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-12-『容貌とセンスは一致せず』

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『大王イカは深海に生息している生物でありまして、無脊椎生物としては最大級の大きさを誇り、十本の足の中で獲物を捕らえる二本の触腕を含めれば十メートル以上にもなります。この展示されてるロンサムはその三倍、三十メートルにもなります。これは世界中で最大級となり、太古から伝説されているクラーケンと呼ぶにふさわしい威容であり……』

 天井に備付けられたスピーカーから、リピートされる機会音声。

 巨大水槽に飼育されている、大王イカという種について語っている。

 実態は大王イカではなく宇宙イカなのだが、そのことを知っているのはこの場では俺だけだ。

 目にした限り、ロンサムは薄赤色の皮膚と十本の足を持った巨大なイカそのものだ。

 水槽の壁際でジッとしたまま、ほぼ動かず死んでいるかと思うほどだが、時折五十センチ近い大目玉がぎょろぎょろと動いて観光客を見定める。

 その度に「あっ、動いた」やら「でかっ」とか「怪物かよ」といったと感嘆のつぶやきが人々から聞こえた。

 見たところ、危険はなさそうではある。

 よくわからない団体に命令されるがまま、爆殺していいものだろうか。

「緋村、イカは好きか?」

 デートに戻った俺は、相変わらず先輩に先導されるように水族館を巡っていた。

 水族館の大王イカのコーナーはやはり、見物客でひしめき、大パノラマのアクリルガラスから隙間を探すのは苦労しそうだ。

 仕方なく、距離を取って頭越しで眺める。

「イカ焼きなら好きですよ」
「ふふっ、さっき寿司を食べたばかりだろ」
「ええ、でも俺にとってイカってそんな程度の存在ですよ」

 先輩は「ほう」と相槌を打ち、ロンサムの水槽に顔を戻した。

 槽内は大王イカでも身を隠せる岩場やサンゴはあるが、他の生命の気配がなく、寂寥としている。

 近縁種のイカもいなければ小魚や泳いでおらず、エビやカ二もいなければワカメや緑苔といった海草類でさえ姿はない。

 ロンサムの吐く毒の影響だろう。

 あの種類のイカが地球の海を泳ぎだせば、こんな寂しい海景色ばかりになってしまうのか。

「イカは見るも奇怪な形状だが、その生態は不明な点は多々ある。例えば種によっては群れで行動するイカもいる。一匹釣れば芋づる式に釣れるスルメイカなどがそうだな。大王イカは発見数が少ないこともあり、恐らくは単体行動だろうが……もしも群体行動する生き物ならマッコウ鯨すら倒せるかもしれないな。いや、この大きさで集団になれば海で敵なしになるだろう」

「恐ろしい想像ですね」

「突飛な説だとイカが進化して、地球の頂点に立つというものまであるぞ。もしもそうであって、彼らが人類と敵対しようとするなら……」

「するなら?」

 先輩はもったいつけるように黙ったので、先を求めた。

 狙い通りといった微笑が向けられる。

「今、捕まっているロンサムは先遣部隊になるな。群れで行動するイカは新しい場所に行くときは、斥候を派遣する習性がある。その場所が群れにとって安全かどうか確かめるためにな」

 語り終えて満足げに笑って、とんっと俺の肩を指で小突く。

 冗談だ、といいたいのだろう。

「ユニークな話でしたよ」
「想像力を働かせすぎたかな?」
「ええ、あれはただのイカですよ」
「ただのイカか……本当にそう思うか?」
「馬鹿でかいイカでもありますね」

 軽口で返して、過ちを悟った。

 楽しげな空気が消え、先輩は哀れむように俺を見ていた。いいや、違う。
 何かを名残惜しむかのようでもある。

「茶番劇は止めよう。お前の目的はわかってる」
「えっ」

 まさか――俺の財布の中のゴム素材に気付かれたのか――反射的にポケットの財布に手をやって握りしめる。

 空気中に微かに漂うゴム臭を嗅ぎつけられてしまったのか。

 女の子は聡いと聞くし、バレたのか。

 こんな危険があるなら、きちんと説明書に書いとけよ。

 くっそっ、やばい。こんなことならポリウレタン素材にしておけばよかった。

 完全にぬかったぞ鉄次!

