ぐみたんは覚えていない

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 俺の名前はメグミ───問間恵トウマメグミ……と言う。
俺は俺としてのものを名前ひとつしか持ち合わせていないし身に付けている衣服はブレザーの学生服、なのだとは思うがハッキリしない。
「君は…?」
「私は『レギンレイヴ』」
「レギンレイヴ…」
それは。
呼べと言われたから呼んだ名前だった気がした。
「貴方がその名を呼び、私も知らない私の形を確立させた『精霊』です」
「精霊…?確立…?ぅん…?」
ピンと来ない単語ばかりだ。
ともかく。
 レギンレイヴが言うにはここは地球ではなく『ユグドラシル』と言う世界樹の名を持つ場所であるとの事。葉のように存在する島を束ねる天空樹。
───だそうで。
俺にはその言葉が、単語が、理解の範疇外である故に現実味がない。今俺が直面している『現実』であっても、それがフワフワとしていて、夢であれば良かったのにと現実逃避をしたくなる感覚に苛まれている。
でも。
湿った闇の空気、『天空樹』と言われたこの場所、暗く澱んだ空、足を踏み出す毎に下半身にゆるりぬるりとコールタールのように這い上がり、まとわりつく泥のような不快感は、知らない。
「なあ、もしもお前が…俺がなんでここにいるのか、どうやって来たのか、知ってたら教えてくれ」
問うと、レギンレイヴはふるふると首を横に振った。
「────っそ……か」
大きく息を吸い込んで、空を見上げる。
空は相変わらず黒いだけであったが、吸い込んだ空気は冷たくも澄んでいて、土と緑の匂いがした。
下半身にまとわりつく何かは相変わらず重かったけれども。
────ふと、改めて周囲を見る。
光源は俺を中心に放射線状に咲いている花しかなく、その後ろには背の低い木々が影絵のように佇んでいる。
風はない。
木々以外のものもない。
森。
暗い森。
何故俺はここにいるんだろう。
どうしているんだろう。
どうやってこんな所に来たのだろう。
何もかもがわからない。
「───自分の名前しかわかんねぇ…それ以外にどうすればいいのかもわからなくて…本当に。俺は…どうしたら…いい?」
自分でもわからない事を、半ば自暴自棄に等しい感覚でレギンレイヴと言う『他人』に問う。
『そんな事は知らない』と、返される事を承知で。
「貴方はどうしたいのですか?」
────突き放されるかと思ったが、問いに問いで返された。
予想外に切り返されて考える。
思考する猶予が生まれた。
……確立だのなんだの、理解せずにわからないままに、何故俺は見知らぬ相手に行動を委ねようとしたのか……と、思うと身震いがした。
先程までなかった風が吹いて、冷たく身体を刺す。
だがその冷たさは思考を静かにした。
……『寒い』、と思った。
思考すら冷え固まりそうな現状の中では、ただ、自分の感情しか先行するものしかなくて。
『寒い』と言う感覚しかなくて。
だから。
「寒くない場所にいきたい」
ただただ冷たくて凍えそうな身体的不便からなる感情を願望を口にした。
否、意図せず口から出た、と言うのが正しいか。それでも嘘ではない。
言葉が通じて、言葉を交わせる者は今の俺には目の前の『レギンレイヴ』しかいない、と、判り。
一番寒さを感じた左の脇腹をさする。そこだけ服が破れている事に気付いた。鈍い痛みを感じたような気がしたけれど、何故なのかはわからない。
「広い場所さえあれば移動手段を提供致します。今はこの地のデータがありません。お望みの場所を上空から探すより他がありませんので、少々お待ち下さい」
そう言ってレギンレイヴは鳥のように或いは蝶々のように上空へと静かに舞い上がった。
『広い場所』だとか、『データ』だとか、言った意味はわからない、が。

『広い場所』

、?
確かに今いる場所は俺一人寝転がるだけがやっとだが、何故レギンレイヴは言葉に出したのか。
背中に当たる地面が少しだけ温かい。
これが自然的な『地熱』なのか。
身体を軽くそれに委ねた。
思考は──────。
「───スッキリしてんなぁ、俺…」
目を閉じて思う。
記憶がない事には何故か不安がない。
頭の中は空っぽで、自分が知る自分の世界の常識程度だけがあるだけだ。
極端に言えば「朝の挨拶は『おはようございます』、『赤信号は停まれ』」程度。
──……欠けた記憶はその程度のものだったのだろうか?極端すぎるのは理解しているけれども、そもそも『信号機すらない』現状が噛み合わず。
記憶すら、ともすれば『脳が収めている記録』にはない視界視覚すら折り合いが付かない。
言わば俺は、そう、俺はいま────
混乱、しているのだろう。
知る記憶、識る記録。
確かにある筈なのに思い出せず。
ごちゃごちゃで整理も整頓も出来てないだけ。
冷静を装って、冷静になりたくて。
───って。
でも。
考えてしまう。
もしかしたら。
記憶ないしは『記録』ともカテゴライズされたものも、したものも、忘れたかったのか、失くしたかったのか。


それとも



──────棄てたかったのか?




