殿下、婚約者の私より幼馴染の侯爵令嬢が大事だと言うなら、それはもはや浮気です。

和泉鷹央

文字の大きさ
27 / 105
第二章 帝国編(海上編)

指輪

しおりを挟む

 サラのその安らいだ顔を見て、アルナルドは安心したようだった。
 いや、安心したように思えたというべきかもしれない。サラは乗船した時から沈痛な面持ちで、悪いことをした後のようなそんな顔をしていたからだ。
 深夜ということもあり星明りとローソクの灯りは薄くて心もとない。
 室内に入り、ガス灯の十分な光に照り返され、ようやく彼女を正面から見たらやはり寂しげなその表情は変わっていなかった。

「……大変だったね、サラ」

 その一言を切り出すまでどうしても時間がかかってしまう。
 アルナルドの心にもいくばくかの後悔があったからだ。サラの望むように帝国の公爵位を用意した。
 海洋船ではなく、もっと足の速い天空を行く飛行船や飛空艇を利用した天空航路に早便を飛ばし、父親には叱責を受けた。手紙でのお叱りだったが、王国に帝国の血を戻すのは皇帝陛下も気にしていたらしい。
 そういった経緯でサラはここにいる。
 あの贈り物に含めた指輪は――まだその指にははめられていなかった。

「アルナルド、人払いを……お願いしていいかしら?」

 荷物を水夫たちが運び込むと侍女たちがそれを仕分けしようとしていたが、二人とも手を止めてサラを見ていた。サラと同世代の、幼い頃から共に育ってきた彼女たちは、アルナルドとの一夜が始まるのだろうと察したらしい。
 手早く寝間の用意だけを持ち出すと、部屋の外で呼ばれるまで待機しようと退出していった。
 二人の女性仕官はアルナルドを見、どうしますかと指示を待つ。

「いいよ。お前たち」

 手の一振りで無駄口も、サラへの嫌味の視線もなく彼女たちもまた下がっていった。
 サラを賓客としてではなく、アルナルドに向けるのと変わらないような礼儀を正しい態度はさすが、皇族付きの仕官だと思わせた。
 何となく、皇族付きだと言っても女性仕官がいることに一抹の不安をサラは感じていたが……それは今は言う気にはなれなかった。
 二人きりの室内。
 アルナルドはロイズのように暴虐な仕草を隠してはいないことを祈りつつ、サラは彼に席を進めた。いきなり、ことに及ぶようなことはさすがにない。
 あらかじめ船室の中には来客用のウィスキーや他の酒が用意されている。それはどこかと探そうとすると、アルナルドはいいよと言い、自分からそれを振る舞ってくれた。
 
「サラは船は初めて?」
「え? 初めてだけど……河などを上ったことはあるわよ」
「そっか。帝国の帝都周りの海流は激しくてね。このまま船では行けるけど、荒れるのは好きじゃない」
「どこかで、陸路に?」

 一番近い港は、帝国本土と陸続きのセインス王国だ。西の大陸に一番に近い、帝国の分家筋の王国。
 酪農と貿易が盛んな土地柄だった。

「セインスで航路にね、乗り換えようかと思っている。僕たちにはなじみの薄い、獣人や魔法なんてのが見れるかもしれないね」
「それはまだ未体験だわ。帝国はそういったものを禁じて来たから、知らないもの」
「いろいろとめんどくさいらしいよ、人と違った存在や不思議な魔法ってのは。まあ、それはいいんだけど……飲まないの?」
「船酔いが少し心配で……」
「なら、水がいいかな? 海は別の意味で河より揺れるからね、気を付けたほうがいい」

 グラスが新しく取り替えられ、水が注がれる。渡された時に指先が触れるとサラは思わず、手をひっこめそうになっていた。
 まだ男性が怖いんだ……私。
 ロイズに最後に受けたあの一撃が、まだ胸の奥に恐怖の根を張っているのかもしれない。
 大丈夫? アルナルドがかけてくれる声に上目遣いでうなづくと、彼はそれ以上踏み込んでこようとはしなかった。

「ごめんなさい。私が残ってって言い出したのに」
「気にしなくていいよ。一言、謝りたかったんだ」
「謝る? どうして、貴方は何も悪くないわ」
「あの夜――パーティーの夜にね。執事に言われたのさ」
「じいやに? 何を??」
「ひいおじい様はもっと勇敢でしたよってさ」
「ああ……ごめんなさい。じいやは言いすぎなところがあるから……そんな試すようなこと、言わなくていいのに!」
「いや、良いんだよ。僕もその通りだと思った。陛下――僕の父上に後からどう言われてしまうとか、帝国と王国の関係とか、考えずにさっさと君を奪うべきだったんだ。あの会場からね」
「アルナルドー……やめてよ。それこそ戦争になってしまうわ。二度目は王家だって黙っていないわよ」