「違うんです先輩。肉欲ではなく、愛ゆえなんです」

「地球への愛か……それはわかるが、えっ、何? 肉欲? なんだ肉欲って?」

「えっ、あわよくば先輩をラブなホテルに連れ込もうとしてるのを見抜いたんじゃないんですか?」

「……」

 ――どうしよう。

 今まさに、好感度がゼロになった手応えがある。

 すんごい蔑みの目だぞ……これは畜生を見る目だ。

 いや、待て鉄次。落ちつけ。逆に考えるんだ。

 今がツンデレのツンだと思えばこのあと、デレに転じたときにいっそう悦びがあるのではないか。

 恋愛ドラマだと一回は仲違いがあるものだし、予定調和じゃないか。

「こほんっ……いいか緋村。彼女は妊娠している。殺してはならない」

「えっ、妊娠って……まさか俺の熱視線だけで先輩に赤ちゃんが……」

「もうわかっているだろう。ロンサムのことだ。緋村、お前がJGGのメンバーだということはその黒スーツを見ればわかる。冷酷なニャンコ印のバッチもつけてる」

「えっ、あっ、ほんとだ。くっそだせえ」

 いわれて気付いたが、左胸に小指の第一間接くらいの小さいバッチがくっついていた。

 真顔の猫顔バッチだ。センスないねこれ。

「ロンサムの殺害は許すことはできない。阻止させてもらうぞ」

「それはそこまでこだわりはないので別に構わないんですが……ええっと、先輩はどういう立場なんですか」

 覚悟完了といった具合で先輩は臨戦態勢になったが、俺は別にロンサムのことはどうでもよかったので譲歩してみると、がくっと姿勢が崩れかける。

「むうっ、いや、私はーー」


 ジリリリリリリッッッ!


 唐突に、防災ベルのけたたましい音が通路に反響し始めた。

「火災が発生しました」という音声警報が鳴り響く。

 係員がどこからか飛び出てきて、避難先を身振り手振りで叫びながら訴えた。

 観光客は戸惑いながらも、指示に従ってけだるそうに移動していく。

 万が一に備えて意図的に起こした火災警報。

 ロンサムを始末するための前段階だ。

 人が完全にいなくなったあと、クーナは爆弾カツオをロンサムの水槽へ投入する手はずになっている。

「先輩、ひとまず先輩のいうことに従います。クーナを止めないと」
「待て……なんだ? 組織に逆らって平気なのか?」
「俺は美少女のいる方の味方です。善も悪もどうでもいいんです」
「お前の信念ちょっと怖すぎだろ」

 正直な胸の内を明かすと先輩は引いたようだが、真実を述べたまでだ。

 ともあれ、急かされるように踵を返し、どこかへと走り始めた。

 俺も駆け足であとを追う。

 ロンサムの水槽から遠ざかりながらも、関係者以外立ち入りの札の貼ってあるドアを中へと入る。

 水質試験室と書かれた部屋は、ビーカーやフラスコなどが置かれて化学実験室のようだった。壁の隅にはむきだしの用水配管が並び、天井は電線を這わせるケーブルラックが伸びている。

 先輩は勝手知ったるもので部屋を横断し、別の通路に続くドアを開けた。

 今度は非常階段。
 螺旋を描いた緑色の踏み板をのぼり始めた。

 三階相当をのぼり終えてようやくロンサムの水槽の真上にたどりついたが、波打っているあまりの水の量に俺は驚きを隠せなかった。

 水深はゆうに、五十メートルを超えている。

 縦幅はそこまでだが、奥行は百メートル以上はある。

 これを壊したら、大洪水になるのではないだろうか。

「クーナ」

 水際に立った妹は今にも爆弾カツオを投入しようとするところで、俺の声に振り向きはしたが、先輩が一緒なのが気に食わないのか顔をきゅっとしかめた。

「お兄ちゃん、やっぱり手伝いに来てくれたの?」
「いいや、違う。止めに来たんだ」
「ふうん、なんで?」
「ロンサムは出産しようとしている。生まれてくる生命に罪はない。赤ん坊まで殺せない」
「本音は?」
「綺麗事しゃべっとけば女ウケがいいから」
「緋村っ!?」

 しまった。つい、しゃべらされた。

 なんという、巧みな話術よ。

「緋村妹よ。その手の物をおろせ」

 先輩はクーナの持つ爆弾カツオを一瞬見ただけで、その危険性に気付き、制止しようとした。

 だが。

「蒼井先輩、これは地球のためであり、東京湾のためであり、地域の漁協のためなんです」

 段々スケールが小さくなっていったが、クーナの方にも理がある。

「彼女は、出産後にまとめて元の惑星へ追放すればいいだけだ。もうすぐ申請が通る」

「JGGは現地政府の許可を取ってます。内閣府に警視庁、都知事や市長。そしてご近所の町長まで」

 クーナは背中に手を突っ込むと書類束を床にぶちまけた。

 印鑑と書名の印がされた何枚かが、ひらひらと先輩の足元にくる。

 俺たちの住む銀星市星屑町の町長の名前は金衛門左馬之助という名前らしい。

 古めかしく威厳はありそうだが、こいつの許可は本当に必要だったのだろうか。

 いや、そんなことは今はいい。

「先輩。申請ってなんのことなんですか? 確かに俺は先輩のご両親に結婚の許しを求めに行くつもりですが、結婚の申請を行くには、まだ時間が必要です。俺は十七歳。いくら情熱があっても、日本の法律には勝てない」