「、っ 」
ぎしり、と胸と頭が痛んだ気がした。
「お待たせ致しました」
刹那、鈴のような声が耳に入って目を開く。
レギンレイヴが俺を見ていた。
「あ…うん」
そっと身体を起こす。
胸の痛みが消えている。
頭の痛みもなくて。
考えてはいけない事を考えていたのだろうか?
今は考える事すら避けるべきだと言う事なのか?───ともあれ。
身体が指先まで冷えている。
ただ今は、暖かい場所が、欲しい。
「『暖かい場所』の該当箇所を確認致しました。道はありませんが草を踏んで進めばすぐに辿り着ける場所です」
レギンレイヴが示した方角は、成程一番背が低い草が茂る場所だった。暗くて先が見えないが。
「先は私が照らしますのでご心配なく」
「あ、りがとう」
心が読まれた気がしたが、そうならば今は有難い。
俺が俺をわからない今だから。
何が何やら把握すら出来ていない今だから。
茂みに足を踏み出す。ぱきり、と乾いた音がした。これならば踏みながら歩く事は出来そうだ。
歩くと決めたら、ふつ、と足が軽くなった。
レギンレイヴが両手を前に出す。幾つかの光の球がふわりと浮かんで俺を囲む。
視界は明るくなったが、草と木以外には依然として何も見えない。
でも枝が目に入るとか言った事はなさそう。
足元だけに注意を払って、草と木を枯れ枝を生木を踏みながら歩く。道が平坦で助かった。多少なりとも軽くなった足には苦にならない。
ぱき、ばき、ぺき、と、歩みを進めるだけの音だけがただ響いている。
それ以外の音がない程の静けさの中にいるのが不思議だった。
息を潜める。
音を立てていれば獣は寄って来ないだろう…と、思いながら緊張しながら。
「着きました」
その声に緊張は呆気なく崩れた。
体感だが十分も歩いていない。
「お…?」
目にした場所は、直径十メートル程の空間だった。
黒く輝く石のような地面の周囲を囲む光る花は、地面のみならず木にも蔓を絡ませている。地面……と言うよりも床に光が反射している為だろうか、ここだけが昼間のように明るい。背の高い木に囲まれているからか、寒さが和らいでいるけれど、『広い場所』が必要な理由はまだわからない。
「ああ、確かにさっきいた場所よりは広いし寒くはねえけど───」
「ビっ」
疑問を口にしようとしたら、潰された蛙の声のような音がして、視界の中にある木の下に、小さくて黒い物が落ちた。
「えっ、何?」
身構えて後退る俺の代わりにレギンレイヴが木の下に飛び、
「…『神獣ロヴァルリンゲルの幼体』に該当…?」
暫しの沈黙の末にそう言った。
「しんじゅ…え?」
何もかもがわからん。
「お伽噺に出てくる生物であると記録されています。姿形も酷似、いえ、そのものですが…実在したと言う記録はありません」
レギンレイヴの様子からして危険なものではないようで、俺も木の下の『神獣の幼体』なるものに近付いて、見た。
「蝙蝠の羽根が生えた黒いまりも」
動かないそれの第一印象である。
「こんなまりもでも『神獣』。お伽噺では『神』、と、冠を乗せられている存在です。見た目はまりもに見えていているとしても」
俺も酷いがコイツも大概酷いヤツでは。
俺は『神獣』とやらに、こんな、とか言ってねえし二回もまりも呼びしてねぇデスヨ。
「お伽噺ねえ…今実際俺自身がお伽噺の中にいる気分だぜ。夢ならどんなに良かっぶへぇ!?」
無表情で無遠慮な小さな手が俺の頬を叩く。
せめて最後まで言わせろ。
「残念ながら夢ではありません」
「乱暴だなテメェは!?」
可愛い顔をしているがやはり酷いヤツだった。鞭に打たれたみたいに頬がじんじんする。夢ではない事が分かっただけでもよしとしよう。よくはないが。
そも頬をひっぱたいて痛みを感じたら夢ではないって誰が言い出したのか、いや、頬をつねる、だったか?
