も増えた。肩を落としながら本を読んでいると、いつもの若い司書が話しかけてきた。ふと、彼女に聞けば何かヒントを得られるかもしれないと思いつくが、不審がられるだけだとすぐに考え付いて、曖昧な返事だけを返した。
「お友達、連れてきてくれないの?」
「え?」
「今度連れてくるってお話していたじゃない?」
「あ、あー……」
僕はその会話を思い出す。最近、二人とも勉強で忙しそうだ。今度三原の妹の高校でやるという学校祭の日まで集中して勉強をするらしい……すでに進路が決まっている僕は蚊帳の外という訳だ。
「忙しいみたいで」
「あら、そう。……ねえ、ちょっとお願いがあるんだけど、いい?」
「え?」
思いがけない申し出に戸惑ってしまう。考えあぐねていると、司書は言葉を続けた。
「もうそろそろ閉館時間で人がいない今しかできないんだけど……私のピアノのレッスンに付き合ってほしいの?」
「はぁ……」
「聞くだけでいいから! 明日レッスンの日なのに、全然練習できてなくって……このままじゃ先生に怒られちゃうのよ~。お願い、本当に聞くだけでいいの。あ、あと、変なところがあったら教えてくれると助かる!」
聞くだけじゃないのか……と思ってしまうが、憂鬱になっていた今、いい気分転換が出来そうだ。僕が頷くと、司書は意気揚々と真っ黒なピアノに向かっていった。隠し持っていた楽譜を譜面台において、椅子を少し調整した。表紙に描かれているのはクマやウサギや女の子……何だか子ども向けのような感じだ。椅子の調整に少し手こずっていたようだが、それもじきに終わる。
「いつも同じ子ばっかり弾いてるの、このピアノ。私はあんまり弾く機会がなくって、ここのを弾くのは一か月ぶりくらい?」
「……そうなんですね」
「とっても上手な子よ、いつかプロになれるんじゃないかってみんなで言ってる。今度来たとき、弾いてもらうといいわ」
そう言って、司書は鍵盤にそっと手を乗せた。大事な物を包み込む様に、そっと。
演奏は……それはひどいものだった。とにかく、リズム感が悪い。初めからリズムがくるっているので、最後の方は帳尻合わせるので必死になり、ミスも増える。ここまで音楽の才がない人は珍しいくらい。
「ど、どうだった……?」
自信がないのは本人にも分かっているようで、恐る恐る背後にいる僕を振り返って見た。僕は言葉を選ぼうとするが……やめた。彼女のためにはならなそうだ。
「……ひどかった?」
「まあ……リズム感が、かなり」
「やっぱり~! 慣れてくると弾けるけど、弾きなれてない曲はいっつも最初はこうなのよね……ちゃんと弾けるようになるまでに何か月もかかっちゃうの。子ども用の教本なのに、終わるころにはおばあちゃんになっちゃうわ」
司書は大げさに肩を落とした。働いていると練習する時間も満足に取れないのかもしれない。
「リズム感を鍛える練習をするとか……弾く前に、同じ曲聞いてみるとかしてみたらどうですか?」
「聞く?」
「はい。同じ曲を聞いて、弾いてるのをイメージするんです。イメトレって言うのかな」
「なるほどね~。先生に音源ないか聞いてみるわ。君、音楽はやってるの?」
「いや、学校の授業で受けるだけです」
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