「緋村、ややこしくなるから黙ってろ。私は緋村妹と話してるんだ」

「お兄ちゃん、この女のどこが好きなの? 美貌もスタイルも、性格も愛も、すべてに置いて私の方が優れてるのに」

 嫉妬の炎を瞳に宿しながらの問いに俺は押し黙り、考えた。

 先輩も後ろを振り向いて俺を見ている。


 ああ――この期に及んで嘘は許されない。


 ありのままにすべてをさらけだすときがきてしまったのだ。

 動悸が酷くなっている。五指がびくびくと震えた。足ががたつき、弱気な気持ちが逃げ出すことを想像させる。


 恋する人に改めて、愛を告げなければならぬはめになるとは。

 しかし、俺も男だ。

 大和男児は決して逃げたりはしない。
 意を決して告白しよう。





「えっと、顔」





「……」
「……」

 奇妙な沈黙が場に降り立った。

 吹雪のごとく、冷たい風がヒュウウウウと吹き荒れる。

 なぜだ? 俺は極めて正直に答えただけだ。

 誰だって、最初は見た目から入るはずだ。

 よさそうだな、って思ったらアタックするはずだろ。

 俺が間違ってるのか。

 ある程度は美醜がわかってから、中身を見るはずだ。

 料理だって、盛り付けが重要だろうが。

 メニューを見て、客は注文する。

 見た目にこだわって、何がいけない?

 二人はくるりと回り、正面に向かい合った。

「緋村妹よ。その手を放せ!」
「断ります! JGGこそが正義です!」

 まるで俺のことなど最初からいなかったかのようにやり取りが始まったが、クーナは先輩を嘲弄するかのように一笑し、爆弾カツオを水槽へと投げ入れた。

 ぼちゃん、とカツオは水中に落ちる。

 そのまま沈んでいくかと思いきや。

 驚いたことにカツオは目玉に生気をみなぎらせ、尾びれを振って泳ぎだしたのだ。

 文字通り水を得た魚だ。豪快な泳ぎっぷりは弾丸のごとしだ。

 目標は大王イカ、ロンサム。

 彼女は突進してくる獲物に二本の触腕を伸ばした。

 獲物を捕らえるため、イカ特有の一番長い二つの腕を繰り出したのだ。
 カツオを絡め、ギザギザ歯がひしめく丸い口内へと誘う。

「あっ!」

 先輩の気の抜けていくかのような声と同時に。

 ドォオオオオオオオオオオオン!!

 地震に似た振動が俺たちの足元を揺らす。

 カツオがロンサムに命中したことを示す爆発だ。

 余波は水面から水槽から建屋そのものに伝わり、天井の照明までもぶらぶらと揺らした。

 水槽は一部が欠損してしまったのか、排水溝が開かれたように水かさが低くなっていっている。

 ロンサムはどうなったか――ぬらぬらと青い液体が水面に浮上してきた。拡散していく血だ。

 油の混じった青色の血液はじわりじわりと水を濁していく。

「私の勝ちです。蒼井先輩……いいえ、銀河警察連邦さん」

「公務執行妨害の罪でお前を逮捕するぞ。未開人との混血など、本来なら存在すら許されていいはずがないのに、目こぼししてやっていたのだぞ」 

 パチンッと指を鳴らすと先輩は変身した。

 変身というと語弊があるかもしれないが、まばたきする間もなく衣装を変えたのだ。

 漆黒のフード付きのマント。薄黒の胴衣は立て襟。法の番人を演出するようにボタンとベルトが多く、ナポレオン・コートみたいに儀礼的でぴっちりしている。

 革ズボンはだぶついているが、太ももからすねまで弾帯ベルトがクロスで巻かれ、ブーツは運動重視で堅牢そうで、恐らくは安全靴だろう。

 特徴的なのはフードを被りながらも仮面をつけている。

 シルバーグレイの強面の骸骨仮面だ。

 なるほど、これが宇宙の警察のセンスか。

 しかし凄いな――どうしようか。

 先輩の美がカケラも残ってなくてちょっと引く。
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