「…ぴ…、」
小さな音が俺の下らない思考に割り込んだ。
それは弱々しく震えるまりもの声。
息継ぎの合間に喉から出たようなか細い音で。
「…生きて、んのか?このこ…」
だから咄嗟に言葉に出てしまった。
「かろうじて」
ついっ、と小さな指先を黒いまりもに滑らせてからレギンレイヴは淡々と言った。
「ふう…ん…」
俺も指先で小さな羽根に触れる。蝙蝠のような羽根は虫食い葉のようにぼろぼろだけど、仄かな温もりがあった。
刹那に。
「…ん?」
光る糸のような物が『視』える。
その糸は幾重にも連なり、目の前の黒いまりもの身体を包み込もうとしているようにも見えた。まるで繭のように。
もう少しで全てを包んで暖めようとしているように感じた。
糸のようなそれに沿って指を動かしてみると、その動きに呼応して糸が増える。
そして見えない場所に傷が幾つもある事が判った。
決して浅くはない傷が小さな身体…主に腹に幾重も連なり、出血量も少なくはないが、地面から沸き上がる暖かい何かが集まっていてまりもを通して俺の指先に絡み付いて───。
ああ、もしかして、だが。
否。
確実に。
「───俺、これ治せるぞ」
光る蚕の糸はそんな確信を俺にくれた。
「……は?」
呟いた声にレギンレイヴが疑問の声を上げる。
「うん」
頷く。
生きようとしている小さな生命。
生き物であるまりもをつい『これ』とか言ってしまったけれどもそれはそれ。生きようとする意志と力の両方が存在しているならば何も考える事はない。
何故頷けたのはわからないが、在るがまま、成せるがまま、救える余地があるならば俺に生かせる事が出来るのならばそれに従い流されよう。
誰だって何だって温かい場所へ、温かい場所に───いきたいものだろうよ。
「よし」
金糸を繋ぎ会わせた繭は、そのまままりもの中に吸い込まれて消えた。
傷が消え、羽根も綺麗になった。
後はこのまりもの生命力次第だが───。
「…み」
「おっ」
ぴくり、と小さな身体が動き、伏せていた為か隠れていたであろう猫のような耳がぴんと立った。
何とか怪我は治せたらしい。
「治癒術が遣えるのですね」
「お前と契約とやらをしたからじゃないの?」
「私には治癒機能がありません。『治せる』と言ったのは貴方です」
「そう言やそうだったか…何でそんな事思ったんだろうな俺…」
ぼんやりと見ていた耳の生えたまりもが、顔を起こして大きな目で俺を見る。
澄んだ黒曜石みたいな瞳で。
猫のような蝙蝠のようなそんな印象だ。
そして数回しぱしぱと瞬きしたと思うと、背を向けて小さな翼で力なくふらふらと飛び始める。
どこかへ去るものかと見ていたら、そう遠くない樹木の葉の中で、木の葉を僅かに落としながらがさがさと漁っているようだった。
「ついて行ってやってくれ」
「わかりました」
レギンレイヴにそう言うと、無表情でこくりと頷いて幼体ロヴァルリンゲルと同じように樹木の葉の中に紛れた。
「…これが欲しいのですか?」
レギンレイヴの声が聞こえて、がさがさ音がふたつに増える。
一人と一匹が葉の中で何をしているかはわからなかったが、特に争うでもなく問題もなさそうで良かったなと思う。
やがて葉の中から出てきた一人と一匹は、それぞれ小さな緑色の実を持っていた。
幼体ロヴァルリンゲルは実に牙を立てて咥えながら一つと、両手で茎を持って一つ、レギンレイヴは茎を持って両手で三つ。
良く見ると実の外皮には皺が寄っていた。
「これ…『サルナシ』の実か?」
レギンレイヴが持って来た実は、覚えがある。
正確には『見たら思い出した』だが。
『サルナシ』は、猿の好物の梨に似た山の果実で、旬は九月下旬から十一月上旬のマタタビ科の野生果実だ。外皮に毛こそないが断面はキウイフルーツと全く同じで、ミニキウイフルーツとも言われる物なのだが見た目からはわからない。似ている違う何かかも知れないが、俺の目の前で一心不乱にかつかつと食べ始めた幼体ロヴァルリンゲルの様子からすると、危険な物ではないようだ。
少なくとも幼体ロヴァルリンゲルに取っては、だが…しかし、待て。
同時に思い出した。
───俺が元いた世界の季節は冬だ。
「(時間がずれてる…?)」
ここが他の世界ならばそれもまた有り得るだろうが、それが何の意味があるのか、果たしてないのか…少しばかり引っ掛かる。