 そうだよね。
 少年は人懐っこい笑みを浮かべると、黒髪を困ったようにかきあげた。

「だから。うん……だから、あれが僕にできる精一杯の抵抗だった。悩ませて、苦しませて済まない。それが言いたかった」
「指輪、の件よね。それはいいの、貴方が助けてくれたから、我が家はかつての栄光を取り戻せた。後は私が貴方に生涯をかけて感謝を捧げるべきだってことも理解してる」
「いや、サラ。違うんだよ、それは違うんだ。もうそんなものに囚われることはないんだよ。後は僕が……君を守るから。そうさせてくれないか、サラ」
「またそうやって悪者になろうとするんだから。まだだめよ。貴方にはまだ婚約者がいらっしゃるでしょ? レイニーのように恨まれたくないの。帝国の端でいいわ。あの侍女たちと私を含めて三人、生きていける程度の財は持ってきたから。どうか、もう私に囚われないで、アルナルド」

 まだ指輪は付けれません。
 サラは静かに首を振った。
しおりを挟む
感想 99

あなたにおすすめの小説

幼馴染最優先の婚約者に愛想が尽きたので、笑って家出しました ― 笑顔で去っただけなのに、なぜ泣いているのですか

ラムネ
恋愛
侯爵令嬢リオナは、婚約者アルベルトが「幼馴染が可哀想だから」と約束を破り続ける日々に耐えていた。領地再建の帳簿も契約も、実はリオナが陰で支えていたのに、彼は「君は強いから」と当然のように扱う。決定的な侮辱の夜、リオナは怒らず泣かず、完璧な笑顔で婚約指輪だけを返して屋敷を去った――引継ぎは、何一つ残さずに。 翌日から止まる交易、崩れる資金繰り、露出する不正。追いすがるアルベルトを置き去りに、リオナは王立監査院の臨時任官で辺境へ。冷徹と噂される監察騎士レオンハルトと共に、数字と契約で不正を断ち、交易路を再生していく。 笑顔で去っただけなのに、泣くのは捨てた側だった。

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

妹を選んで婚約破棄した婚約者は、平民になる現実を理解していなかったようです

藤原遊
恋愛
跡継ぎとして育てられた私には、将来を約束された婚約者がいた。 ――けれど彼は、私ではなく「妹」を選んだ。 妹は父の愛人の子。 身分も立場も分かったうえでの選択だと思っていたのに、 彼はどうやら、何も理解していなかったらしい。 婚約を破棄し、妹と結ばれた彼は、 当然のように貴族の立場を失い、平民として生きることになる。 一方で、妹は覚悟を決めて現実に向き合っていく。 だが彼だけが、最後まで「元に戻れる」と信じ続けていた。 これは、誰かが罰した物語ではない。 ただ、選んだ道の先にあった現実の話。 覚悟のなかった婚約者が、 自分の選択と向き合うまでを描いた、静かなざまぁ物語。

白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?

夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」 教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。 ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。 王命による“形式結婚”。 夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。 だから、はい、離婚。勝手に。 白い結婚だったので、勝手に離婚しました。 何か問題あります?

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

【完結】結婚して12年一度も会った事ありませんけど? それでも旦那様は全てが欲しいそうです

との
恋愛
結婚して12年目のシエナは白い結婚継続中。 白い結婚を理由に離婚したら、全てを失うシエナは漸く離婚に向けて動けるチャンスを見つけ・・  沈黙を続けていたルカが、 「新しく商会を作って、その先は?」 ーーーーーー 題名 少し改変しました

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

婚約破棄された公爵令嬢ですが、戻らなかっただけです

鷹 綾
恋愛
王太子カイル殿下から、社交界の場で婚約破棄を言い渡された公爵令嬢リュシエンヌ。 理由は―― 「王太子妃には華が必要だから」。 新たに選ばれたのは、愛らしく無邪気な義妹セシリア。 誰もが思った。 傷ついた令嬢は泣き、縋り、やがて戻るのだと。 けれどリュシエンヌは、ただ一言だけ告げる。 「戻りません」 彼女は怒らない。 争わない。 復讐もしない。 ただ――王家を支えるのをやめただけ。 流通は滞り、商会は様子を見始め、焦った王太子は失点を重ねる。 さらに義妹の軽率な一言が決定打となり、王太子妃候補の座は静かに消えた。 強いざまあとは、叫ぶことではない。 自らの選択で、自らの立場を削らせること。 そして彼女は最後まで戻らない。 支えない。 奪わない。 ――選ばれなかったのではない。 彼女が、選ばなかったのだ。 これは、沈黙で勝つ公爵令嬢の物語。

処理中です...