殿下、婚約者の私より幼馴染の侯爵令嬢が大事だと言うなら、それはもはや浮気です。

和泉鷹央

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第三章 帝国編(空路編)

怪しい乗船

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 サラの嗅覚は冴えていた。
 この旅路が始まって以来、最高というほどに冴えていた。
 冴えて冴えて、冴えすぎてしまい、自分の理解が及ばなくなったほどだ。
 役人が壁の一角に突き出たモノ、ボタンのようなそれは四角いボックスの表面に上下二つの丸いボタンと、あのひと悶着あった場所でパタパタと動き、時刻や行き先を表示していたモノ。それの小型版があるように見えた。
 つまり、もしかしたら――?
 
「今しばらくお待ちください、殿下」
「……それはもしかしたら、昇り降りすることのできる何かだったりするのですか?」
「は?」

 小男はきょとんとし、不思議そうな顔をする。
 続いて「そうでございますよ」と明確な返事が戻って来た。
 つまりそこはある意味、密室となり入る人数はここにいる四人か。
 それとも、中に潜んでいる誰かの可能性もある。

「遠慮します」
「あ、殿下。何を言われて……」
「いいから他の便に振り替えをお願いできますか、そこな――失礼。まだお名前を知りませんでした」
「ひっ、まさか、そんな!?」

 と、文官は小さい背丈をさらに小さくさせて萎縮する。
 まさか一介の役人が、他国の皇族。それも直々に声をかけられて名前を問われるなんてこと、誰が想像するだろう。
 彼は視線を合わせることも申し訳ないというふうにし、ふうと大きく息を吐いた。
 どうやら見た目通りの小心者らしい。
 だが、あのロプスのようにいやらしさや権力に媚びるというところが見えず、ただ根がまっすぐな人物に見えるところがサラには好印象だった。

「伺えますか?」
「伺うも何も、自分はその……」

 と、返事代わりに胸ポケットの部分に縫い付けられた制服の一部を彼は指し示す。
 そこには大陸公用語で「オットー」と書かれていた。
 家名が無い所を見るとどうやら平民の出身であるらしい。
 それを見て、サラは素朴なその名前が彼には合っているような気がした。

「ではオットー様」
「ひっ、殿下。お待ちください……そのような様なんて、上役に聞こえたらクビになります。どうか、オットーと、もしくは案内人と。そうお呼びください」
「あ、そう――では、案内人殿」
「はい、殿下。何用で……ああ、いえ。便の振り替えを、でございます、ね」
「ええ、お願いできるかしら」
「あ、はあ、しかし」

 と、サラの発言が搭乗拒否をするものだったから、オットーはどうしたことかと慌てふためいて即答できる様子ではなかった。
 しばしお待ちくださいと振り絞るように声を出すと、先ほど押したボタンを再度、押しなおす。
 角度的に見えていなかったが、それは押せば燐光を発する仕組みの様で、二度押せば消えるらしい。
 つまり、昇り降りする何かを呼びだすための道具と、それをキャンセルすることのできる仕組みなのねとサラは興味深くそれに見入ってしまった。
 じっとボタンを見つめるその視線が自分への問いかけだとオットーは勘違いしたのだろう。自分より頭二つほど背が高いサラと手元を見比べて、オロオロとしていた。
 サラはその様が正直な反応で、つい彼に笑みをこぼしてしまう。
 それはロプスにしてやられたあの陰険な仕打ちを忘れさせるには、十分なものだった。

「ねえ、オットーさん。さん、と呼ぶなら宜しい?」
「は? いえ、そんな滅相もない」
「どうか許可して頂きたいわ。貴方の上司は少しだけ好きではないけど、貴方は正直そうな方だもの。仕事をしようと一生懸命になっていらしてるわ」
「お褒めの言葉が嬉しい限りです、殿下。ですが、別の便といたしますとそちら様のお荷物なども……」
「洋上で放棄されたりしますか?」
「いえっ、いいえっ! そのようなこと! 我が国の航路公社においてそのようなことは許されません! どのようなお客様のお荷物であれ、あまりにもその……国際法などに触れるような危険な物でない限り、どこまでも安全に移送致します!」

 と、オットーはそれまでの臆病さをかなぐり捨てるようにして、叫んでいた。
 彼の言葉は仕事にかける自信と顧客への誠意と、公社という彼の所属する組織への自負と誇りでもあるのだろう。熱意とこの会社で働けることに誇りを感じているようにも見えた。
 それはまるで王国で元婚約者のために努力しようと励んでいた自分の姿がそこに重なるようで……サラは彼の人柄が信じるに足る存在だと確信してしまっていた。

「……そうね、ごめんなさいオットー様。貴方の仕事をけなす気は無かったの。どうか許して頂きたいわ」
「いいえ、殿下。そのようなお気遣いは無用です。むしろ、そう思わせてしまったこちらの落ち度でもございますので!」
「いいですね。貴方のような仕事に誇りを持てる人物に会えるのは久しぶりです。すこしだけ故郷が懐かしくなりました。……私、アリズン様には恨みはありません。でも帝国同士には、いくつかの禍根があるようなのです。そうでなければ――先に護衛だけ上がるなんてこと、あり得ないと思いません?」
「あ、それはその――はい」

 サラは本音を彼に語ってみた。
 文官は言われてみれば、と首を傾げうーんと声を上げる。
 でもそれは困惑ではなく、何か別のもの。サラをどうすれば無事にアリズンの元に送り届けることができるか、その点を悩むようなうーん、という声のようにサラには聞こえた。
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