引っ掛かっているからと言ってどうする事が出来る訳ではないのだが。
「みゃあ」
小さく高い声で思考が引き戻される。
はたと声の先を見ると、幼体ロヴァルリンゲルが小さな両手で俺に木の実を差し出していた。
「…くれるのか?」
問うと、幼体ロヴァルリンゲルは返事をするかのように小さく「み」と鳴いて頷く。
レギンレイヴが手にしていた木の実を幼体ロヴァルリンゲルの傍らにころりと落としたのを見てから木の実を受け取る。
幼体ロヴァルリンゲルは俺の眼をじっと見ていた。
…本来ならば野生の木の実は良く洗わなくてはならないのだが、近くに水場はない。
だから木の実を破れた服の逆側で軽く拭いてから、木の実の先端をぱくりと皮ごと噛むと、本当にキウイフルーツと同じ味がした。
少しでも味に違和感があったら咀嚼をするフリをして後から吐き出すつもりだったが、甘酸っぱい果肉と果汁がスッと喉に浸透するように落ちた。
サルナシは皮に甘味がある。
口にした木の実は確かにミニキウイフルーツとも言われるキウイフルーツそれそのものだった。
そして自生しているのは奇跡とも言われていて、今俺は確かな奇跡をきっと口にした。
瑞々しくて美味しい。
「ありがとな」
つい頬が綻んで礼を言うと、幼体ロヴァルリンゲルは満足したかのように頷き、さっきまでは見えなかった紐のような細い尻尾をぴんと立てて、レギンレイヴが採った果実に再びかじりついた。
果たしてレギンレイヴはどうかと言うと、俺達に背を向けて何も言わず変わらぬ無表情で光る花を見ている。
そう言えば。
『広い場所』を探して態々移動した意味は、何だかんだで未だにわかっていないけど。
「…なあ、この…神獣の幼体はこれからどうなるんだ?今、現在、助ける事が出来たけど…『神獣』ってんならこのままこの先…生き抜ける事はあるのか?」
幼い生命を憂いてしまってぽつりと聞いた。
「ロヴァルリンゲルは群れを成して生きる物と記述にありますが、その『群れ』を離れたかはぐれたと言うのならば、幼体のままで弱肉強食の獣達の中では生き抜く事は不可能でしょう」
返って来たのは至極全うな自然の摂理。
『神』を冠する獣と言えど自然の摂理には逆らえないと言う事であるのか。
ならば俺は『ただ生命を永らえさせただけ』と言う無駄な行為をしただけなのだろう。
つまり、『偽善』だ。
自己満足…そう、それでも助けられると言う確信があったから助けたいと思っただけの。
『獣』に対してのそれは間違うかたなき偽善だったのだろう、けど。
けど───、
俺は、
ヒト以上に、
『どうぶつ』が好きだ。
から。
後悔なんて、ない、ので。
「例えば群れから離れただけならまだ近くに仲間がいるかも知れないし、そうでなくても同じ個体がどこかにいる可能性は?水場とか…生き物が生息しているであろう場所があるかどうかはわかるか?」
出来る事があればやろうと思った。
「…暫しお待ちを」
すると、レギンレイヴは近くにある光る花の元にふわりと降りて、しゃがみこんだ。花粉のように小さな光が幾つか集まり、レギンレイヴの周りをふわふわと舞う。
「花の精霊達に話を聞きました。生き物が生息しているであろう水辺、そしてロヴァルリンゲルの他個体もそこにいるとの事です」
自分でもぱっと笑顔になってしまったのが判る。
ならばせめてそこへ連れて行ければ或いは。
「そうか!ここからどれだけ離れてる?」
「谷を挟んで五十キロメートルです」
「ごじゅっ…」
だがとてもじゃないがすぐに歩いて行けるような距離ではなく、息を呑んだ。
「その程度ならば問題ありません」
「え」
静かにレギンレイヴが何かを呟いて眼を閉じる。
すると、紅色をした何かがレギンレイヴの傍らに現れた。
紅く細長く、金属体であろうそれ。
全長は七~十メートル程だろうか、両即部には砲身が合計二砲、後部にはウイングが横に広がっていて──────。
「…F1カーか?」
の、ようなデザインに見えた。
成程これが『広い場所が欲しかった理由』か?しかし確かに車ならば早いだろうがタイヤはないし、谷があると言っていたがそれでは越えられない。
「飛べますよ」
「飛べんの!?イヤ、でもなんなんすかねコレ!?」
車でなければ飛行機と言う事のようだが、俺が聞きたい事はそうではない。
「これは私の『本体』の一部です。詳しく言うならば単独でも作戦行動が出来る『コックピット』。私は機体でもあり精霊でもありますから」
淡々と、かつ機械的にレギンレイヴはそう言った。
「同時に契約者…貴方の物でもあります。仮に、ではありますが」
「『仮』と言う事は他に正式な持ち主がいるって事か?でも『契約』…二重に?」
「本来ならば無い事ですが、それは後程また。今はロヴァルリンゲルの幼体を仲間、或いは他個体の元へと連れて行きたいと言う事ではないのですか?」
「あ、ああ…」
そうだった、俺はそろそろ全ての木の実を食べきろうとしている幼体を連れて行かないと。
──────音もなく、透明な、操縦席であろう場所の窓(?)がすぅと上がる。
まるで俺を導くみたいに。
「…来るか?」
幼体ロヴァルリンゲルに手を出した。
これで拒否されたら諦めるしかなかったがそんな心配はなく、ひときわ高くぴい、と鳴き、キラキラとした瞳で俺の手の上に乗って頬を擦り付けてきた事でホッとした。
産まれたての仔猫みたいにふわふわだ。
「レギンレイヴ、サルナシの実を幾つか採って来てやってくれ」
「わかりました」
そう言ってサルナシの樹木にレギンレイヴが飛んで行く間に幼体ロヴァルリンゲルは素早い動きで俺の腕をよじ登り、肩へと身体を落ち着けて俺の目を見て、み、とか鳴いた。
さて、俺の記憶の中に飛行機の操縦経験など──────。
あれ?
小型機…セスナならある、な…?
「(……何で?、ッ)」
一瞬、針を刺したかのような痛みが頭に走ってツンときた。
これ以上は思い出すなと言っているみたい。
こめかみを指で一度だけ推してから操縦席を見ると、大きめの鞄が席に鎮座していた。
「、あ!俺の鞄だ!」
これはすぐに理解した。
中に何が入っているかは思い出せないが、その勢いで操縦席に飛び込むと、フワッとした優しい粒子が頭の中に広がり流れ込んで、また瞬時に理解する。
「この機体、コックピット、『レギンレイヴ』の操縦法…」
まるで最初から知っていたみたいに頭に、手に、足先まで感覚が染み込んだ。
無意識に鞄を握って安堵する。
ああ、これは確かに俺の物だ。
「私が目覚めた時に貴方の傍らに落ちていた物を拾いました。貴方の所有物に相違ないようですね」
サルナシの茎を持ち、実を五つ程ぶらさげながらレギンレイヴが戻って来た。
頷いてそれを胸元のポケットに放り込むと、幼体ロヴァルリンゲルが涎を垂らさんばかりにじっと見ていた。
まだ食うのか。
いや、神獣の胃袋の許容力など知らないが。
一つだけ取り出して小さな手に渡すと、肩の上で嬉しそうにサルナシの実を喰む。
いつの間にかレギンレイヴの姿は消えていたが気配はあるし、繋がりも感じる。
さて。
座り直して窓を閉じ、後は起動するだけなのだがその前に鞄を空ける。
中にはペットボトルに入った水数本、カロリーバーや軍用レーションと思われる食糧のような物…軍用?サバイバルでもしていたのか俺は?学生服を着ているのならこれは通学鞄ではないのだろうか…それに見た目よりも鞄が重い気がするが…何だろうかこの感じは。
「みぅ…」
「おっと」
耳元で眠そうな声がした。
どうやら腹は満たされたみたいだ。
今は幼体ロヴァルリンゲルを少しでも安全な場所に連れて行かないと。
ところで。
「『レギンレイヴ』って呼ぶ時機体の事か君の事かわからんくなるから、君の事は『ギンレイ』って呼んでい?」
何もない空間に問うと、はあ、とか意外だったかのような気が抜けたような声がした。
《構いません、『仮主様』》
かりぬし、仮主ね。
言うなれば『借り主』でもあるしいいか。
「それと姿が消せるならなるべく消したままでいてくれ。何かあった時の為に少しでも使える手は隠しておきたい」
その何かはわからないが念の為、だ。
《わかりました》
声が聴こえて、ぱん、と一度自分の頬を叩くと頭が少しだけクリアになった。
「……よし」
すうと息を吸って徐に眼を閉じると、両手を置いた場所からレギンレイヴ全てに至るまでに何かが注がれて行く感じがした。


さあ──────



翔ぼうじゃないか。
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