5 / 27
-5-『加速していく過ち』
しおりを挟むネムエルの愛くるしい容貌は、眺めていてまったく飽きない。
まつ毛は驚くほど長く、鼻筋はスッと通り、色鮮やかな唇はバラの花を思わせるほど可憐だ。陶器で造られた人形と例えても、まだ足りないほどに身体付きも完成されている。
目の前の美姫に触れたいという欲求が、視界を狭めていく。
壮一は自らの喉に手をやった。
舌の根が痛いほど渇いている。
浅ましい欲望の業火が、胸の中で燃え盛っていた。
呼吸には熱がこもり、息苦しささえ覚える。
突っ立ちながら、壮一は苦しまぎれの言い訳を口にした。
「……マッサージだ。
それぐらいなら、許されるはずだ。
俺は昔からマッサージが得意だし、
この子は今の俺の主人なんだから……奉仕するだけなんだ」
当人に許可を得ず、マッサージなどしていいはずがなかった。
許されないことだ。
悪事だとわかっている。
あやまちだと理解している。
それなのに――自分自身がまるで制御できなかった。
弱々しく意思が決定されると、生地の厚い上品なスカートに目が吸い寄せられた。
女の尻回りの盛り上がりが、どうしようもなく劣情を煽ってくる。
ごくりっと生唾を飲んだ。
布製品になってからというもの、抱きしめられる日常を過ごしていた。
だが、自分から触れにいったことはない。
(お、起きたら……すぐやめよう……うん……)
おびえる心をなだめながら、スカートの裾を数センチほどまくった。秘密の宝箱を開くような楽しい気分になる。純白のソックスの上にある素足が見えてきた。そこには無用な体毛などなく、線の細い脚線美しかない。
適度に脂肪の乗ったふくらはぎに指先を置いた。
すべすべとして、ぷるりとした白肌が脳髄をしびれさせる。
(……うっ、やわらけえ)
ネムエルのことは、ひとつの神聖な美術品のように思っていた。
けれど、肌に触れてしまうと印象はがらりと変わった。決して作り物ではなく、血の通った女体だということが、否応なく実感できてしまうのだ。
壮一は勢力を増していく煩悩の波に押し流されながらも、妙な義務感も手伝って、ふくらはぎ周辺にあるツボを指圧していった。マッサージという言い訳のためだ。
刺激を与えるので、起きることへの警戒心もあった。
なので、あくまで手先は優しく。
しかし、順調に上を目指して向かっていく。
丸い膝頭を越えて、ベールに包まれたスカートの奥の方へと。
「んっ」
微かに聞こえたうめき声。ドキリした。
ふともも付近に手を入れていた壮一は、石像のように身を固くした。
力加減を間違えたかと思い、ネムエルの顔色を窺いながら慎重に手を引き抜いた。一歩だけ距離を取る。
罪悪感が異常な緊張を生んでいる。
壮一は顏から血の気を失った。唇が急速に渇いていく。両脚が微かに震える。
「起きたのか……?」
安堵と失望が心の中で入り乱れた。
重大な過ちを犯さずに済んだという安堵。
機会を失って残念だという失望。
ネムエルが起きてしまったのなら、早急にこの擬態を解き、マクラに戻らなければならないのだが。
(まだ……起きないか?
俺のスキル、思ったよりも強いのか。
続ける……続けられるのか?)
じっくり、静寂を待った。
五分後に再び、動いた。
ネムエルの下半身に手を伸ばす。
息を殺しながら、下肢の筋肉をほぐしていく。疲れたと主張するだけあって、ふとももはやや張っていた。筋線維が固くなっているのがいい証拠だ。
「はうぅ」
快楽がまぶされた美声が、小さな喉から漏れた。
ネムエルの眉は中央で寄っていた。長く整ったまつ毛がぴくぴくと反応している。
何かに耐えている形相をしながら、か細い指でシーツを握り締めていた。
好反応に調子に乗った壮一は、両肩や背中も指圧しようと考えた。
ネムエルの身体をくまなく触れたい気持ちになっていたからだ。
眠るネムエルの後方に回り込む。
背中に手を差し込み、小柄な上体を起こしにかかるすると、ネムエルの頭がこてんっと後ろに落ちてきた。慌てて胸板で支える。
(……髪の匂いが、
熟れたユリの花みたいに甘い……)
ふわりと漂う匂いが鼻腔を貫き、脳天を溶けさせる。
よりかかってくる小さな頭の重えさえも、たまらなく心地良かった。長い金髪は艶やかで細く、さらさらとして癖もない。
(俺のモノにできれば……どんなにいいか)
無性に抱きしめたい衝動が襲ってきた。
吐息が乱れた。血管のリズムが激しくなっていた。情欲の火に思考が焼かれる。両腕で包んでしまえば簡単に収まる少女の身体以外、何も見えなくなった。
もう、歯止めなど利かない。
両手で力いっぱいネムエルを抱きしめようとした――が。
ゴォーンゴォーン……
時計塔の釣鐘の音が場に響いた。
壮一は目を大きく開け、我に返った。触れようとした両腕はネムエルから数センチのところで制止している。
窓辺の方を見ると、いつの間にか辺りは真っ暗になっていた。
今のは恐らく、晩飯の時間を告げる鐘だ。
「……ネムエル?」
小声でささやいた。
横顔をこっそり覗き見る。まぶたは閉じられたままだ。
いっそ、彼女が起きてしまって。何もかも話せればどんなに楽か――だめだ。十中八九、気味悪がられて距離を取られるだろう。寝込みを襲おうとした自分には、ふさわしい末路なのかもしれないが。
「ボガートが呼びにくるな……
とりあえず、離れないとな」
名残惜しさを感じながらも、壮一はネムエルを横たわらせ、ベッドから離れた。
壁際によろよろと歩き、額を壁にくっつけた。
男として卑怯なことした。
ネムエルは無自覚だろうが、癒しと安らぎをくれた。大切にしたいと思うのに、どうして傷つけてしまいたいと願うのか。
そうして、数分ほど経過したくらいか。
真横にある鏡台に自らの姿が映っていることに気付いた。
「これが、人間モードの俺か」
以前とは顔が少し違ったが、どこにでもいる若い青年だった。
不細工ではないが、絶世の美男子というわけでもなかった。
本体もマクラだ。
これでは、眠る姫と釣り合うはずがない。
「そうだな……とりあえず、
『人魔の術』を解除しよう。
そうだ。解除できるか試さないと」
念じると、すんなりと変身は解除された。
視点が急降下し、マクラの状態に戻る。
拍子抜けしながらも、壮一は幾分かの落ち着きを取り戻せた。
仰向けに眠るネムエルに近寄り、機械的に着衣の乱れを直し、かけ布団で覆う。
「……家出は、防いだんだ。
スキルの効果もある程度、わかった。
これでよかったんだ……
ああ、そうとも。
明日からは……」
明日から――明日から、ただのマクラとしての生活に戻れるか?
壮一は自問した。不可能だと思った。
舐めてしまった蜜の味は忘れがたく、焼けた欲望の残り火が胸底から消えやしない。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
182
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる